市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

チケット売り

2005-03-30 | Weblog
 手提げバッグをもって、はじめに子育て支援のNPOの事務所にチケット売りに入った。すると一人が、そのバックにはなにが入ってるの~と聞くのでいつ家内から追い出されても間に合うようにというと、爆笑。三人の主婦たちは、これなら亭主も数日はすごせるわねと、話が弾んだ。なんでもやる、もう止められるものはいないという、主婦の勢いをぼくは感じてしまった。

 現代美術のキューレターをめざしているウエイトレスは、あら、かわいいとバッグに注意をはらった。チケット売りの終わりは行きつけの喫茶ウイングであったが、ここではモバやテイトギャラリー、パリ、バリ島、と美術や雑貨好きの高校教師の知人が、いいじゃんとほめてくれた。なになに、いい年こいてバッグの自慢かよ、ちょっと待って、そうじゃなくて、話はこうなんだ。

 じつはこのバッグ、100円均一の店で家内がみつけ、ぼくに持たせたものであった。これほど注目をあつめる品とは思いもつかなかった。デパートでも専門店でも、このバッグの登場するステージが違えば、それなりの価格で売れていくだろう。ステージと商品が、コンテンツ(商品の情報)を生み出し、それを購入する消費行動を、ぼくらは無意識のうちにやるようになった。

 このセンスが、藝術とか、文化とかの商品にむかうと、なぜ働かないのか、情けない。メディアがたいこたたくものなら、なんにでも飛びついて不当な代価を払っている現状はまだ変わってない。ただ、県立劇場、美術館の催しもだんだん観客数が減少してきているから、ここもダイエーのように商品を映えさせるステージが崩壊していく気配は感じられる。百均でコンテンツ商品を発見するような藝術消費行動が、やがて芽生えてくる可能性をわずかながら感じつつ、今日もまたこのバッグのようなチケット売りにまわった。
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