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ダンナのぼやき

あられダンナの日々のぼやきです。
色んな事を思い、考えぼやいてます…。

GONE GIRL

2014-12-27 19:42:17 | 映画
『ゴーン・ガール』を観た。

今や何を撮っても問題作となる、鬼才デヴィッド・フィンチャー監督の最新作。
個人的には、作品によって好き嫌いがハッキリと分かれる存在。
でも、新作が出れば絶対に観る数少ない監督でもあります。
好き嫌い云々ではなく、今回はそんな次元で語れる作品ではなかった。
多分、コレってフィンチャー監督の最高傑作になるのでは?って思っている。



本作に関して。
何をどう語っても、ネタバレは避けれない状態になってしまう(苦笑)。
ただ、まだ未見の方には本作の持つ強烈なインパクトを実際に体験して欲しい。
なので、精一杯ネタバレ回避で作品の感想を言いたい。
でも…多少のネタバレは含まれるのは仕方ないかと思います…。
あと観る側の解釈によって、あの「衝撃的な結末」を含めて本作への印象が全く異なるかと思う。
今言えるのは、フィンチャーの作品として今まで以上に好き嫌いがハッキリ分かれる作品である事だと思う。






※注意:微妙にネタバレ含みます!!









よく「殺したい程愛してる」とは言ったもんやと思いました。
細かいジャンル分けは嫌いですが、本作はサスペンスと言うよりも…ラヴ・ストーリーだと思いました。
ただ普通のラヴ・ストーリーではなく、愛憎深く入り交じってしまい狂気の方向に向かってしまった。
それは決して本人達が思っていた方向とは違い、他者によって歪んで行く事にも恐ろしさを含んでいた。
ベン・アフレック扮するニック。
かのトム・クルーズを凌駕する、何も考えていない偽善的で軽薄な笑顔。
このアホっぽさは作者も熱望した、俳優ベン・アフレックの「ハンサムで良い人なんだけど…」というニュアンスにハマる。
あと本作の重要な主人公エイミーを演じたロザムド・パイク。
今年のアカデミー、彼女が主演女優を獲らなければ嘘でしょ!という程の熱演でした。
彼女が演じたエイミー。
エイミーは、頭のバランスが崩れたサイコ女でもなければ。
「美女」という姿形をした、とんでもない怪物でもありません。
エイミーは確かに頭脳明晰であったかもしれないけど、彼女は普通の女性であり「母」でもあった訳です。
いつまでも子どもじみた男は、強く母性を持った女性の前では単なる愚か者でしかないと言う事実を突き付ける。
全てはクライマックス、彼女がニックに吐き捨てる台詞が全てを象徴していたかと思います。



本作が単なるサスペンスではないと判るのは、中盤以降の展開かと思う。
特にニックのTVでのインタビューを観た時、エイミーの中で何かが変わります。
あのサイコに捕われるよりも、確かに自分への愛を感じた瞬間に彼女は「行動」を起こします。
またニックも「エイミーには判るはず」と、暗号のようにプレゼントのネクタイを付けてTVに出演します。
これまでの経過で様々な人々を巻き込みながら、結局はこの2人の愛憎劇でしかない事実が提示されます。
本来の映画なら、もう此処で終わりかな?って所で作品は終わりません。
作品は、「その後」の事までしっかり描く事によって作品は真のクライマックスを迎えます。



あのラスト。
久々に劇場の空気が震えるのを感じました。
ソレは驚きと言うよりも、ある意味心から「恐怖」を感じて空気が凍り付いたのかと思います。
でも、ソレは一方で狂おしい程に愛を求める結末だったかと思えました。
フィンチャーの演出が巧みだと唸ったのは、オープニングとエンディングをつないだ事かと思います。
あのエンディングを観る事によって、結局逃れられない「絆」によって結ばれてしまっている事が判りました。
しかし、ソレは観る者をハンマーで叩き付ける様な衝撃と痛みを伴っている事がポイントかと思います。
凄い映画です。
久々に上映が終わり明るくなった劇場で、すぐに立ち上がる事が出来ない程に打ちのめされていました。
心にナイフでぐっさりを傷を付けて、観る側に血を流す事を求める様な作品だったかと思います。
ロリコンの日本の某大御所と違い、フィンチャーは本当の意味でフェミニストである事も再認識した傑作でした。


時々思うんだ
君のその頭蓋骨を抉じ開けて、脳味噌の中を見て知りたいんだ
君が何を考えていて
君がどんな事を感じているのか
そして、僕達がこれからどうなっていくと思っているのか?


「MAD MAX」復活!!

2014-12-11 17:12:25 | 映画
僕らの世代にとって、決して忘れる事が出来ない「マッド・マックス」シリーズ。
ずっとシリーズの再起動版の話があったが、結局色んな事が起きて暗礁に乗り上げてきた。
遂に主演にトム・ハーディを迎えて、遂に撮影に突入したと言うニュースを聞いた時は胸が高鳴った。

しかしソレ以降は何も情報がなく、追加撮影を巡り監督のジョージ・ミラーと映画会社が揉めてるとも言われた。
公開時期も大幅に延期となり、このまま「オクラ入り」するのでは?とすら思った。
そんな中、今年のコミコンで待望のティーザー予告篇が公開されたが…正直今一つピンと来なかった。
だが今回、満を持して公開された予告篇はそんな事は無かった!
観たかったのは、こんな「マッド・マックス」だ!!

