今日、今年のNHKの大河ドラマ「功名が辻」が始まったようである(私は見なかったのだが)。
初回の放送に合わせて、一昨日だったか、新聞に主演の仲間由紀恵の紹介記事が載っていた。面白かったのは、仲間がいまのように注目されるようになったきっかけは、テレビの深夜帯に放送されていたドラマ「トリック」からだ、という指摘である。
やくざの箱入り娘の学校教師役が評判をとった「ごくせん」(カタカナだったかな?)はその後だし、大河ドラマは(いまの時点では)おまけのようにくっついて来たものに過ぎない。
「トリック」は、続編が何本もつくられて深夜ではない普通の時間帯でも何度か放送されているようで、私はそうなってから(多分2度ほど)見ているのだが、リアリズムのドラマとは程遠い奇妙な味わいの作品で、はまるとクセになりそうだ。
仲間の、クセのない素直な資質がそういうつくりのドラマにうまくマッチしている、というのが面白い。
さて、俳優が、ある作品をきっかけに俄然注目を浴びるという現象があって、それはよかれあしかれ、その俳優の印象を決定づけてしまう。代表的な例では「寅さん」がそれだったのだろうし。
もうちょっとマイナーなところでいくと、(俳優ではないが)井筒和幸監督が世間に知られたのは、何と言っても、「こちとら自腹じゃ」という身も蓋もないフレーズでメジャー映画を切りまくった辛口映画批評のコーナー(番組名は忘れた)が最初だろう。いまや彼はコメンテイターとしてあちこちの番組に呼ばれているが、たいていは、このときのキャラクターを想定した起用である。
もう少し前では(と言っても1994年のことだからもう12年も前になるが)、長塚京三が、「オレアナ」というセクハラ問題を正面から取り上げた舞台劇に主演したことがある(渋谷のパルコ劇場。共演は若村真由美)。この舞台は題材の特異さもあって当時かなり話題になったし舞台もヒットした。そして、このヒットのおかげで長塚京三という俳優はすっかりメジャーな俳優になった。
それまでは、もっぱら変わり種のインテリ俳優(たしかソルボンヌ出である)という扱いの、どちらかと言えば地味な俳優だったが、その後は、あっという間に押し出しのよい性格俳優に様変わりした。
「ヒット作がスターをつくる」事例としては、この例は私にとっては非常に印象深い例だ。パルコ劇場自体は400席ほどの小劇場だから、舞台そのものを見た人はせいぜい数千人程度で、そんなに数は多くないはずだが、そういう一見地味なところからでも何かのきっかけがあればスターは生まれるのだ、という意外性があったので、いまでも心に残っているのかも知れない。
初回の放送に合わせて、一昨日だったか、新聞に主演の仲間由紀恵の紹介記事が載っていた。面白かったのは、仲間がいまのように注目されるようになったきっかけは、テレビの深夜帯に放送されていたドラマ「トリック」からだ、という指摘である。
やくざの箱入り娘の学校教師役が評判をとった「ごくせん」(カタカナだったかな?)はその後だし、大河ドラマは(いまの時点では)おまけのようにくっついて来たものに過ぎない。
「トリック」は、続編が何本もつくられて深夜ではない普通の時間帯でも何度か放送されているようで、私はそうなってから(多分2度ほど)見ているのだが、リアリズムのドラマとは程遠い奇妙な味わいの作品で、はまるとクセになりそうだ。
仲間の、クセのない素直な資質がそういうつくりのドラマにうまくマッチしている、というのが面白い。
さて、俳優が、ある作品をきっかけに俄然注目を浴びるという現象があって、それはよかれあしかれ、その俳優の印象を決定づけてしまう。代表的な例では「寅さん」がそれだったのだろうし。
もうちょっとマイナーなところでいくと、(俳優ではないが)井筒和幸監督が世間に知られたのは、何と言っても、「こちとら自腹じゃ」という身も蓋もないフレーズでメジャー映画を切りまくった辛口映画批評のコーナー(番組名は忘れた)が最初だろう。いまや彼はコメンテイターとしてあちこちの番組に呼ばれているが、たいていは、このときのキャラクターを想定した起用である。
もう少し前では(と言っても1994年のことだからもう12年も前になるが)、長塚京三が、「オレアナ」というセクハラ問題を正面から取り上げた舞台劇に主演したことがある(渋谷のパルコ劇場。共演は若村真由美)。この舞台は題材の特異さもあって当時かなり話題になったし舞台もヒットした。そして、このヒットのおかげで長塚京三という俳優はすっかりメジャーな俳優になった。
それまでは、もっぱら変わり種のインテリ俳優(たしかソルボンヌ出である)という扱いの、どちらかと言えば地味な俳優だったが、その後は、あっという間に押し出しのよい性格俳優に様変わりした。
「ヒット作がスターをつくる」事例としては、この例は私にとっては非常に印象深い例だ。パルコ劇場自体は400席ほどの小劇場だから、舞台そのものを見た人はせいぜい数千人程度で、そんなに数は多くないはずだが、そういう一見地味なところからでも何かのきっかけがあればスターは生まれるのだ、という意外性があったので、いまでも心に残っているのかも知れない。
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