ときどき、ドキドキ。ときどき、ふとどき。

曽田修司の備忘録&日々の発見報告集

さいたまネクストシアター「真田風雲録」

2009-10-16 20:42:03 | アーツマネジメント
15日(木)、彩の国さいたま芸術劇場で、福田善之作、蜷川幸雄演出「真田風雲録」の初日公演を観た。

同劇場では、芸術監督である蜷川さんの発案で、2006年から劇団「彩の国ゴールドシアター」をつくり、これまでに何作か公演を行っている。プロの俳優ではなく、高齢者の素人の人たちをオーディションで選んで、彼らが俳優として舞台に出る。わたしは、ゴールドシアターの公演本番は観たことがないのだが、聞くところによると、この素人劇団はすこぶる評判がいい。
実は、昨年、稽古風景を少しだけ見せてもらったことがあって、動きやセリフに多少おぼつかないところは見られるものの、新たな挑戦に真っ向から取り組んでいるところは、見ている側が勇気をもらえる。

今回のネクストシアターも、15日間のオーディションを行って、千人を超える志望者の中から、男27人、女17人の計44人の俳優を選んだという。

このように、彩の国さいたま芸術劇場という公立劇場が、いわば専属の劇団を自前でもってしまって、プロの劇団に比べても遜色のない舞台をつくりあげて継続的に上演を行っているというのは驚くに値する。
公立劇場のあり方として、単に「いい舞台をつくっていればいい」ということだけではなく、演劇という表現手段を使って高齢者や若者が自己チャレンジをする機会をつくり、彼(彼女)らの能力開発に大きな貢献をしているのは、公立劇場の存在意義の示し方として非常にユニークだし、誇ってよいものだと思う。
多分、外国にも類例を探すのは難しいだろう。

さて、「真田風雲録」である。

そもそもは、安保闘争直後の1962年に初演された伝説の舞台である。
大阪冬の陣、夏の陣において、豊臣方に終結した浪人衆のうち、「真田十勇士」と呼ばれた面々の活躍ぶりを描く。

この舞台の眼目は、作中に描かれる真田十勇士の英雄的な、しかし、絶望的な戦いが、当時の安保闘争を戦う闘士たちの現実と二重写しになるところである。

舞台が始まると、ステージ上には本物の泥が敷き詰められて泥んこの田んぼ状になっており、その上を、オーディションで選ばれた若者たちが、所狭しと走り回り、はつらつとした演技を見せる。
関が原の戦いのあとで出会った真田十人衆が、14年後の大阪冬の陣で大暴れする様子が、ときに笑いもとりつつ、戯画調で描かれる。
若者たちに混じって、横田栄司、沢竜二、原康義、山本道子、妹尾正文というプロの実力派の俳優たちがはいって要所を締めている。

淀君と秀頼(息子を溺愛する母と脱マザコンをはかる息子)の造形は秀逸であった。映画やテレビドラマでは常に美人女優が演じる役柄の淀君と千姫をわざと美女として描かないのが蜷川流で、これは結構笑えた。

俳優は、どの俳優も個性を生かした力演を見せているが、蜷川演出の特徴である映像的な処理が随所に施されている。
たとえば、合戦の殺陣のスローモーションや、ラストで猿飛佐助が舞台上を何周も走り続けることによってどこまでも野山を疾走し続けるさまを表現するなど。
また、歌舞伎「俊寛」で使われるのと同様だが、書き割りパネルの大阪城がだんだん大きくなって距離が近づいてきたことを示す手法など、さすがに観客を楽しませる見せ方は練達の技だ。

今回、通常の客席は使わず、通常の舞台のうえに仮設の客席を組んでいる(インサイドシアターという名称をつけていた)。
舞台スペースの背後にある大きな衝立状のパネルが横に開くと、仮設の客席から見て正面に、誰も座っていない通常の劇場の客席が見える。最後、背後の衝立パネルが開くと、戦死した真田隊の仲間たちが客席のそこここに立っていて、疾走する佐助を見守る図となる。シンプルな場面だが、それを見ている観客の頭のなかにうかぶ映像はとても美しい。

カーテンコールで、プロの俳優たちが最後に登場して拍手をもらうが、その後は特に前の中央に出てきたりせず、ずっと後列にとどまっていたのが印象的だった(彼らは、主役でなく助っ人なのだ)。

こんな風に、年に何本も、自分のやりたいことをやりたいようにできるのだから、蜷川さんはほんとうにうらやましい、という感想を持った。









コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 津村記久子「十二月の窓辺」 | トップ | 映画「わたし出すわ」 »

コメントを投稿

アーツマネジメント」カテゴリの最新記事