荒廃した未来。
水とガソリンを巡り、狂気の中で生き延びる為に必死に戦う。
そこには情けや法は存在しない、己が生きる為の野蛮で獰猛な生存本能のみ。
2代目マックスを襲名したハーディもカッコ良い。
俄然、作品への期待が高まって来た。
現時点で、日本公開は2015年の夏と決定している。
楽しみに待っていたい!!





「今じゃ皆頭がイカレちまっている、マックス…あんただけじゃないんだ。」

古き良き時代の終焉

2014-12-01 18:25:17 | 映画
菅原文太さんが急逝した。

享年81歳。

先日の高倉健さんに続いて、菅原文太さんの訃報に衝撃を受けています。

健さん亡き後、最後の日本映画のスターとなった文太の兄貴まで亡くなったら…と言う話をしてました。

本当に、日本映画は一つの時代が終わりました。

日本映画を愛する者として、とてつもなく悲しくて残念です…。

懐古趣味的な意味ではなく、今も絶大な影響力を持つ「古き良き時代」の終わりだと思います。

心から御冥福を御祈り致します。









『インターステラー』を観ました!

2014-11-29 14:40:07 | 映画
ずっと観たかった『インターステラー』。
やっと観てきました。

語りたい事は一杯あるので、また後日ブログで語ります(笑)

変な言い方かもしれませんが、もう普通に「良い映画」でした。
はい、クライマックスの展開から僕の涙腺は決壊。
ラストにいたっては、もう号泣しておりました(苦笑)。

3時間と言う上映時間に関して、賛否両論はあると思います。
ネタバレにならない範囲で語るなら、物語の展開が非常に丁寧かつ緻密に構成されていました。
ほんの何気無い台詞も伏線だったりしたので、もうコレは仕方ないのかとも思いました。

確かに幾つかのシーンをカットしても差し障りはなく、展開をテンポ・アップさせる事も出来たかと思います。
しかし、監督のクリストファー・ノーランは本作では敢えてじっくり観せて・語る演出を取ったのかと思いました。

あと自身のヲタク性を控え目にするノーラン。
本作では、そのコッテリとしたSFヲタクぶりが遺憾なく発揮されているのもポイントが高いです。
「結局あんたも好きなんやろ?」ってのが判り、好感を抱きました。
これまでのSF映画やSF小説への、愛溢れるオマージュが満載です。

とにかく劇場で本作を体感してください。
あと音響設備の良い劇場で観る事をおススメします。


PS:とにかくTARSとCASEが滅茶苦茶可愛い!!

日本映画、一つの“終焉”

2014-11-18 22:46:11 | 映画
高倉健さんが亡くなりました。

享年83歳。

何と言って良いか判らないですが、凄くショックです。

こんな言い方が相応しいか判らないですが…。
今日間違いなく「日本映画」において、一つの時代の終焉を迎えたと言っても過言は無いと思います。

ずっと前から企画(監督・北野武!)があった、老いたヤクザな健さんを観たかったです。

心から御冥福を御祈り致します。









THE EXPENDABLES 3

2014-11-02 17:46:38 | 映画
最近、ブログの更新が滞ってしまいました。

今更ながら、Twitterにハマったと言う訳ではなく(苦笑)。
書きたいネタは一杯あったのですが、しっかりブログとしてUPする時間が足りませんでした。
単純に忙しかったし、体調を崩してしまったのも大きいです。

そんな中、80年代アクション映画ファン必見のでもある『エクスペンダブルズ』シリーズ。
シリーズ第3作目となる、最新作『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』を観て来ました。
前作が傑作だったので、個人的にかなり期待して劇場に向かったのですが…。



もう先に結論から言うと…何かガッカリしました。
確かに面白いし、シリーズ最大のスケールってのも良く判ります。
ただ、何か前作まであった様な雰囲気が薄れてしまい。
自分の期待していた作品とは、結果的に異なっていたのでガッカリしたと言えます。
全く作品に乗れませんでした。
しかし、何故自分が乗れなかったのかと言うのもすぐに判りました。



まず作品に乗れなかった理由の一つ。
本作はこれまでの作品以上に、エクスペンダブルズ側に新キャラが登場します。
今回の敵がかつての親友であり、エクスペンダブルズ創始者の一人であるストーンバンクス(演:メル・ギブソン)であると判った時。
リーダーのバーニー(スタローン)は、今のメンバーを解雇して新たなチームを編成します。
そこで新メンバー達の登場となり、新メンバーのキャラ紹介となります。
オープニング、もう一人の創始者であるドク(演:ウェズリー・スナイプス)を奪還するシーンで俄然テンションが上がるも。
中盤に行く前の新旧メンバー交代劇により、そのテンションが一気に降下していくのは痛い。
せっかくウェズ兄貴がカッコ良く復活を果たしたのに…。



結局、クライマックスでは「お約束通り」に新旧メンバー揃った新生エクスペンダブルズ誕生となります。
そして廃墟での救出ミッションと、ストーンバンクス率いる軍隊との激戦に流れ込むのですが。
ハッキリ言って増え過ぎたメンバーに、全員にそれなりのアクションの「見せ場」を用意しなければいけない。
一番燃える筈のクライマックスのアクション・シーンが、延々と銃撃と爆発が続く事によって非常に単調に観えてしまう。
あと前2作にあった、ハードコアでヴァイオレンスな要素薄まっているのも痛い。
あの情け容赦無い描写によって映えるシーンが、それが無いので同じ様なシーンの繰り返しで全くアクションが生きて来ない。
おまけに各自に見せ場を作った事によって、本作はやたら上映時間が長く感じてしまった。
この辺りには編集の妙によって、もっとコンパクトで観易い作りに出来た筈。
この類いのアクション映画で「長いな」と観ながら感じてしまうと、ソレは致命的な欠点だと思えてしまう。



