市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

バンコク 市場 企業化

2007-11-27 | Weblog
 この巨大な「チャトチャック市場」を想像することは宮崎市で暮らしていると不可能に近い。宮崎市には市場として今も辛うじて生きているのに「青空市場」と「文化
マーケット」「江平市場」がある。青空も文化も崩壊がすすみ、どちらも廃墟の様相を呈している。7年ほど前、文化マーケットにまだあちこちに店があったころ、空き店を修復して若者にも安く貸したらと、提案したことがあった。店のオーナーたちは
うさんくさそうな面持ちで、こんな崩れかかった建物でなにが出来ようかと、せせら笑われたことがあった。

 さて、バンコク市内のあちこちには、これとたいしてかわらない廃墟寸前の建ても物が何百メートルも連なるのだ。一度、文化や青空の路地に入って、ここが何百メートル四方に広がる空間を想像して欲しい。これは想像を絶した風景であり、同時にそのずべてが生き生きと活性化している様は、言いようもない生命力、存在感に衝撃をうけざるをえまい。

 その生命力、生態的多様性をうまく引き継いで、現代ショッピング施設として企業化したのが、バンコクの現代市場ということができよう。この計画され、企業化された市場に、数千、一万に達する屋台、露天、テントの市場が集まっている。もともと市場は、個人が露天に風呂敷一枚、戸板一枚に品物を並べて商ったことに根源があった。それは計画的な企業のシステムとはべつの個人の生業であった。この事実がまた生かされいるのにおどろかされたのである。

 ナイトバザールやチャトチャック市場のような市場でなく、通りをすすむと、ビルの切れ目やブロックの端っこに突然、コールタールを流したような道路を挟んで、真っ黒な低い家屋やテントが広がる地帯が、ところどころに展開していた。これも典型的な市場なのであろう。その風景は異様なほど、ぼくを魅惑した。

 またねっとりとよどんだ古い運河沿いに水面に倒れこむような戦前の個性的な家屋の連続も、郷愁を沸き起こす風景であった。

 ぼくが宮崎市に帰着した瞬間に、これは家内もそうだったが、なんとも紙かボール紙を切ってつくったような街並みに仰天したのである。街はもっと奥深い存在感をもつものであることを、いまさらながら痛感させられたのであった。
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2 コメント

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もしかして・・ (M)
2007-12-13 00:17:29
Oさんですか?完全宮崎主義を検索してここに辿りついたんですけど・・・マーボです。

お久しぶりです!!!!!!!!!!!
お元気で何よりです。
もしかして今タイですか?

僕は宮崎に帰ってきてようやく半年が経ちました。色々宮崎の事とかお話したいです。

12月23日あのほーちゃんがCDデビュー記念して
ニューレトロクラブという場所でライブします。
是非遊びに来て下さい。

完全宮崎主義 http://kan-miya.com
のお問合せをクリックして頂ければメールは僕宛に届きます。


ではまた!
返信する
また会えるね!! (市街・野)
2007-12-16 10:19:37
 やっと、また貴兄にコンタクトできそうだ。楽しみだね。
返信する

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