市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

宮崎市謎所案内・花

2005-03-22 | Weblog
 花を街の景観を美しくするという信仰によって、中心市街地にも花が並べられる。橘通東2丁目の花をもう10年近く見てきた。この花の鉢をこの位置で、このような並べ方で置くというのはいつも興味があった。花は風景をうつくしくしているのだろうか。風景をかなしくしているだけではないかとみつづけてきた。これが街の装飾と見えるという感性のあり方が不思議なのだった。

 中心商店街「橘通」は大淀川べりから宮崎駅まえの道路の十字路まで、およそ900メートルあるのだが、この十字路から80メートル下がると、往来する人の気配は消えてしまう。人のあるかぬ商店街は、森閑として胸をしめつけられる悲哀がただよう。街の魂が抜けてるのだ。もう人なら洋服もはだけて呆然として歩くボケ老人を思わせる。やがて一つ、一つと商店は店を閉め、病は重篤になっていく。かっては電光看板で、人を招き寄せた看板もこわされ、なかの蛍光灯がむきだしになっている。

 花は墓標を思わせる歩道の車止めのまえに、他界した身内の霊にささげられたようにみえるのである。街は死ぬのだろうか。死んだ街を美しくするのは、花ではなく生命のあらたな誕生なのに。
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