あと個人的に最大の本作の弱点だと思うのが…。
他でもなく最強の敵であるストーンバンクスが、キャラ的に非常に薄くて文字通り弱い事。
バーニーをはじめ、どの登場人物もその名を聞いて「最悪だ」と言う極悪人な訳です。
あまりの非道さに仲間であったバーニーは、結果的に自身の手で一度はストーンバンクスを抹殺しようとした訳です。
その辺りの事情は詳しく明かされませんが、それ程の危険人物である訳です。
一体どんな極悪非道な人物なのか?と期待するも、コレが単なる何処にでも居る闇の武器ディーラーでしかない(苦笑)。
勿体ぶって大物ぶったり、悪ぶったりするも今一つ空振り。



ミッションの失敗により、逆に新エクスペンダブルズ・メンバーが捕われる。
ここで無惨にメンバーの一人を、バーニーの前で惨殺するのかと思いきや「48時間待ってやる!」と言う始末。
あ…アレ?!
あまりの極悪さにバーニー達が抹殺を決め込んだ人なんですよね、この人!?
結構、情け深いんじゃないですか?(苦笑)
前作のヴァン・ダム率いる傭兵軍団の方が、今回のストーンバンクスよりもはるかに凶悪にして極悪な軍団でした。
あそこまで極悪なヴァン・ダムだからこそ、クライマックスでのバーニーとの決闘が燃えまくった訳で。
本作でもクライマックスでバーニー対ストーンバンクス戦はあれど、何かコレもあっさりと勝負がついてしまう。
ストーンバンクスも積年の恨みがある筈だし、極悪人なのに何の卑怯な手段も使わない。
バーニーも、どんな酷い殺し方をするのかと思いきや…撃ち殺して終わりって…何やソレ!!
シリーズ最大の敵のはずが、シリーズ最弱の敵と言うのは非常にマズい。



結果的に、オープニングのウェズ兄貴奪還作戦。
そして中盤から強引にメンバー入りしたガルゴ(演:アントニオ・バンデラス)の、コメディ・リリーフぶりだけが印象に残る。
本作で一番美味しい部分を持って行ったのは、マシンガン・トークを決めたバンデラスでしょう。
そのコメディ・リリーフぶりに個人的には違和感がありましたが、2丁拳銃で決めるシーンはしっかり『デスペラード』してました(笑)
新メンバーもキャラが揃っているが、もう少し脚本の段階で整理出来なかったのか?と思う。
バーニーの新しい相棒になりそうなスマイリー。
チーム初の紅一点であるルナ。
良いキャラであり、バーニーだけでなく他のキャラとの絡め方次第では物語の展開も違った筈だが…。



確かに面白い映画だとは思うが、前作が傑作だっただけにガッカリしてしまった。
スタローンは相変わらずカッコ良いし、ステイサムのアクションのキレも素晴しい。
ただ肝心要のアクションの演出が弱い事と、ストーリーの勧善懲悪的要素が低い事が致命的かと思えてしまう。
前の週に『イコライザー』を観てしまったのも大きい。
あの作品と本作を比較するのは見当違いかもしれないが、アクションと勧善懲悪というポイントが大きいのは同じ。
あの作品が素晴しい傑作だったのはアクションの演出、物語の根本に流れる勧善懲悪のバランス。
そして味付けとして観る側がスカっとする痛快なヴァイオレンス描写と、ある種の過剰さが効いていたからだと思う。
本作で終了と言われた本シリーズだが、何でも「4」に向けて既に動き始めていると言う。



当然、またキャラが増員され。
敵となるキャラには大物俳優が起用されるのだろう。
それはそれで楽しみである、ただしっかりと様々な要素のバランスを考えて欲しい。
楽しいからとアレコレ詰め込んでも、結果として平淡な作品になってはファンとして悲しい。
こう言う作品の細かい事を言う方が野暮かもしれないが、ファンだからこそ劇場で心置きなく楽しみたい。
久々にスッキリしない気持ちで劇場を後にする事になってしまいました。
噂されている「4」に期待します!!


「俺はとことんまでアンタに付き合うつもりだった…。」

DAWN OF THE PLANET OF THE APES

2014-09-20 21:11:44 | 映画
『猿の惑星:新世紀(ライジング)』を観た。

今や不朽の名作である『猿の惑星』。
その前日譚を描いたのが、前作『猿の惑星:創世記(ジェネシス』。
この企画を聞いた時、正直かなりネガティヴな印象を持っていたと当ブログでも語った。
しかし実際に作品を観た時、その素晴しい内容に驚愕した。
正にオリジナルに匹敵すると言っても過言ではない、SF/アクション映画の傑作だった。
その続篇となる本作、期待するなと言うのは無理でしょう…と言う状態で劇場に駆けつけた。







(注意:ネタバレ有り!!)



