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市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

自転車ぶらり 天候不順

2009-07-06 | 自転車



 自転車でぶらぶらする日がなかなか見つからなくなっていた。ようやくちょっと暇になったので、今のうちにと7月5日の土曜日、午後2時ごろでかけたが、この日もまたかなりの南東の風が吹く、曇天の午後であった。その前は5月17日の日曜であったが異常に蒸し暑い日であった。おまけに南西の風がつよい。南からの風はいつも湿っていて、蒸し暑さをいっそう不快にする。

 ただ、こんな日は、人も車もいっさい見えない道路を走れるので、これは快適である。こういうときは、自転車ではしりながら、ひたすら考えている。かんがえに集中していけるのだ。しかしそれは、体力に余裕がある限りであり、疲労感に襲われると、考えることなど出来なくなる。

 この前の日曜、青島へ向かったときはそうだった。風はほとんど正面から吹きつけ、出発前から、自転車の手入れに手間取って汗みどろになり、すでに疲労状態でもあった。気分転換にシャワーを浴び、いざ出かけようとしたら、今から汗かくのになんでシャワーなど浴びるのね、贅沢なと家内に非難され、普通なら気にもとめないのだが、いらいらしてしまって、外に出たわけである。この不快感をいっそう
不快にする、この向かい風、蒸し暑い午後2時の曇天と、これははじめから気分もなえた感じであった。

 結局は、この日もまた目的地の天空ジールには到達できなくて、青島運動公園ちかくの忠太郎うどん屋の近くのジョイフルで、カキ氷を取って、しばし休憩、そのまま引返した。途中、東宮花の森団地に住む孫のところに行って、かれと公園でしばらくサッカーボールで遊び、家でお茶のんでいったらという孫にいやこんどねと
分かれてふたたび走りだした。途中、ひまわりの植樹を見た。

 自転車を乗ればいつでもおもしろく、快適ということばかりではない。これもまた人生であろうか。
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自転車ぶらぶら散歩 ヒムカ・チリ 2-1 まるで詩

2009-05-01 | 自転車
 マンゴの生産ハウス群から引き返すことにしたが、そのまま山崎街道に入り、そこから右折して、国道10号線に入って、平和が丘団地へ向かうのだが、いったいどこを走っているのか見当もつかず、はるか南の双山石のほうへとにかく走っていると、やがて人家が並ぶとおりに出た。五月の鯉幟が、庭に翻っている。真新しく大きな鯉が5匹も風になびいている。この家は純和風のお城のような家で、今どきまだこんな瓦屋根の日本建築を建てうる棟梁もいるのだなと感心する。と、その斜め前の家は、スペイン風の洋風住宅で、ベストを着た中年の紳士がゴルフの練習をしていた。
 
 その道路は、生垣がつづき、その切れ目つまり門のようなところに看板が立っていて「ひだまり2号館」と墨で書いてあった。なんだこれ?と思ってよくみると老人福祉施設とあった。グループホームかデイケアセンターのようであるが、人影はなかった。ひだまりとはねえ、なるほど、そして2号館という絶妙のネーミングにはおもわず笑いださずにはおれなかった。1号館ではまだ現役すぎるのだ。3号館ではもう終わってしまうし、そこで2号館、この田舎道の生垣の中のひだまり。

 おれはこういう施設に素直に入れるだろうか、いや入れるような老人になれるようにしなければ、これが若い世代への恩返しかもと、気分がすこし落ち込んではしっていると、きれいな喫茶店が、この藪が切れたところで、目に入った。ちかづくと、それは女性用の衣料、下着などを中心にした雑貨店であった。カーテンで窓は覆われて開店しているようでもなかったが、営業中とあった。その駐車場で垢抜けしたジーパン姿の若い女性が3歳くらいの男の子と遊んでいる。おそらく客も来ないので店の外であそんでいるのだと、思った。

 そこで自転車を止め、降りて近づいて、声をかけると、はじめて彼女は顔をあげた。目鼻たちのくっきりした色白の美人であった。お店には、普通の輸入雑貨もあるんですか聞くと、ありますというので、入っていいですかというと、いいでしょうというので、あなたが、このお店の社長さんですかというと、家、私は遊んでいただけで、社長さんは中にいますよと気さくに教えてもらえた。
 
 玄関ドアをぐっと押すと、開いた目の先にカウンターがあり、客一人と話こんでいたのが、細身の中年女性で、おどろいたようにぼくを見たのが社長さんであった。みていいですかというと、どうぞ、どちらからおいでですか、市内からです。いや、こういう場所に輸入雑貨があるとは、おどろきです、で中を拝見したくてと説明すると、微笑んでどうぞと招いてもらったわけだ。

