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曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

村上陽一郎「安全と安心の科学」

2008-04-19 16:11:02 | アーツマネジメント
村上陽一郎「安全と安心の科学」を読む。

安全と安心の科学 (集英社新書)
村上 陽一郎
集英社

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すでにずうーっと昔のことになるが、私が学生の頃、著者の「科学史」の授業を受けた記憶がある。その授業を通じて、私は、科学というのは普遍の真実というよりもひとつの思想である、ということに気づかされた。
なにぶん、30年ほども前の話だから、そういうように記憶している、というほかはないのであるが。

その村上氏が、なぜ「安全と安心」なのか、ということが、この本を書店で見かけたときにはなかなか結びつかなかった。
だが、なぜか手にとって購入し、読んでみることになった。

氏は、1996年に「安全学」、2003年に「安全学の現在」(いずれも青土社)という著書を出している。

例えば、著者は、交通事故を例にとって、以下のように主張する。

交通事故に関する情報は警察と保険会社に独占されている。
だが、交通事故が起こったときには、その原因を究明するための第三者機関が調査を行う必要がある。
というのも、警察も保険会社も、事故の原因を調べて、誰にどの程度責任があるのかということしか調べようとしないし、その情報は外へ出てこない。
本来、事故が起こったときに、責任を追及することと原因の究明は分けて考えられなければならない。なぜなら、事故原因の究明が次の事故を防止するからである。その意味で、事故情報は宝物のような存在である。

航空機の事故の場合は、アメリカでも日本でも、独立の第三者機関が、事故責任の追及とは別の観点から事故の原因究明のための調査を行うことになっている。それを車の場合にも適用すべきだ、ということである。

この本で取り上げられているのは、交通事故や航空機事故だけではない。
医療ミス、薬害、原子力発電所の事故など、いずれもひとの命にかかわり、ひとたびそれが起これば、社会全体に大きな不安を投げかけてしまうことがらである。

どの分野の事故であれ、重大な事故の原因にはしばしば(あるいは、ほとんど)ヒューマンエラーが介在している。
このことを前提として、安全工学の視点から、フール・プルーフ(ミスをカバーできる)やフェイル・セーフ(ミスがあっても安全)のしくみのような多重的な安全防護システムを用意しておく必要がある。
これは、人間の想像力には限界があって、あらゆる可能性を予め想定することはできないからである。

例えば、さいわい事故には至らなかったが、あと一歩で事故につながるところだった、というような「ひやり体験」をそのままにしておかないで、それを「インシデント・リポート」という形で組織に関わる全員が情報共有できるようにする。
インシデントとは、事故につながりかねないちょっとしたできごと、という意味であるが、ひとつのインシデントが、より重大な次元に至らないように防止策を講じるため、情報を共有するシステムをつくるのが「インシデント・レポート」の意味である。
これを、その場限りにしたり、外部に対して、そのことがまったく起こらなかったかのように隠蔽したりすることが、その後の重大な事故につながってしまうことになるし、そのことが組織の存廃に関わるような事態を招いたりする。

つまり、問題が深刻にならないうちにその芽をつみとるためには、事故が顕在化する前に、現場の失敗から学ぶことを習慣化することが不可欠なのである。

また、著者は別の箇所で、初めてサイバネティクスの考え方を知ったときの衝撃を記述している。
サイバネティクスという人間工学においては、例えば航空管制システムのような機械とそれを運転し制御する人間とを人間-機械系ととらえ、危機管理における人間-機械系の部品としての人間を、粗悪品としてとらえてシステムを設計するのだという。部品としての人間は、つねに良品であるとは限らないから、粗悪品であっても結果的に不具合が生じないようにあらかじめそれを計算に入れてシステムを構築する。いわば、この考え方では、「人間不信」が前提となっているのである。

以上にあげたのはほんの一例であるが、この本には、リスク・マネジメントや組織マネジメントにとって必須の知識情報がつまっている。

内容が明晰でとても読みやすい本なので、ぜひ一読をお薦めしたい。












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