前作を監督したルバート・ワイアット監督は、映画会社の決めたスケジュールに反発して降板した。
その後任に何人もの候補が挙ったが、監督に選ばれたのはマット・リーヴスだった。
そう、あの新しい怪獣映画の形を作った『クローバーフィールド/HAKAISHA』を撮った人物だ。
その冷たくて硬質かつドキュメンタリー的な演出は、新世紀版『猿の惑星』には合うと個人的には思っていた。
実際に作品を観て、この人の起用が正解だったと感じた。
前作と違う意味で、本作も素晴しい傑作となっている。
前作以上にダークな作品であり、そこに漂う空気は圧倒的に絶望的なモノだった。
ここが大きなポイントだと思っている。



この『猿の惑星:新世紀』、前作と大きく違うポイントは人間ではく猿側視点でストーリーが展開する事。
前作のラストで暗示された、ALZ113によるウィルス感染と言う脅威。
人間は「猿インフルエンザ」の感染の猛威によって、アッと言う間に絶滅の危機に瀕してしまう。
本作では冒頭の5分程度で、この「猿インフルエンザ」の脅威によって人間が危機的状況に陥った事が語られる。
確かに、治癒方法の見つからない「猿インフルエンザ」によって多くの命が奪われた。
でも実際にはウィルスの感染以上に、人間は互いに混沌の中で自ら地獄を造り出してしまった。
本作では、その「自滅」とも言える経過を淡々と語るのが観る側を突き放す様な印象を与える。



そんな本作の主人公は勿論シーザー(演:アンディ・サーキス)。
今や猿たちの指導者という立場となり、猿の世界に平穏をもたらす存在となっている。
自身の描いた理想を実現し、猿たちの理想郷とも言える社会を築き上げた。
猿たちの生活や未来を思い、前作以上にその存在は思慮深い理想主義者でもある。
猿たちの指導者であり、同時に家族を守る父親となったシーザー。
そんな彼の唯一の弱点とも言えるのが、彼を育てた「人間」という存在。
この「人間」という存在によって、シーザーは苦悩と重大な選択を迫られる事になる。



本作の「もう一人の主人公」と言えるのがコバ。
前作でも匂わされていたが、シーザーとコバの関係は非常に危ういものがあった。
それが本作の冒頭ではシーザーの信頼すべき存在としてコバは登場し、二人の信頼関係が強い事が判る。
ただ、そこに想定外の「人間」という存在が入った時に、その関係は静かに崩壊に向かってしまう。
劇中、シーザーは「コバは人間から憎しみしか学んでいない」と語る。
ウィル(例えマッド・サイエンティストであっても:苦笑)とその家族という人間によって、愛情も持って育てられたシーザー。
一方、人間たちの都合によって実験動物として虐待を受けて育ったコバ。
両者には埋め隔たりが存在したが、猿だけの社会ではソレが問題になる事は無かった。



猿たちの社会に、滅んだと思っていた人間が介入して来た事。
更には、その人間たちに指導者シーザーは好意的な態度であった事。
おまけに人間側が、密かに猿たちとの戦争に備えて武装している事実を知るまでは…。
コバは暴走する事は無かった。
シーザーの前に現れたマルコム(演:ジェイソン・クラーク)。
彼は不必要な争いを避け、猿と人類に共存を願っている。
それはシーザーも同じで、一度人間と戦争になれば後戻り出来ない状況に陥る事を理解している。
互いに家族や未来の為に、より良い道を模索しようとする。
しかし猿側には、人間を心から憎むコバという存在があり。
人間側にも、僅かに生き残った人類の指導者ドレイファス(演:ゲイリー・オールドマン)という存在があった。



コバにしろ、ドレイファスにしろ。
猿と人間という違いはあれ、両者の貫く姿勢が全く同じである事が重要となってくる。
敵対する存在を理解しようとはせず、機会があれば駆逐してしまいたいと思っている。
ソレは単なる私怨と言う訳ではなく、自身の辛い経験によって憎悪となって牙を剥く事につながる。
ここに「猿の惑星」というシリーズが持っている、もう一つの側面である「社会批判」と言うドラマが浮き彫りとなる。
前作が「科学の倫理を越えた暴走」というテーマが根底にあった。
本作には、人種や宗教の違いによって今も世界各地で続く紛争。
そしてアメリカという社会にあって、どんどん深刻さを増す「銃社会」への警鐘という問題がある。
本作の根底に流れているのは、この二つのテーマと言える。



猿と人間、その緊迫した微妙な距離感でのドラマが前半で繰り広げられる。
それも後半になると、コバの策略によって最後の一線を越えて猿と人間の全面戦争に突入してしまう。
かつて自分を虐げて来た、人間に対するコバの凄まじい憎悪。
僅かに生き残った人間の為に、やっとの思いで復興させた社会を守ろうとするドレイファス。
両者の主張には、両者なりの「正義」が存在する。
だが、この極限状態において両者は互いに対する寛容さが欠けてしまっていた。
シーザーもマルコムも最悪の事態を回避する為に努力するが、一度引かれた引き金によって事態は最悪の方向に突き進む。



“銃”という力を得たコバは、アッと言う間に独善的な暴君と化す。
破壊と殺戮の快感によって自分を見失い、大切な仲間にすら恐怖によって支配する。
本作のキャッチコピーに「心まで進化した」とある。
その「心まで進化」した事によって、皮肉にも猿のコバ自身がより人間的な存在となっていく。
本作において、猿とは人間という存在の“鏡”となっている。
シーザーも自虐的にその事を、自ら自虐的に「猿の人間化」だと振り返る。
暴力には暴力を、恐怖には恐怖を…この「負の連鎖」が猿と人間の全面戦争に突入する結果となる。
その争いこそ、どちらかの種族が絶滅するまで続く戦いになる事が判っていながら…。



