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きのうを思い、きょうを実感し、あすに想いを馳せよう。
若年性或いは老人性痴呆症にならない為にもね?

サヨクが大好きな死の商人はお隣さん

2009年03月12日 | Weblog
中国の兵器ビジネス、主力は新型戦闘機…1500機輸出へ(読売新聞) - goo ニュース

 「済州島など金で買ってしまえ!」などと言って、顰蹙を買っている民主党代表もおられる。オフレコブーメランはいつでも背中を襲う実に恐ろしいものです。
 穿った向きは、「済州島が日本領となれば、済州島出身の朝鮮人はいなくなる。・・・・なるほど、発想の転換とはそのようなものか」と妙に納得もするのであります。


 実に好い雑誌が発刊されたものである。Will別冊4月号『歴史通』より

 ・・・その162ページ

 日本が侵略したって???

 林思雲:中国の教科書では「日本は中国を滅亡させようと企んで侵略を行った」ということになっていますが、日本が戦争を起こしたのは、アメリカがイラク戦争を始めた目的と変わりがありません。

 反日的な国民政府を倒して親日政府を作り、中国大陸における日本に対する脅威を取り除くためでした。それに失敗したから、ズルズルと戦争を続けざるを得なくなった。日本はこんなに長く戦争をするつもりはなかったはずです。

 まして、全面戦争などしたくなかった。

 北村稔:そもそも蒋介石は、1930年代の前半から日本との戦争に備えて軍備を刷新するために、ナチス・ドイツと親密な関係を築いていましたね。これは意外と知られていない事実です。上海から南京一体において日本軍と激突した中国の武器はドイツ製、防衛陣地はドイツ式で、作戦を指揮したのはドイツから派遣された軍事顧問団でした。ドイツは軍事援助の見返りとして、中国で採れるタングステンがほしかった。タングステンは砲弾の生産や工作機械の刃に欠かせない希少金属です。これがドイツの軍需産業を支え、ヨーロッパにおけるドイツの勢力拡大を可能にしたと言っていい。

 ただ、ドイツは日本と中国がある程度の和平状態にあることを望んでいました。中国との戦争が激しくなると、ソ連に対する日本の軍事行動がおろそかになると、ソ連に対する日本の軍事行動がおろそかになる。ドイツとソ連は当時最大の敵同士でしたから、日本にソ連を牽制する役割を期待していました。

 だから、南京陥落後に中国駐在のドイツ大使、トラウトマンが日中の和平工作に乗り出したりしている。

 林思雲:ソ連の方は日本と中国を戦わせておきたかった。日本の動きを封じるために。

 
 ・・・・まあね、このWill別冊4月号『歴史通』は、金800円で戦後占領体制の惰眠から覚醒させられる貴重な一冊であることは間違いない。日本人である以上、こぞって『零戦暦69年』を認識しよう。