唐突だが、私の大学の講義では、出席を取っている。授業の最後に「レスポンスカード」(市販のB6版のカード)に、「1 この授業で重要だと思ったこと」「2 もっと知りたいと思ったこと」を短く書いて提出してもらい、それで出欠をチェックしているのである。
出席をとるとらないは教員によって流儀や考え方に違いがある。私の同僚の間でも、「大学においては授業に出席しているというだけで成績評価の点数にするのはおかしい」という意見もある。
ただし、わたしの場合は基本的に教科書を使っておらず、欠席した回の内容を学生が独力で学習することが実際上難しいという事情があるので自然と出席重視派になっている。
ところが、今日の授業では終了5分前の時点でどやどやと教室に入ってくる学生が4人いた。当然、最後に出席カードを提出すればよいということを知っているからそういう行動をとるのである(少なくとも、そう勘ぐられても仕方がない)。
学生のそういう行動は、まったく私にとっての「想定外」で、一瞬唖然としたが、次の瞬間猛烈に腹が立ってきた。そこで、(アタマの中ではほとんど激昂していたのだが、)表面上はさりげなく、「今日のレスポンスカードの3番目の項目に、授業の一番最初に説明した『地域総合○○○○債』の名前を正確に答えてください」と、普段とは違う問いを入れることにした。
追加した質問は、最初から授業を聞いていないと当然答えられない質問なので、これを入れることで例の不心得な学生たちにペナルティを与えようというつもりだったのである。
ところが、結果は、急遽追加した質問の答えがあまりにも難しすぎる名前だったので(「地域総合整備事業債」が正解)、正規に最初から授業を受けていた学生でも正解を正しく答えられたのは数人のみだった。したがって、「どうだ、まいったか」というつもりだったのだが、ペナルティとしてはまったく意味がなかった。……
まったく、今考えると我ながらあまりのばかばかしさに苦笑するのみ。それに、何と大人げない。
実は、ちょうど、朝の電車内の雑誌の中吊り広告に「05年上半期大人げない発言大賞」(だったと思う)なる見出しを見つけて、ちょっとおもしろそうだと思っていたところだった。
…というよりも、キムタクが、「オレ、ちいせえ~」(アレ、「ちっちぇえ~」だったか)と言っているCM。まさにアレだな。
(と、思わず自分をキムタクになぞらえてしまっているのも我ながらとても正気の沙汰とは思えないのではあるが…)
まあ、しかし、最後に入ってきた学生諸君に言っておきたいのは、そんな「目先の小さな利益を求める」ような行動はやめなさい、ということである(注:ここでは私は性悪説に立っている。ほんとうにやむを得ない事情で遅れてくるという場合もないとは言えないのだが……。しかし、いっぺんに4人も?)。それでもらえる「出席点」なんて、小さい小さい、ゴミみたいに小さい。そうじゃない? それに(学生名は特定できなかったが)教員の心証は極端に悪化している。その行為によってあなたたちが得ようとしたものと実際に得られたもの(マイナスの成果)をじっくり比較してみてほしい。
何にせよ、人生において、「みっともない」ことはやらない方がいい。
あ、またまた、ちょっとカッコつけちゃったみたいだが、これは、たしか、いつぞや朝日新聞の書評で紹介されていた著書の中で村上陽一郎先生がおっしゃっていたことそのまま、であった(再度苦笑)。
こういう、傍目にも「みっともない」態度の学生に対しては、こちらとしても、もうちょっとスマートな対抗策を考えておきたい。大学には、学生の質を保証するという社会的責任があるのだから。というか、これはそういうプラクティカルなことではなく、大人としての節度をわきまえるという「教養」のレベルの話である。これはマジでそう思う。
補足)以下、蛇足ではあるが、大学の授業の様子がわからない人は、何故その不心得な学生たちにその場で注意するなり何なりしないのか、と疑問に思われるかも知れない。学生が授業の途中で(トイレか携帯かのために)中座するのはごく日常的な光景である。それが1人であろうが2人であろうが、教員はそういうことにいちいち頓着したりはしない。ということは、新しく教室に入って来た学生が遅刻なのか再入室なのかを見極めるには持ち物を観察しなくてはならず、100人を超える受講生全員に向かって講義をしている最中にそんなことに注意を払わなくてはならないのは教員にとって不条理以外の何ものでもない。今回の場合は、4人揃って、という目立つ入り方だったので、これは中座の後の再入室ではないだろう、と思ったのだが、さりとてその確証があるわけではない、という次第であった。(蛇足終わり)
出席をとるとらないは教員によって流儀や考え方に違いがある。私の同僚の間でも、「大学においては授業に出席しているというだけで成績評価の点数にするのはおかしい」という意見もある。