いくらでも「共存」という選択肢は存在した。
ただ人間も猿も、その選択肢を自身の怨恨によって拒絶する。
その間でシーザーとマルコムは苦渋の選択を迫られ、自身も望まぬ戦いに身を投じる。
コバの裏切りがあったとは言え、シーザーは「猿は猿を殺さない」という掟を自身が破る苦渋の選択を取る事になる。
その結果、事態は更に悪化して終焉に向けて突き進む事になってしまう。
クライマックスの激しく壮絶な戦いの後、残るのは何とも言えないやり場の無い切なさと哀しみだけ。



そして訪れる結末。
もう、その両者にとって避けられぬ悲劇的な事態が待っている。
それを知りながらも、仲間の猿たちを前にしたシーザーの決意の表情が観る側の心を抉る。
捨てきれぬ人間への思い、同時に猿たちの指導者として、また家族を守る父親として。
シーザーは苦渋の決断をくだす。
この何とも言えない重い空気を孕んだまま、本作を終わりを告げる。
ソレは猿と人間、どちらかの種族が滅ぶまで続く戦いの始まりを意味している。



本作を観ていて思うのは、やはりアンディ・サーキスの熱演。
パフォーマンス・キャプチャーと言う手法だが、この演出を開拓した人物であるサーキス。
その熱演の前に、テクノロジーを超越した魂を感じる。
あと監督のマット・リーヴス。
下手すれば、その演出がやや淡白だと批判される可能性もあった。
本作では観る側を突き放す冷たいドキュメンタリー的演出と、派手なアクション・シーンとのバランスも見事だったと思う。
既にシリーズ3作目の監督をする事も決定済みであり、完結篇となる次回作への期待が高まる。



次回作では、遂に猿たちを駆逐する為に軍隊が登場する事が明らかになる。
あの状況で生き残っていた軍隊だ、より強力な「敵」として猿たちの前に立ち塞がるのは必至。
ただ猿たちも、本作で人間の武器を使う事を学んだ。
そんな人間と猿の戦いが、絶望的なまでに凄惨なものになるのは予想出来る。
ただ闇雲に偉大な父に反発していた、シーザーの息子ブルーアイズ。
コバと裏切りや、人間との戦いがどれだけ惨い事になるのかを知った。



そんな彼は自身のこれまでの行いを悔い改め、偉大な父の後継者となる可能性もある。
人間側も、オリジナルにリンクする物語ならば猿たちを核兵器で攻撃してくる可能性もある。
この世界の覇権を握るのは、どちらの種族なのか?
2016年公開だと言う3作目は猿と人間の最終決戦を描くと言う、その公開を楽しみに待っていたいと思います。
ダークで重い作品です。
でも傑作である事は変わりありません。
超おススメです!!


「もう戦争は既に始まっている…。」

GUARDIANS OF THE GALAXY

2014-09-14 16:22:48 | 映画
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を観た。

もはや一つのジャンルと化したコミックの実写映画化。
その中でも、完全に一つの世界観を確立した感のある「マーベル・ユニバース」。
本作は、その流れの中でも最も“異端”な作品とも言える。



何が“異端”なのか?
「マーベル・ユニバース」のキャラ達は、フィクションながら現実社会に根差している。
それに対して、この『ガーディアンズ~』は珍しく完全にSF/スペース・オペラ的な作品となっている。
しかし、緻密な世界観を持つ「マーベル・ユニバース」において決して世界観がズレている訳ではない。
言ってみるならば、かの『アベンジャーズ』から脈々とつながる壮大な作品である。



結論から言ってしまうが、かなり面白かった!
特に終盤からの展開は、何とも日本人には非常に判り易い展開で燃えて泣けた!!
あの浪花節と言うか、往年の『少年ジャンプ』的な熱いクライマックスは素晴しかった。
ベタベタすぎると批判も出来るが、あそこまで堂々とやってのける辺りにハリウッドの懐の深さを感じた。
それに後で触れるが、監督のジェイムズ・ガンのヲタク感覚と見事な才能の結晶かと思う。



物語はいたってシンプル。
宇宙の無法者スター・ロードことピーター・クイル(演:クリス・プラット)。
彼が仲間の盗賊団を裏切り、ある“お宝”を手に入れた事によってストーリーは始まる。
この“お宝”、実は宇宙の存亡に関わる重要な存在であった事が判明。
“お宝”を手に入れる為に凶悪な宇宙の支配者、ピーターに掛かった賞金を狙う賞金稼ぎ。
宇宙の平和を守る警備組織、更には得体の知れない「収集家」などが動き始める。



このキャラクターが非常に魅力的。
まずヒロイン的存在ながらも、暗殺者でもあるガモーラ(演:ゾーイ・サルダナ)。
「マーベル・ユニバース」において、非常に重要な人物と因縁深い関係。
そして“お宝”の正体を知っており、来るべき脅威を避けようと画策していた。



本作に登場するキャラクター達に共通するのが、皆何らかの「傷」や「痛み」を抱えている事。
それはガモーラも同じ、彼女も内面的に複雑な苦悩と葛藤を抱えている。
そんなガモーラも、ピーターや他のキャラクターとの出逢いによって変化していく。



本作で個人的に最も気に入っているのがロケット(演:ブラットリー・クーパー)。
その可愛い外見とは異なり、性格や行動は凶暴そのもの。



武器や爆発物の扱いだけでなく、パイロットとしても超一流のロケット。
そんな彼は実は、遺伝子改造によって現在のような姿になってしまった過去を持つ。
それ故に自身をアライグマやネズミ等と容姿をバカにされると逆上してしまう。



