ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

産業立国を担ってきたもの

2005-01-16 09:30:32 | 大学
昨日は、大学入試センター試験の試験監督。とりあえず、何事もなく無事終了してよかった。
昨日の試験は、外国語、歴史地理、理科の3教科(総合理科と物理、化学・地学、生物)が行われた。試験監督をしながら、どの教科についても問題冊子の中身をパラパラとめくってみる。自分が受験生の立場になって問題を解いてみると仮定すると、外国語(英語)は問題ないが(笑)、歴史地理は大きな流れはともかくひとつひとつの細かな設問には到底正解が出せない。理科にいたっては、そういえば数十年前にこういう内容を教わったなあ、ということを思い起こすだけで、正解を考えてみようという気にもならない。このような、普段自分があまり興味を持って接していない分野が膨大にあって、それぞれの学問領域に膨大な専門家群がいて、そこからさらにそれぞれの産業分野につながっていて、それが私たちの生活を支えている、ということに、一瞬、思いを馳せる。明治期以降の日本は、物理や化学や地学や生物の知識の吸収・発見と応用によって、現代のような産業社会を築いてきているのである。日本の教育が優秀な労働力を育てることを目的としてきたということはよく指摘されるところだが、なるほど、このような学校教育の中身があって、それらをある程度常識として身につけて社会に出る国民がいれば、GNPの上昇に直結するだろう、という感想を抱く。教育は、まぎれもなく国策である。そのことを前提に、次の50年、100年の国策を考えなければならないと改めて思う。当然、「国」がすべての基本になるという考え方も議論の対象とすべきだろうし。以上、中途半端な感想だが、「センター試験」の日に考えていたこととして記しておく。
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