昨年から、早稲田大学GCOEにおいて、連続ゼミナール「〈所有〉からアートと社会の関係を考える」(通称「〈所有〉ゼミ」)が開催されている。
2年目を迎えた今年度は、これまでに前期(5回)が終わり、10月17日(月)から後期の5回が始まる。
そのための準備がいろいろな事情で押せ押せになってしまっていて、間際になって慌てて取りかかっているところではあるのだが、おかげで、私の中では、日常的に目にする事象や話題が、ほとんどすべて、〈所有〉とアートと社会の関係の変奏として見えてしまう、というような状況になっている。
以下は、その流れの中で出てきた話題。(だから、ひどく唐突に文化政策の話になっている。)
フェスティバル/トーキョーの演目のひとつ、昨日(14日)初日を迎えた宮沢章夫作・演出「トータル・リビング 1986 - 2011」をにしすがも創造舎で見てきた。
「トータル・リビング 1986 - 2011」は、1986年の東京(およびチェルノブイリ)と、2011年の東京(及び東北、フクシマ)という25年の歳月を隔てた2つの時代、場所における社会の価値観(あるいは「空気」)の変容を、ある一定の心理的距離感を保って淡々と(宮沢氏のアフタートークにおける言葉で言うと「平常心」を持って)描いた作品のように私は受け取った。
バブル期の入り口だった1986年と2011年の今を対比すると、世の中のあり方が180度変わったように感じられるのだけれど、それに対して、文化政策とかアートのあり方がそれと相同的に変化してきた、という実感を私たちは持てないのではないだろうか。むしろ、ひょっとして、メセナ(という言葉も当時まだ日本にはなかったのだが)、というものがどのようなものとして日本に紹介、導入され、現在に至るまでどのように変容してきたのか、ということの方が、この間の社会の変容とまだしもパラレルであるような気がする。
ところで、日本において、メセナとNPOという存在はそれなりに緊密な結びつきをもって来たのだけれど、これまで、それが文化政策の「本丸」(?)と考えられてきたことはなかったと言ってよいだろう。そして、そのような中心=周縁の違いがどこから来ていたのかを考えると、それは、「国」の文化政策というものがずっと「資本=ネーション=ステート」の文脈(柄谷行人「世界史の構造」など)で語られてきたからではないか、と思うのだ。
そこで、私は、それとは違うオルタナティブな文化政策が構想され、実体化される可能性はないだろうか、ということを〈所有〉ゼミの中で考えてみたいと思っている。
フェスティバル/トーキョーは、財源からいうと東京都の事業で、実行主体はアートネットワーク・ジャパンというNPOである。
多分、他にも、NPO的なるものが関わるオルタナティブな文化政策の実例を見出すことは可能だろう。(例えば、大阪の「CoCo-Room」や神戸の「ダンスボックスや鳥取の「鳥の劇場」など」)
あるいは、国の政策としてではなく、自治体の文化政策としてなら、「官民協働の文化政策」(松本茂章著)で紹介されているような京都や大阪や神戸の事例がそれなりの存在感を持って展開されてきた。
このように、NPOに限らず、いろいろなかたちで社会の中に存在する「共同体的なもの」にもっと強く照準を合わせ、それが柄谷行人のいう「アソシエーション」とどう共通点を持ち、どう違うのか、というあたりを考えてみたら結構面白いのではないかと思っている。
以上は、まだうまく整理がついていなくて、感想&思いつきを挙げたに過ぎないのだが、今後の議論の材料になればと思い、書き留めておこうと思った次第である。
2年目を迎えた今年度は、これまでに前期(5回)が終わり、10月17日(月)から後期の5回が始まる。
そのための準備がいろいろな事情で押せ押せになってしまっていて、間際になって慌てて取りかかっているところではあるのだが、おかげで、私の中では、日常的に目にする事象や話題が、ほとんどすべて、〈所有〉とアートと社会の関係の変奏として見えてしまう、というような状況になっている。
以下は、その流れの中で出てきた話題。(だから、ひどく唐突に文化政策の話になっている。)
フェスティバル/トーキョーの演目のひとつ、昨日(14日)初日を迎えた宮沢章夫作・演出「トータル・リビング 1986 - 2011」をにしすがも創造舎で見てきた。
「トータル・リビング 1986 - 2011」は、1986年の東京(およびチェルノブイリ)と、2011年の東京(及び東北、フクシマ)という25年の歳月を隔てた2つの時代、場所における社会の価値観(あるいは「空気」)の変容を、ある一定の心理的距離感を保って淡々と(宮沢氏のアフタートークにおける言葉で言うと「平常心」を持って)描いた作品のように私は受け取った。
バブル期の入り口だった1986年と2011年の今を対比すると、世の中のあり方が180度変わったように感じられるのだけれど、それに対して、文化政策とかアートのあり方がそれと相同的に変化してきた、という実感を私たちは持てないのではないだろうか。むしろ、ひょっとして、メセナ(という言葉も当時まだ日本にはなかったのだが)、というものがどのようなものとして日本に紹介、導入され、現在に至るまでどのように変容してきたのか、ということの方が、この間の社会の変容とまだしもパラレルであるような気がする。
ところで、日本において、メセナとNPOという存在はそれなりに緊密な結びつきをもって来たのだけれど、これまで、それが文化政策の「本丸」(?)と考えられてきたことはなかったと言ってよいだろう。そして、そのような中心=周縁の違いがどこから来ていたのかを考えると、それは、「国」の文化政策というものがずっと「資本=ネーション=ステート」の文脈(柄谷行人「世界史の構造」など)で語られてきたからではないか、と思うのだ。
そこで、私は、それとは違うオルタナティブな文化政策が構想され、実体化される可能性はないだろうか、ということを〈所有〉ゼミの中で考えてみたいと思っている。
フェスティバル/トーキョーは、財源からいうと東京都の事業で、実行主体はアートネットワーク・ジャパンというNPOである。
多分、他にも、NPO的なるものが関わるオルタナティブな文化政策の実例を見出すことは可能だろう。(例えば、大阪の「CoCo-Room」や神戸の「ダンスボックスや鳥取の「鳥の劇場」など」)
あるいは、国の政策としてではなく、自治体の文化政策としてなら、「官民協働の文化政策」(松本茂章著)で紹介されているような京都や大阪や神戸の事例がそれなりの存在感を持って展開されてきた。
このように、NPOに限らず、いろいろなかたちで社会の中に存在する「共同体的なもの」にもっと強く照準を合わせ、それが柄谷行人のいう「アソシエーション」とどう共通点を持ち、どう違うのか、というあたりを考えてみたら結構面白いのではないかと思っている。
以上は、まだうまく整理がついていなくて、感想&思いつきを挙げたに過ぎないのだが、今後の議論の材料になればと思い、書き留めておこうと思った次第である。