互いの利害関係の一致によってチームを組む事になっても、彼が一番客観的に物事を見ていた。
ロケットがチームを組む事に渋々ながら納得したのは、長年の親友にして相棒のグルートの存在もある。
それと同時にピーターの存在も大きかったと思われる。
他のキャラが小馬鹿にする中、ピーターだけは「ロケット」と彼の名前を呼び続けていた事は大きい。
グルートに言われたからでなく、ロケット自身がピーターの救出に向かったのも大きい。



復讐鬼ドラックス(演:デイヴ・バウティスタ)。
ひょんな事から脱獄に加担し、そのままチームに合流する事になったドラックス。
彼は復讐に捕われたままで、その身勝手な行動によってチームだけでなく宇宙の危機を招く事になってしまう。
しかし他でもないチーム(仲間)に救われた事によって、彼自身は初めて改心する。



そして何と言っても植物型エイリアン・グルート(演:ヴィン・ディーゼル)。
「私、グルート」しか喋れないが、何故かロケットだけは普通に会話出来てしまうのが笑える。
結構抜けた行動が多いながらも、案外お金の話には抜け目がなかったり。
迫ってくる敵には情け容赦しないが、子どもに優しく、この中で最もチーム(仲間)である事を強く主張するのが彼であります。



個性豊かなメンツのリーダーとなるピーター。
彼自身、幼い頃のトラウマから抜け出す事が出来ずにいた存在でした。
ある意味、彼こそが一番“弱い”存在とも言えます。
そんな彼がこの強烈な個性も持った者同士の中で、次第に仲間を強く結びつける存在に成長していきます。



一見、何も考えていなくて無鉄砲な感じがするピーター。
他のキャラから「単なるバカ、さもなくばとんでもないお人好し」と言われます。
そんな彼の行動によって、この無法者集団はやがて一つに団結して正義に目覚めて行く。
それを個性豊かなキャラ同士のぶつかり合いによって、実は丹念にドラマとして紡いでいるのがポイント。



キャラの濃さで救われているが、中盤までの展開がエピソードを丹念に積み重ねる事で少々流れが悪い(苦笑)。
ただ、互いに信頼してから「チーム」となってからの後半の展開は怒濤の勢い。
激しいアクションだけでなく、SFらしいケレン味たっぷりの魅力的なガジェット、そして気の利いた台詞。
この後半からの展開が本作の文字通りクライマックス。
観てみて心が踊った。



圧倒的に不利な状態の中、少々無謀な賭けに出る彼ら。
互いを信じる事によって5人は団結し、予想だにしなかった力を発揮して逆襲に転じます。
この辺りの描写は、ホンマに一昔前の「ジャンプ」的な友情パワーがもたらす熱い展開にグッと来ます。
そして窮地を救うのも、彼ら5人が文字通り一つになる事によって奇跡が生まれます。
熱い展開に燃えながらも、ラスト近くでは泣けてくる描写の連続は熱血少年漫画のソレだと思います。



ここで監督のジェイムズ・ガンについて触れておきたい。
言ってみるなら、彼のキャリアを考えれば本作の監督起用は「大抜擢」とも言えます。
ある種、賭けだったと言っても過言ではないです。
そんな彼のマニアックながらも、少々屈折した視点やユーモアのセンスが本作を他の作品とは全く違うモノに仕上げている。
あと本作に溢れる『SW』オマージュも、彼らしいマニアックさで実に心地良い。
メジャーの超大作故に難しい事が多かったかと思いますが、彼は見事な仕事をしたと言えると思います。



宇宙の危機は去ったかに見えるもの、真の「敵」が明らかになりました。
この「真の敵」こそ、「マーベル・ユニバース」において最大かつ最強の敵となる存在。
広がりつつげる「マーベル・ユニバース」にあって、全てはこの最強かつ最悪の敵との対決に向けて動いているのも事実。
この「真の敵」の存在が、今後も多くのキャラクター達に影響を与えるのも必至。



更に思わせぶりに登場した、この人。
先の「真の敵」に関わる重大な“鍵”の秘密を知る存在であります。
既に他の作品において暗躍しており、本作でも今後の展開につながる一部を明らかにしました。
ベニチオ・デル・トロ、本当はヒーロー役を演りたかった筈(苦笑)。
しかし、この胡散臭いコレクターというキャラにも馴染んでいるのも事実。
ラスト、ある隠しキャラ(コレは凄い“遊び”)との絡みを含め、今後彼の存在もますます大きくなるのは間違いない。



そして訪れる静かなエンディング。
ピーターの出自に関する謎が出て来るが、同時に彼は一つの傷を癒す事が出来た。
そして新たな仲間達と共に、新たな世界に向けて旅立って行く。
それはガモーラ・ロケット・グルート・ドラックスにとっても、過去と決別し新たな旅立ちを意味します。
実に清々しく、感動的なラストだったかと思います。
さて彼ら「銀河の守護者」を待ち受ける、新たな脅威は何か?!
次回作を心待ちにしたいと思える、本当に楽しく面白い作品でありました。


「私たち、グルート。」

PS:本作でかかる音楽が最高です、80年代に洋楽にハマった人間には号泣ものの選曲なのもポイント!!

「Baby、怪獣共をぶっ殺しに行くぜ!!」

2014-09-07 11:34:30 | 映画
『Monsters: Dark Continent』の予告篇を観た。

コレが実に凄い!