 おどろいたのは、婦人服だけでもびっしりと下がっており、装飾品の宝石から置物、人形、コーヒー、紅茶のセットもかなりのレベルのものが数セットある。そして万年筆が目に付いておどろいたら、それは携帯用箸であった。これはおもしろい作品で、値段も1500円ほどだった。雑貨は、予想以上に種類も量もあり、かつ洗練されているではないか。平たい石に模様を描き、飾りにしたものが、棚の品物のわきにひそかに置かれていた。彼女が、近くの浜辺で拾った石を彩色デザインしたという、好きなのだな雑貨が、とおもえたのだ。最後にいつから開業され、客の入り具合はと聞きたかったが、聞くのはためらわれた。と、おどろくことを彼女は言ったのだ。

 「ここにお店を開いて18年になりますのよ」と。「えっ!18年、この同じ場所にですか!」「え、ただ今年駐車場を広げ、店も改装し、ひろげましたけど」

 常連もついているということだった。だれも気づかない、だれもわすれているような場所に今流行のセレクトショップが、店を開いている、18年間も、これが人生ではないかと、おもわず青空が広がったような興奮が湧き上がってきたのである。
そして思い出したロートレアモンの詩で、手術台の上で蝙蝠傘と洗面器だったかが挨拶しているとかなんとか、この組み合わせの不思議さを歌った詩をである。人生は深いよね。
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自転車ぶらぶら散歩 ヒムカ・チリ 2 グローバリゼーション

2009-04-30 | 自転車
 天皇誕生日の日、ぼくは豚インフルエンザのニュースで思い立って,ふたたびヒムカ・チリに自転車で向かっていった。晴天、気温20度くらい、申し分のない気温ではあるが、向かい風が一寸きつい。山崎街道をイオンの前でわき道にそれ、3間道路の旧道を走る。ここはもう家屋が立ち並び、風が避けられるからであった。行く先は、5年以上も前、廃墟に化し、藪と草に覆われ、さび付いた鎖でゲートが閉じられて立ち入り禁止とあった養鶏場跡であった。ただ、道路はもういっぺんしていてもはや養鶏場を探し出すことはできなかった。とうとうあきらめてひたすら北へむかって走る。

 やがて前後左右がひろびろとなり、東にホテル45が積み木のように見える辺りまでくると、ビニールハウスが、工場のように並んでいる畑地に入り込んできた。舗装道路にそって100メートルほどの長さのビニールハウスがならび、道路とハウスの中でただ一人だけ、作業着の女性が、掃除をしているのが遠くに見えた。ここだけみると、まるで沖電気か富士通の工場をみるかのようであった。なにをしているのですかと、訪ねると、去年の秋に植えたキュウリがもう終るの、植え替えの準備ということであった。道路を挟んで向かいのビニールハウス棟はマンゴーだとおしえてもらえた。

 この道路は300メートルほどで低い土手とT字に交差して左右は砂地の一メートルほどの小道と変わっていた。その砂地から振り返ると、遠くにハウス棟が水平に並んできらきらと光っている。そこまでは、何町歩という広い煙草の栽培地だった。マンゴーも煙草も数年まえまではここらにはなかった。今まさに工場化され、ひょっとしたら一個20万円もする日向太陽マンゴーが収穫可能になるかもしれないと思うと、手作り野菜がどうとか、自然や大地の恵みとか、そんなセンチンタルなことを言っている場合かというようなグローバリゼーション化のなかの農業の迫力を感じざるを得なった。

 14,5年前まだ宮崎市近郊ではマンゴーがあまりみられなかったころ、西都市に近い那珂で、マンゴーのハウス栽培に取り組んでいた人をたずねたことがあった。コンピュータ制御のマイクロスプリンクラーで施肥をし、温度センサーで自動開閉する一棟1000万円余の50メートルほどの長さのハウス3棟で、この人は自動車工場を畳んで、この土地でマンゴーを製産しだしていた。あとでマンゴーシャーベットをご馳走になり、その美味におどろいた。しかし、どうなるやらというだけで未来の豊穣など、想像もできなかったことを思いだした。まさにその時代が来たのであるのか、この辺りまでマンゴーハウスが進出してきていたとはと、あらためて驚いたのであった。

























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自転車ぶらぶら散歩 ヒムカ・チリ 1

2009-04-26 | 自転車
 宮崎市の一ツ葉大橋を北へ400メートル大きな十字路を渡ると、山崎街道という4車線中央分離帯のあるバイパスがつづく、イオンモールがあり、ファミリーレストランやコンビニ、大型電気店などを過ぎ、10キロも走るとやがてシーガイア、フェニックス動物園と観光スポットが道路の右側(海岸側)に並ぶのが見える。左側は、一面の畑地が広がり、その中には、さまざまの近代化の施設が混在してひろがっている。ここを、ぼくはヒムカ・チリとひそかに命名しているのだ。映画で見たことのあるチリの風景を連想させるからである。今日もまた、自転車に乗ってここを散歩してきた。

