今日、あの「阪神・淡路大震災」が起きて20年という時間が経ちました。
もう「20年」も経ったという事実に驚きます。
でも、自分の中では「あの日」の記憶は今も鮮明です。
昨日の事の様に憶えています…。
あの激しい揺れ。
いつまでも続く余震。
停電、電話の不通、交通機関の麻痺。
そしてTVで見た、あまりに信じられない程の凄惨な現状。
あの日、地震が起きた直後。
僕が一番最初にしたのは電気や電話と水道の確認。
その後、すぐにコンビニに走り電池と水とカップ麺等を大量に買い込みました。
電話をしたくても不通の為に、近所にあるボロボロの公園にあった公衆電話に行って親戚や友人の安否確認をしました。
誰もいない公園だったのに、僕が電話を切った後に自分の後ろに長蛇の列が出来ていたのも驚きでした。
今、仕事でも震災を知らない方々が多くなってきました。
まだ当時は幼過ぎて震災の記憶が、風化してしまっている方も多くなっているのも現実です。
敢えて言うなら、「あの日」を体験した僕たちにとって今日が特別な日である事。
そして今日という日を絶対に忘れてはいけないという事です。
今朝、穏やかな朝を迎えました。
しかし一方では今も多くの方々が、「あの日」からの苦しみや痛みを抱えたままであると言う事実。
今、生きている我々が日々をしっかりと生きて行く事が本当に大切であり感謝の気持ちを忘れてはいけないと思っています。
あの日、亡くなられた方々のご冥福を心より御祈り致します。
もう「20年」も経ったという事実に驚きます。
でも、自分の中では「あの日」の記憶は今も鮮明です。
昨日の事の様に憶えています…。
あの激しい揺れ。
いつまでも続く余震。
停電、電話の不通、交通機関の麻痺。
そしてTVで見た、あまりに信じられない程の凄惨な現状。
あの日、地震が起きた直後。
僕が一番最初にしたのは電気や電話と水道の確認。
その後、すぐにコンビニに走り電池と水とカップ麺等を大量に買い込みました。
電話をしたくても不通の為に、近所にあるボロボロの公園にあった公衆電話に行って親戚や友人の安否確認をしました。
誰もいない公園だったのに、僕が電話を切った後に自分の後ろに長蛇の列が出来ていたのも驚きでした。
今、仕事でも震災を知らない方々が多くなってきました。
まだ当時は幼過ぎて震災の記憶が、風化してしまっている方も多くなっているのも現実です。
敢えて言うなら、「あの日」を体験した僕たちにとって今日が特別な日である事。
そして今日という日を絶対に忘れてはいけないという事です。
今朝、穏やかな朝を迎えました。
しかし一方では今も多くの方々が、「あの日」からの苦しみや痛みを抱えたままであると言う事実。
今、生きている我々が日々をしっかりと生きて行く事が本当に大切であり感謝の気持ちを忘れてはいけないと思っています。
あの日、亡くなられた方々のご冥福を心より御祈り致します。