ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

瀬戸内国際芸術祭2010

2010-10-18 06:40:40 | アーツマネジメント
「瀬戸内国際芸術祭」の会期も終わり近くの今になって、ようやく見に行くことが出来た。

一日しか時間が取れないので、朝一番の飛行機で高松に行き、高松港から、女木島、男木島、豊島と駆け足で巡った。(豊島は船の運航時間の関係で30分ほどしか滞在できなかったので、港近くのアートポイントを2ヶ所だけ回った。)

会期終わり近くの日曜日だったからだろうが、とても人が多かった。先週の日曜日には、豊島から宇野港へ向かう400人乗りの客船が定員オーバーで、乗客の積み残しが発生したという。ウェブのニュース記事で読んだところでは、当初芸術祭への来場者を30万人と見込んでいたところ、最終的には60万人を突破する見込になっているそうだ。

私が最初に訪れた女木島では、割とゆっくりめに時間を使えたので、ほぼすべてのアート作品を鑑賞することができた。作品として面白かったのは、No. 38のレアンドロ・エルリッヒの「不在の存在」とだまし絵風の座敷の作品。(他にもあるけれど)

しかし、作品がどうこうということとは別に、女木島が「鬼が島」と呼ばれる由来でもある大洞窟の中を探検したことと、ほぼ島全体が急斜面の山である男木島の坂の地形の上に立てられた集落と路地のありようを体験したことは、私にとって非常に印象深いものだった。

芸術祭と直接関係がある訳ではないが、考えてみれば、瀬戸内海を船で渡ったことも今回が初めてである。
このように、この芸術祭がなければ起こらなかったこと、体験しなかったこと、考えなかったこと、がいくつも起こっている。そして、それが60万人分、積み重なって行く。

たしかに、この芸術祭は、訪れる人々に、新たな発見をもたらしている。ここには、観光という発見もあるが、同時にそこには観光という消費も入り込んでいる。そのことをどう考えるか。
考える契機を与えていることの意義がとてつもなく大きいことは疑いないことではあるが、その先について、少し時間が経ってから考え直してみることにしたいと思う。






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