ひとつ前の記事の続き。
高萩さんの本を一読した感想は、これは単なる成功体験本ではなく、自分自身と長く対話をしながら書かれたものなんだなあ、というものであった。
この本の前書き(「はじめに」)に、「僕は自分の80年代のことについて今まで何度か書こうとしたが書けなかった」とある。それは、「うまく距離感が取れない感じ」(だから)、と続く。
なるほど、誰に、何を伝えたいのかが決まらないと、ただ自分のことを書くと言っても書けないものなのだ、ということがわかった。
この本は、東大の劇研で野田秀樹らとともに劇団夢の遊眠社を立ち上げてから、92年に劇団が解散するまで、そして、その後、東京グローブ座、世田谷パブリックシアターでの活動を経て、昨年4月から東京芸術劇場副館長になって現在に至るまで、30年以上にわたる高萩さんの演劇界での仕事について書かれている。
最初は演出家になりたかった、と書かれているが、結局のところ、劇団の制作という役割を引き受けて、夢の遊眠社という劇団のみならず、日本の演劇界全体のその後にも少なからぬ影響を与えるほどの仕事ぶりを発揮したのが高萩さんだった。
遊眠社は、最初は東大駒場キャンパスの駒場小劇場で公演していたが、それが大人気を博し、その後、新宿のモリエールでの公演での成功(黒字)をきっかけに本格的に外部の劇場での公演を開始し、その後、相次いで本多劇場、紀伊国屋ホールへ進出。80年代当時、遊眠社のあとに第三舞台などの人気劇団が続々と輩出して「小劇場すごろく」と呼ばれたことがあるが、そのような若手劇団の成功モデルをつくったのが夢の遊眠社だったのである。
劇団の中で制作という職能が確立されていなかった時代に、無名の若手劇団を売り出し、成長させる専門スタッフとしての高萩さんの突出ぶりは、今から振り返ってみても、その異能ぶりが際立っている。
特に驚かされるのが、昔の出来事を記憶に頼って書いているのではなく、自分のメモや資料がきちんと残っていて、それを参考にしながらひとつひとうのエピソードが記述されていることだ。役者スタッフお金のことが細かく記録されているのは制作という職能ゆえのことだが、よほど優秀でまめでなければここまで記録が残っていないだろう、と思わせる。
中身を読み進めていくと、途中、つくば万博、代々木第一体育館での一日26,000人の観客を集めた「石舞台星七変化(ストーンヘンジ)三部作」公演、パルテノン多摩での野外公演など、いかにも80年代という時代を思わせるエピソードが出てくる。当時、演劇の公演に大手企業がスポンサーになるなど、誰も考えもしなかったのだが、これも夢の遊眠社がさきがけとなった。この点でも、たしかに遊眠社は時代の先頭を走っていた。
野田さんがパルコ劇場の舞台セットのはしごから落ちて休演したことによるチケットの払い戻しのこと(1985年8月)や、台風に祟られたパルテノン多摩公演のことなど、まったく知らなかった裏話も豊富に盛り込まれていて、読んでいて飽きない。
それから、エジンバラやニューヨークの国際芸術祭に参加した経緯や、当時の状況が活写されているのも特徴で、これも直接にはその様子を聞いたことがなかったので、読んでいて非常に楽しめた。
高萩さん自身の才能や運だけでなく、野田秀樹という才能、遊眠社という劇団を支えた俳優やスタッフの人たち、80年代という時代状況が重なり合ってこの本になっている。
この本に書かれていることは、今後同じような事態が起こることは多分ないだろうけれど、これから起こることすべてについて、いろいろな示唆を与えてくれる貴重な現代演劇史であり、時代の証言の書であると思う。
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高萩さんの本を一読した感想は、これは単なる成功体験本ではなく、自分自身と長く対話をしながら書かれたものなんだなあ、というものであった。
この本の前書き(「はじめに」)に、「僕は自分の80年代のことについて今まで何度か書こうとしたが書けなかった」とある。それは、「うまく距離感が取れない感じ」(だから)、と続く。
なるほど、誰に、何を伝えたいのかが決まらないと、ただ自分のことを書くと言っても書けないものなのだ、ということがわかった。
この本は、東大の劇研で野田秀樹らとともに劇団夢の遊眠社を立ち上げてから、92年に劇団が解散するまで、そして、その後、東京グローブ座、世田谷パブリックシアターでの活動を経て、昨年4月から東京芸術劇場副館長になって現在に至るまで、30年以上にわたる高萩さんの演劇界での仕事について書かれている。
最初は演出家になりたかった、と書かれているが、結局のところ、劇団の制作という役割を引き受けて、夢の遊眠社という劇団のみならず、日本の演劇界全体のその後にも少なからぬ影響を与えるほどの仕事ぶりを発揮したのが高萩さんだった。
遊眠社は、最初は東大駒場キャンパスの駒場小劇場で公演していたが、それが大人気を博し、その後、新宿のモリエールでの公演での成功(黒字)をきっかけに本格的に外部の劇場での公演を開始し、その後、相次いで本多劇場、紀伊国屋ホールへ進出。80年代当時、遊眠社のあとに第三舞台などの人気劇団が続々と輩出して「小劇場すごろく」と呼ばれたことがあるが、そのような若手劇団の成功モデルをつくったのが夢の遊眠社だったのである。
劇団の中で制作という職能が確立されていなかった時代に、無名の若手劇団を売り出し、成長させる専門スタッフとしての高萩さんの突出ぶりは、今から振り返ってみても、その異能ぶりが際立っている。
特に驚かされるのが、昔の出来事を記憶に頼って書いているのではなく、自分のメモや資料がきちんと残っていて、それを参考にしながらひとつひとうのエピソードが記述されていることだ。役者スタッフお金のことが細かく記録されているのは制作という職能ゆえのことだが、よほど優秀でまめでなければここまで記録が残っていないだろう、と思わせる。
中身を読み進めていくと、途中、つくば万博、代々木第一体育館での一日26,000人の観客を集めた「石舞台星七変化(ストーンヘンジ)三部作」公演、パルテノン多摩での野外公演など、いかにも80年代という時代を思わせるエピソードが出てくる。当時、演劇の公演に大手企業がスポンサーになるなど、誰も考えもしなかったのだが、これも夢の遊眠社がさきがけとなった。この点でも、たしかに遊眠社は時代の先頭を走っていた。
野田さんがパルコ劇場の舞台セットのはしごから落ちて休演したことによるチケットの払い戻しのこと(1985年8月)や、台風に祟られたパルテノン多摩公演のことなど、まったく知らなかった裏話も豊富に盛り込まれていて、読んでいて飽きない。
それから、エジンバラやニューヨークの国際芸術祭に参加した経緯や、当時の状況が活写されているのも特徴で、これも直接にはその様子を聞いたことがなかったので、読んでいて非常に楽しめた。
高萩さん自身の才能や運だけでなく、野田秀樹という才能、遊眠社という劇団を支えた俳優やスタッフの人たち、80年代という時代状況が重なり合ってこの本になっている。
この本に書かれていることは、今後同じような事態が起こることは多分ないだろうけれど、これから起こることすべてについて、いろいろな示唆を与えてくれる貴重な現代演劇史であり、時代の証言の書であると思う。
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