本作は当ブログですっかりお馴染みとなった、ハリウッド版『ゴジラ』の監督ギャレス・エドワーズ。
超大作の監督を務めるキッカケとなった、自身の監督デビュー作『モンスターズ/地球外生命体』。
超低予算ながら、その完成度の高さから『ゴジラ』への大抜擢となりました。
本作は、その続篇となります。



前作が正体不明の宇宙怪獣が支配する隔離地域から、脱出をはかる男女のロード・ムービーでした。
しかし今回はスケールも更にアップして、宇宙怪獣と軍隊との激しい戦闘が描かれる様です。
設定としては、前作よりも数年後。
繁殖して進化し、より強力かつ凶悪になった怪獣の脅威に対して抵抗する米軍。
怪獣との激戦区において起きたトラブルにより取り残された部隊の、決死の脱出劇がメインとなる展開みたいです。



ギャレス監督は「製作総指揮」に名を連ねています。
この予告篇を観る限り、予算もスケールも飛躍的にアップした作品になるのが予想出来ます。
先にも言いましたが、前作は怪獣映画でありながら切ない男女の逃避行的ロード・ムービーという異色作でした。
しかし今回は、よりストレートに「怪獣対人類」の激しい肉弾戦を描くSFアクション映画になっている予感がします。
この類いのジャンル映画の定番ですが、正に続篇は「今度は戦争だ!」って感じです(笑)



前作ではタコと言いますか、触手のある軟体生物的の怪獣でした。
それに予算の関係もあって、その全貌はハッキリとは判りませんでした(苦笑)。
この予告篇に登場する宇宙怪獣は、その姿が鮮明となり禍々しく凶悪である事が判ります。
個人的には『ハカイジュウ』を彷彿とさせる、怪獣の醜悪なクトゥール的デザインが良い感じかと思います。



あと…何でしょう、この圧倒的なまでの「絶望感」は?!
人類は怪獣との戦いに、憔悴しきっているのは明らかだし。
怪獣との戦いの最前線にいる、兵士達の緊張感と恐怖も嫌ってくらい伝わって来ます。
前作もドキュメンタリー・タッチでしたが、今回も『ブラックホーク・ダウン』を彷彿とさせる硬質なドラマになりそうです。



圧倒的に不利かつ窮地に陥った主人公達は、怪獣達の猛攻から生き延びる事が出来るのか?
また更に強力かつ凶悪な怪獣達の攻撃を前に、人類は何らかの希望を見つける事が出来るのか?!
本作の監督を務めるのがトム・グリーン。
現時点で日本での公開は未定の様ですが、早く観てみたい作品です。








「“ヤツら”に、人間様の方が優れている事を思い知らせてやれ!!」

ルパン三世

2014-08-30 19:16:18 | 映画
『ルパン三世」を観た。

ある意味、「今年最大の問題作」と前評判があった本作(苦笑)。
先に公開された本作のヴィジュアルや、予告篇を観て不安があったのも事実。
ただ、しっかり劇場で本作を観ないと何も語れないと思い劇場に駆けつけた。
もう結論から言ってしまうと…。




いや~もう滅茶苦茶面白かったです!!

ここ近年、「ルパン三世」シリーズはTV版のスペシャルだったり。
小生意気な小学生探偵とコラボしたりしてました。
その一方で原点回帰なのか、峰不二子や次元大介と言ったサブ・キャラでシリーズの再構築を目指していました。
言ってしまえば「マンネリ化」した『ルパン三世』というシリーズ。
今回の実写版は非常に大きな意味を持つ作品であり、今という時代において『ルパン三世』というシリーズを再生させる大きなチャンスでした。
ただ『ルパン三世』というシリーズにおいて、良くも悪くも大きな“十字架”が存在がシリーズに絶大な影響を与えたのは事実です。



その“十字架”とは、他でもない巨匠・宮崎駿監督の手掛けた『カリオストロの城』という作品です。
勿論、個人的にはこの作品は大好きであり今も御大・宮崎監督の最高傑作という認識は僕にもあります。
しかし『カリオストロの城』以降、『ルパン三世』と言うシリーズはその呪縛にハマってしまったのは事実かと思います。
“ソレ”以降の「ルパン三世」というシリーズは、あまりにも大きい最高傑作の前でシリーズとしての進化を止めてしまったと思っています。
結局ルパン三世という希代の大泥棒は義賊であって、殺し屋にして盗賊というダーティーなイメージは払拭される形となりました。
これまでの劇場公開版やTVアニメと違い、この実写版は敢えてそこに挑んだ事が大きな成功のポイントかと思います。



「カリオストロの城」症候群を排除した時。
そこに残るのは、荒唐無稽ながらもスカッとする少々ダーティーな冒険活劇としての『ルパン三世』です。
これまで邦画が、かつての人気アニメ/コミックを実写映画化した時のあまりに惨い惨状は何度も目撃してきました(自嘲)。
そう言った過去の作品と違い、この『ルパン三世』が見事にアクション超大作として成功したのは幾つかの理由が存在するのも事実です。
個人的に、その最も大きな要因は監督の北村龍平起用が大きいと思います。
良い意味でハリウッド路線の北村監督は、これまでの邦画にある固定概念に縛られるのを嫌っていました。
そんな彼が「今までの撮影で一番シンドかった」と言う程、製作段階で“諸般の大人の事情”が影響したのも事実かと思います。
あの勢いで全てをなぎ倒す暴れん坊が、ソレほどに苦悩する程に撮影現場は問題の連続だったのは想像出来ます。



