市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

東国原知事の論理に感銘

2007-05-25 | Weblog
 今朝の朝日新聞に、県庁前にある宮崎県文書館を、カフェに転用したいという東国原知事の意向が、大きく報じられていた。同館は、大正時代に建設された赤レンガの壁面を持った旧勧業銀行であった。今ではもう宮崎市街に残る唯一の歴史的建造物になっていた。ここをカフェにして、旧県庁舎と対にした観光のスポットとするというのだ。今、知事の全国的人気で、昭和8年に建てられた旧県庁舎にも連日、観光バスが訪れる。街は人が往来してこそ活性化される。この街をみる視点のなんと論理的であることだろうか。バブル期以後、衰退をつづける中心市街地にはじめて論理による目が注がれたかと感無量を覚えたのである。

 これを宮崎市の街づくり、美しい景観をつくるという施策とくらべると、いかに東国原知事の発想が理にあってるかが理解できよう。看板を規制して、道路に花を植えて、街が美しくなるとは、あまりに視野が狭い。きれいだと言われる道路ほど
人が往来していないのだ。たとえば芸術劇場前から公立大キャンパスに沿う道路、大淀河畔の橘公園、鉄道高架に沿って4キロほども整備されたアートを飾った道路
カラー舗装で覆われた上野町商店街、郊外の整備された住宅地などなど、人出と景観度は反比例している現実を見るべきだ。そういう視点が論理なのだ。

 多分、知事の発想は、理解もされずに奇想として退けられるだろう。もし、そうでなければ、市民に改革の意識が芽生えだしたのだということが出来るであろうかと、楽しみにしている。

 
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