ただし、わたしの場合は基本的に教科書を使っておらず、欠席した回の内容を学生が独力で学習することが実際上難しいという事情があるので自然と出席重視派になっている。
ところが、今日の授業では終了5分前の時点でどやどやと教室に入ってくる学生が4人いた。当然、最後に出席カードを提出すればよいということを知っているからそういう行動をとるのである(少なくとも、そう勘ぐられても仕方がない)。
学生のそういう行動は、まったく私にとっての「想定外」で、一瞬唖然としたが、次の瞬間猛烈に腹が立ってきた。そこで、(アタマの中ではほとんど激昂していたのだが、)表面上はさりげなく、「今日のレスポンスカードの3番目の項目に、授業の一番最初に説明した『地域総合○○○○債』の名前を正確に答えてください」と、普段とは違う問いを入れることにした。
追加した質問は、最初から授業を聞いていないと当然答えられない質問なので、これを入れることで例の不心得な学生たちにペナルティを与えようというつもりだったのである。
ところが、結果は、急遽追加した質問の答えがあまりにも難しすぎる名前だったので(「地域総合整備事業債」が正解)、正規に最初から授業を受けていた学生でも正解を正しく答えられたのは数人のみだった。したがって、「どうだ、まいったか」というつもりだったのだが、ペナルティとしてはまったく意味がなかった。……
まったく、今考えると我ながらあまりのばかばかしさに苦笑するのみ。それに、何と大人げない。
実は、ちょうど、朝の電車内の雑誌の中吊り広告に「05年上半期大人げない発言大賞」(だったと思う)なる見出しを見つけて、ちょっとおもしろそうだと思っていたところだった。
…というよりも、キムタクが、「オレ、ちいせえ~」(アレ、「ちっちぇえ~」だったか)と言っているCM。まさにアレだな。
(と、思わず自分をキムタクになぞらえてしまっているのも我ながらとても正気の沙汰とは思えないのではあるが…)
まあ、しかし、最後に入ってきた学生諸君に言っておきたいのは、そんな「目先の小さな利益を求める」ような行動はやめなさい、ということである(注:ここでは私は性悪説に立っている。ほんとうにやむを得ない事情で遅れてくるという場合もないとは言えないのだが……。しかし、いっぺんに4人も?)。それでもらえる「出席点」なんて、小さい小さい、ゴミみたいに小さい。そうじゃない? それに(学生名は特定できなかったが)教員の心証は極端に悪化している。その行為によってあなたたちが得ようとしたものと実際に得られたもの(マイナスの成果)をじっくり比較してみてほしい。
何にせよ、人生において、「みっともない」ことはやらない方がいい。
あ、またまた、ちょっとカッコつけちゃったみたいだが、これは、たしか、いつぞや朝日新聞の書評で紹介されていた著書の中で村上陽一郎先生がおっしゃっていたことそのまま、であった(再度苦笑)。
asahi.com 書評 やりなおし教養講座 [著]村上陽一郎 [掲載]2005年02月20日 [評者]鷲田清一 NTT出版 |
こういう、傍目にも「みっともない」態度の学生に対しては、こちらとしても、もうちょっとスマートな対抗策を考えておきたい。大学には、学生の質を保証するという社会的責任があるのだから。というか、これはそういうプラクティカルなことではなく、大人としての節度をわきまえるという「教養」のレベルの話である。これはマジでそう思う。
補足)以下、蛇足ではあるが、大学の授業の様子がわからない人は、何故その不心得な学生たちにその場で注意するなり何なりしないのか、と疑問に思われるかも知れない。学生が授業の途中で(トイレか携帯かのために)中座するのはごく日常的な光景である。それが1人であろうが2人であろうが、教員はそういうことにいちいち頓着したりはしない。ということは、新しく教室に入って来た学生が遅刻なのか再入室なのかを見極めるには持ち物を観察しなくてはならず、100人を超える受講生全員に向かって講義をしている最中にそんなことに注意を払わなくてはならないのは教員にとって不条理以外の何ものでもない。今回の場合は、4人揃って、という目立つ入り方だったので、これは中座の後の再入室ではないだろう、と思ったのだが、さりとてその確証があるわけではない、という次第であった。(蛇足終わり)
いずれにしてもお疲れさまです。他人事とは思えません。
今関わっている授業で、ある一人の受講生の度肝を抜く行動に苦戦を強いられており、他人事とは思えませんでした。
自分が受講するという約束ゴトにたいし、受講生の大人な態度を希望します。
それにしても・・自分の大学時代を思い出すと冷や汗噴出です・・・。自分が経験してみなければ分からないことが沢山あるものですね。