市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

映画祭も始まって

2006-06-12 | Weblog
 今朝は、ピザトーストと味噌汁、コーヒーだった。土曜から映画祭が始まり、土、日と朝食のほかは外食ですました。炊事、掃除はいやではないが、やりだすとあっという間に、午前中も終わってしまう。時間が問題だ。
 
 今朝の朝日朝刊一面に「闘病記ライブラリー」というサイトが公開されたと大きく報じられていた。日曜にはがん患者の専用サイトの紹介もあった。情報を患者も収集、分析し医者と共同作業をすべきと、このブログに書いた後である。「がん、癌、闘病記」と複合検索すると30万件以上が、「闘病記」ではあらゆる病気の闘病記が100万件以上でてくる。そういう時代なのである。炊事、家事に沿う時間がかけられないのだ。それは主婦も同じである。

 映画祭で「Touch the Sound」「鴛鴦(おしどり)歌合戦」「パリところどころ」を観た。いずれもA級の作品でかつ面白くかんがえさせられた。去年は、ぼろくそに
受賞作品群をこきおろしたが、今回は、受賞作品ではないが、秀逸である。ぼくの予感は当たったと思う。短評を加えたいが、まずは、「タッチ・ザ・サウンド」
 
 音は聴かれるばかりでなく触れられるといい、いやまさにこの映画のように見られもする。この映像もすばらしい。聴覚をしだいに失った音楽家の体験を通しながら音がいかに人の魂、感覚に訴えられるかを実証的に示した記録映画であった。哲学的でもあり思想的でもある。どうじにきわめて納得できる科学的実証性もあった。NHK好きの感覚一本やりの自慰的作品とは違うドイツ作品だ。ヒロインの英語がすばらしい。すこしなれた人なら80パーセントは聴きとれるだろう。

 音を通して人の生きることのすばらしさを賛歌するドキュメントであった。最近見た映画で、さまざまの示唆を与えられたすばらしい作品であった。

 とくにぼくの関心を引いたのは、ベルリン、ニューヨーク、東京の文明都市の音の違い、そして自然のさまざまの音との同時展開である。音、いずれがいいとは言ってない。自然賛歌でも文明批判でもない。音はエネルギーとして、個性的にただ存在するという提示であった。これはぼくに都市論の一つの視点をあたえてくれたのである。

 17日夜にトークするぼくの都市デザインのスライドショーに参考になった。都市の景観を単純なモラルだけで批判する視点のくそであることを照明できる。




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