 決まったコースはなく、大体はあっちに丘が見えるからそっちに行こうという感じで走るわけだ。今日はビニールハウス群が目に入ったので、ビニールハウスの中を覗きたくなって行ったのだ。稲の苗の育種会社という看板があり、その社長宅というのが、和風作りのそり屋根の堂々たる住宅であった。まさに日本伝統家屋と、苗育種工場というべきビニールハウスの対比がおもしろかった。鉄骨で体育館ほどあるのが、巨大な扇風機をはめ込まれ換気されていた。その音と芝生のように育っている苗は、まさに工場生産施設であった。

 日射を受けてまばゆいばかりに光り、暖房用の機器を備え、煙突の突き出たビニールハウスの列を眺めていると、食料はまさに大地を離れて人工合成品ではないかと思えるのだった。農村を工場にしようとすれば、このような光景になる。今に手作りのキャベツとかピーマンとか大根とかが、もてはやされる時代となり、金持ちだけが手作り野菜をくうことになるようだ。

 そこを抜けて走っていると、とつぜん鳥居がくっついた一般住宅が目に入ったのであった。これは、このまえも見た。こんな組み合わせは、そう珍しいものではないらしい。かってこのあたりは、林やあぜ道や水路があった農村風景の集落であったのだろう。その氏神が写真のようになったのだ。くっついているのは住宅でなくて「ふれあいホール」という公民館である。そのなんともいいようもない美的感覚に驚かされる。どうして、こういう発想ができるのか、不思議なほどである。美とかアートとか、そんな感覚は一切不要という日常性が衝撃的である。画像はクリックしてください!
 
こんな光景は、観光地では、目にできない。日常を越えるというのがいい。これがチリの光景になっているのだ。チリの近代化と似ているのだ。
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自転車の土曜日

2008-09-29 | 自転車
 天満橋の南の天神山を越えて、大坪町に入る道路が、終点まで完成したと聞いていたので、土曜に自転車で走った。ここは3年前はまだススキぼうぼうの野原にちかかった。ピンピという喫茶店と、その前にたこ焼きの店があったばかりだ。この荒涼たる光景がたまらなく快感で、なんどかここに来て、夢という意味のアフリカ語という喫茶店「ピンピ」で、どんぶりほどもあるコーヒーカップの自家焙煎のコーヒーを、何でこんな大きなカップなんかと、面白く感じてのんだりしていた。

 この道路は、2キロほどで宮崎市西環状線というバイパスで止まっていて、その先は、また古城、加納の野が低い丘にはさまれて、はるかに伸びていた。そこがまた魅惑的であったが、走る道路は無かったので、ただ眺めては帰っていた。そこに道路が出来たと聞いたので、飛びついたというわけである。

 この道路は楽しめる。岡を切り裂き、田畑に高速道路とまちがうほどの真っ白の道路がゆるいカーブと勾配でつづく。森の名残があり、墓地があり、小川もあり、波のようにかさなる新建材の戸建住宅が、丘の斜面につらなり、白亜のビルの群れが谷のかなたに遠望できるという具合である。文明が自然を切り裂くのは環境破壊なのか、あたらしい景観の創出なのか、ここがどうしようもない快楽に飲み込まれる次第であった。

 この道路には、3メートルを優にこえた歩道部分があるのだ。それも車道とおなじなめらかなアスファルト舗装だ。ここが自転車にとってすごいことになる。たぶん設計者は、自転車のことなど頭にはなかったであろうが。自転車専用につくられたサイクリング道路の舗装は、自動車走行面の舗装よりかなり劣っている、自転車は自動車より軽くて、のろくて、この程度で十分という発想があるからだ。舗装は、自動車の運転する者よりも自転車をこぐ者の身体には、びしびしと影響するのだ。ここのとろろは経験者しかわからないだろう。

 この道路は池田台団地を貫いて終っている。ぼくは、この道路を、これからは
何年も自転車専用どうろとして楽しめるようだ。歩く人はいず、自転車走行も一台も見なかった。両脇に家屋もなく、これからも出来そうもない。だから、これからも走るのは、かなりぼくのようなヤツしかいないわけだ。ぼくのために出来たようなものではないかと、こんなに楽しんでいいのかと申し訳なく感じたのであった。

 願わくは、カフェかレストランも、この道路わきに出来たらと思う。欲望もほどほどにせんかと、天から叱られそうな土曜に午後であった。
 
コメント (2)
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