父のガンが見付かったのは昨年3月。
折しも義父の告別式の日でした。
宣告から11ヶ月。
節分の前日の夕刻、息を引取りました。
食事を摂らなくなった父を案じた母が
父を病院に連れて行きそのまま入院。
クリスマスの日でした。
約40日間、一日を除き母は入院中毎日病院に通い続けました。
今まで病気らしい病気をしたことが無かった父。
辛かったであろう抗癌剤の副作用にも気丈にしていたのは
最愛の母や、娘たちに心配掛けまいとする、父の思いやりだったと思います。
見舞いに行く度、“すまないね”と言っていました。
最後にそれを言った時の、か細い声は耳に残って切ないです。
出勤途中、危篤の知らせを受け、大急ぎで特急列車「あずさ」に乗り上京。
父の意識は既に無く、静かに呼吸を続けていました。
それから二晩病室に泊り込み、夜は父と二人で過ごすことが出来ました。
3日目の晩、妹と交代することになり
ひと晩だけ一先ず自宅に戻ることにしました。
“特に変わりはないよ”
妹からメールをもらい、安心して「あずさ」に乗り込みました。
でも、その2時間後松本に向かう車中で、妹から父の訃報が届きました。
丁度、母も自宅に戻っていましたが
妹に看取られ苦しむ様子もなく、そっと息を引き取ったそうです。
母には我が侭放題、甘えん坊気味でしたが
私たち姉妹には、朗らかで優しかった父さん。
1月の初めにひと晩だけ病室に泊まった時のこと。
ひどく咳き込んだ後、“コテッ”と意識を失ったので
私が慌ててナースコールをしようとした時
父はニヤーっとしながら目を開けました。
“こんな時に、死んだフリしないで!!”
二人で笑い合いました。
そんなお茶目な人でもありました。
以前、私が遠く離れてしまい、寂しい思いをしていると母が呟いた事がありました。
その時、父は私に
“○○○が幸せにしてれば、それが父さんの幸せだよ!”
そう言ってくれました。
その言葉は、私の心を軽くし、励みになりました。
あの時も、そして最期まで、きちんと“ありがとう”と言えなかったこと。
心残りです。
父の言葉をこれからも、ずっとずっと大切に心に置いて生きていこうと思います。