敢えて言うと、この北村監督の起用は大正解だったかと思います。
邦画界でアグレッシヴに映画を撮りまくり、拠点をハリウッドに移した北村監督。
ハリウッドに拠点を移してからも、この人の「面白い映画を撮る!」と言うスタイルに変わりは無かった。
言いたくはないが、TVドラマ上がりや映画会社所属の監督には無いものを北村監督は持っていた。
ソレが、単に「猿真似」だけにならないハリウッド的演出方法かと思う。
ここ最近の邦画アクション映画に付きものの、影響を受けたものの作品にソレを「昇華」出来ないと言う現実だ。
今回の実写版『ルパン三世』、他の邦画アクション映画と違う大きな要因がある。
ソレは圧倒的な「スケールの大きな演出」かと思う。



最初から海外ロケがメインと言うのも大きい。
日本国内だけの撮影では、どうしても「画」的にスケールが足りない平面なモノになる。
海外ロケは、作品に相応しいスケール感と画的な奥行きを与えている。
これまでは銃器(薬莢の出方や扱い方)やアクション(特にカー・スタント)に関しても、細かい事だが「アレ?」ってなる事が多かった。
『ミッション・インポッシブル』やリメイク版『オーシャンズ11』ではないが、ソレらの作品からの影響を本作でも確かに感じる。
ただ本作の原作がコミック/アニメである事が、良い意味で荒唐無稽の冒険活劇として新しい邦画の在り方を提示している。
単にハリウッドの模倣ではなく、自身が観て受けて来た影響との融合は本作が他の邦画と異なる大きな要因だと思っている。
「カリオストロ症候群」からの脱却、あと70年代の邦画にあった「面白かったら何でもアリだろ!」という姿勢が素晴しいのかと思えました。



あとキャストのハマり方も見事でした。
やはりコミック/アニメの実写映画化の場合、肝心なのは主要キャストの配役です。
最初、キャストが発表された時。
ハッキリ言えば賛否両論の嵐でした(苦笑)。
しかし劇中に登場する彼らを観れば、コレ以上のキャスティングはないかと思います。
個人的には次元大介(演:玉川鉄二)。
原作通り非常にクールなキャラながら、料理をせっせと作り味に拘る可愛い一面が笑えました。
玉川氏は最も本作において、次元というキャラにおいて「予習・復習」をしてきた俳優だったそうです。
ソレはルパンとの会話や、愛銃を持ってのハットを押さえながらのガン・アクションに遺憾なく発揮されていました。



そして意外に、本作のコメディ・リリーフだったのが石川五右衛門(演:綾野剛)。
現代において、あの扮装で刀を持つキャラは不自然。
しかし本作において、「最強の武器」として登場。
そのソード・アクションもさる事ながら、細かい場面で超人ながら人間らしい五右衛門のキャラは生きていました。
団子が好きだったり、難攻不落の敵の要塞の防犯システムを3日掛かりで見抜いたり。
出撃前、洋食&アジア・メインの晩餐を前に、1人秋刀魚を焼いて日本酒を飲む。
(焼いた秋刀魚をルパンに差し出す描写は、彼がルパンと旧知の仲である事の暗示でもありました)
クライマックスのアクション・シーンでは、正に殺戮兵器のようなアクションとのギャップに燃えました。



そして峰不二子(演:黒木メイサ)。
彼女の起用に関して、最も賛否両論あったかと思います。
個人的には、彼女のエキゾチックな美貌と激しいアクションは本作では重要なポイントだったかと思います。
「女性をエロく、カッコ良く魅せる事」に関して、見事な才能を持つ北村監督。
彼女の持つ魅力を見事に本作に生かしていたかと思います。
彼女自身の努力もあるかと思いますが、この「峰不二子」というキャラは今後の彼女のハマり役になるかと思います。
黒いレザーのジャンプ・スーツが似合う女優って、そんなに居ないと思いました。



そして肝心要なルパン三世を演じた小栗旬。
彼が本作で手本にしてのは、明らかに故・山田康夫版のルパン。
その台詞回し、ちょっとした仕草や視線のやり方を見れば判る。
何より本作に賭ける、俳優・小栗旬の意気込みは凄まじいモノがあるのは良く判った。
アクションの見事なキレ、その台詞回しは見事だったかと思う。
北村監督や他のキャストが言う通り、彼無くして本作という素晴しい作品は無かったと思う。
下手すれば滑稽なコントになるものを、見事のアクション超大作に持って行ったのは小栗旬という俳優の持つ演技力の「才能」だ。
ただ本音を言わしてもらうと、ルパン役には大泉洋が起用されるべきだったかと今でも思っている。
(1stシーズンのルパンを再現するなら加瀬亮!)
自分の中で、大泉洋こそ今ルパンを演じる俳優と言う思いが強いのかもしれない。
それに小栗旬という俳優でしか、今回の実写版「ルパン三世」という企画も実現しなかっただろう…。



問題点が無い訳ではない。
脚本の粗や詰めの甘さ、編集の仕方(上映時間をもう少しコンパクトに出来た筈)は幾らでもあったのも事実だ。
今、ハッキリ言えるのは邦画特有の「あるライン」を見事に超越してみせた事に本作の持つ意味は大きい。
結局、「何故?」と観ていて歯痒い思いを今まで散々してきた事に起因している。
「カリオストロ症候群」、ハリウッド映画の模倣からの脱却。
そして邦画やハリウッド云々ではなく、ただ単純に面白い映画が観れたと言う事実が何よりも大きい。
人によってはアニメのトレースで滑稽と、本作を否定する人も多いかと思う。
今、ここまでアクション超大作が邦画で作れるのかも考えて欲しい。
色んな意見もあるかと思うが。多くの方に劇場で本作を楽しんで欲しいと思いました。
超オススメです!!


「ルパン、その女だけはやめておけ!」