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曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

学生による授業評価と教員相互の授業評価

2005-11-23 09:59:03 | 大学
以下、基本的には大学内部の話題だが、昨今の大学はこのようなことを行っている、という話題。
(なお、私は昨今の大学しか知らない。)

いまは、どこの大学でもFD(ファカルティ・ディヴェロップメント)ということがさかんに言われている。
もともとFDとは、大学の教育研究能力を向上させる活動一般のことを指す言葉だったようだが、現在は、ほぼ、「授業改善」と同義に使われていることが多いようだ。

(蛇足)このあたりは、例えば、企業の「リストラクチャリング」という言葉が、いつのまにか「リストラ」になり、従業員の解雇による人件費削減を意味するようになったのと同じような事情である。

ところで、財団法人大学基準協会(JUAA)という機関があり、そこが「じゅあ」という機関誌を出している。それには、大学の評価に関する話題が毎号紹介されている(年2回発行)。
「じゅあ」No. 34の書評欄に、宇佐見寛著『大学授業の病理 FD批判』(東信堂)という書の評が載っていて(評者:星野智中央大学教授)、それには、「著者はFD活動の一環としての『学生による授業評価』には批判的であるが、その対案として教員相互の授業評価という点を提起している」とある。

たしかに、現状では(跡見に限らず)どこの大学でも、とかく「FD=授業改善=学生による授業評価」、というように短絡的にとらえられていることが多く、授業評価アンケートさえやっておけばよい、というような風潮もないではない。

前掲書において、著者は、授業改善のため、というのであれば、学生による授業評価は「回り道」である、と指摘しているという。言われてみれば、教員間の方が、問題意識も知識レベルも共通する点が多いので、授業改善のための参考にしやすいだろうことは納得がいく。

要は、多くの大学が競って取り入れているからと言うだけで、「FD=学生による授業評価」と短絡するのではなく、同じ目的を達成するためであっても別の手法の提示がさまざまに考えられてよいだろう、ということである。

さて、跡見のマネジメント学部では、教員による授業内容の報告とそれに基づいた意見交換を行う「FDワークショップ」を年に2~3回行っている。
これは、「学生による授業評価」の欠点や限界を補完するだけでなく、それ自体が、教員の、ひいては大学の教育力向上のために非常に重要な意義を持つものである、ということが出来る。
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1 コメント

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FD重視には疑問を感じる (鈴木嵩征)
2005-11-24 09:58:11


私の通っている大学でも毎学期の終了時にアンケートをとっています。

私自身も教員の方々を評価しているわけですが、思うところがあったので筆を取らせていただきました。

これにいつも思うことは、必ずしも授業のレベルを向上させることにはつながらないんだろうということです

学生が単位の取りやすい授業・楽な授業をよしと考えるならそのような授業・教授のポイントが上がるわけで、それは果たしていいことなのかと。

もちろん、ひどい授業や不公平な評価などの防止や発見にはつながるとは思うのですが。

大学と学生とでは教育の目的や求めるものが違うと思うので、そのような点でも教員同士の評価というのは効果があるのではと思いました。

個人的には、今の学生が大学をどのような位置づけで考えているのかということに、大学の一番の問題がある気がしますが。

今の大学は、大学や国側の考えと学生の考えがあまりにもずれていると思うのです。
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