ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

映画「ドリームガールズ」

2007-03-17 22:13:06 | アーツマネジメント
先日、渋谷で映画「ドリームガールズ」を観た。

ブロードウェイのヒット・ミュージカルの映画化。公開前から、ぜひ見なくては、と思っていた作品である。
と言っても、この映画のことは新聞の広告や記事などで断片的な情報が入ってくるだけで、キャスティングも含めてどういう映画なのかあまりわかっていないまま観に行った。

見終わってからオフィシャル・サイトをちょっと覗いて、以下のようなことがわかった。

・今年のアカデミー賞の助演女優賞のジェニファー・ハドソン、助演男優賞のエディ・マーフィーをはじめ、最多の6部門でノミネートされた。結局、「ドリームガールズ」は、助演女優賞を含む2部門でアカデミー賞受賞。(「ドリームガールズ」のジェニファー・ハドソンが助演女優賞に輝き、47年ぶりだかの日本人助演女優賞か、と話題になった「バベル」の菊池凛子は受賞できず。)

・監督は、何年か前にアカデミー賞候補になったミュージカル映画「シカゴ」(ロブ・マーシャル監督)で脚本を手がけていたビル・コンドン。(「シカゴ」はそのとき結局受賞はできなかったのだが。)

観終わった結果は、期待以上の出来で大満足。

非常によく出来たミュージカルである。
見ないうちは、音楽業界の内幕を描き、欲望、裏切り、嫉妬、友情、恋愛とショー・ビジネスの成功の物語だろうと思っていた。もちろん、そういう要素もあるのだが、それだけではない。

この映画のもうひとつの主役は、黒人の歌が売れることが「事件」であった60年代という時代であり、その時代に急拡大を遂げたブラック・ミュージックのビジネスのありようである。マーティン・ルーサー・キング Jr. の「I have a dream」演説も挿入される。「DREAMGIRLS」というタイトルには、キング牧師も響いているのだ。

プロデューサーのカーティスのもとで仲良し3人組の女の子「ドリーメッツ」の3人が音楽業界に足を踏み入れた当時、黒人の音楽は黒人音楽専門ラジオ局でしか放送されず、一般のヒットチャートでの注目率は非常に低かった。そして、黒人のつくった曲が平気でパクられて白人の音楽としてヒットチャートに乗るようなことが横行していた。

カーティスはそれに対抗するために、ラジオ局のDJに賄賂を贈って曲を流させるなどの汚い手口に手を染めて業界をのしあがっていく。ここで流される曲が「Steppin' to the Bad Side」。これが後のストーリー展開の伏線になる。このあたりが非常にうまい。

カーティスの戦略で、売れるためにディーナ(ビヨンセ)をリード・ボーカルにしてデビューした「ドリームズ」はたちまちスターダムに駆け上がるが、やがてエフィー(ジェニファー・ハドソン)はグループからはじき出されてしまう。

後年、「ドリームガールズ」から離脱して孤独で荒んだ暮らしをしていたエフィーを立ち直らせるきっかけになった曲「ワンナイト・オンリー」(R&B)を、カーティスが無断で「ドリームズ」のヒット曲(ディスコバージョン)に仕立て上げ、エフィーの夢をたたきつぶそうとする。この曲をつくったエフィーの弟 C.C.もカーティスの利益至上主義のやり方と衝突して長年のボスであった彼のもとを離れていたからである。

つまり、かつて白人の音楽業界の「やつら」に黒人の音楽業界は「収奪される側」だったのだが、時代は移って、今度は収奪の主役はカーティス・テイラー・Jr. その人になったのである。

このあたりの、資本主義や商業主義のリアリティはさすがアメリカ、である。
歌や魂の叫び、あるいは人間の思考や存在というものまでを、いやおうなく縛り、殺してしまうものがお金(売れること、市場、成功)だ、という視点をこれほどリアリティを持って描ける場所はアメリカしかないだろう。

商業主義を悪と決めつけて見たり、あるいは、単なるストーリーの背景としてみると、この映画の面白さは半減する。

ジェニファー・ハドソンという女優は菊池凛子とのアカデミー賞争いの話題で初めて名前を聞いた。パワフルな歌唱力は言うまでもないが、愛嬌のある顔立ちで、「困ったちゃん」ぶりを発揮しても憎めない感じがあり、よいキャスティングだと思う。

だが、この映画のキャスティングの鍵は何と言ってもビヨンセである。
歌唱力というよりはその美貌でスターダムに駆け上がった黒人歌手という主人公のキャラクターに説得力がないとこの映画は成り立たないからだ。ディーナのモデルと言われるダイアナ・ロスに負けないくらいの圧倒的なスターとしての存在感があるビヨンセの存在があってはじめてこの映画が成り立つ。

それにしても……。
実は、私は、1986年に「ドリームガールズ」の来日プロダクションによる公演を昭和女子大学人見記念講堂で見ているのだが、こんなに面白い、スリリングな構成の傑作ミュージカルだとはまったく気がつかなかった。

そのときもあらすじくらいは読んだのだろうが、そんなことくらいではまったく役に立たず、このミュージカルの中身をぜんぜん理解していなかったことが今回よくわかった。台詞を聞き取ることが出来ていないから、あらすじだけでなくこの作品のコンセプト自体がつかめず、単にパワフルな黒人女性ボーカルグループのコンサートを聴きに行ったのと同じことだったわけで、つまり、猫に小判という状態だったわけである。今思い返してみると、かなり情けないことではある。

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