ことばと責任
自民党憲法改正草案を読む/番外101 (情報の読み方)
東京都議選の安倍の応援演説、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」めぐって、いろいろな意見が出ている。
菅はこの発言に対して、いつものように「問題ない」と言っている。「民主主義国家なのだから選挙応援の発言は自由。縛ることなどあり得ない」とも。
もちろん「発言は自由」。
国民を「ばか」と呼ぼうが、「間抜け」と呼ぼうが、それは安倍の自由。
だが、どんな発言にも「責任」が伴う。
それを忘れてもらっては困る。
「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言って安倍が応援した自民党の候補は落選した。自民党の議席が大幅に減った。つまり、「負けた」。このことは、だれもが知っている。
安倍は、その責任を取るべきである。自民党総裁を辞任し、内閣総理大臣も辞めるべきである。
「こんな人たち」とは安倍に対して「安倍帰れ、安倍やめろ」と叫んだ人たちである。この人たちを、前横浜市長の中田宏は「組織的活動家」と呼んだ。「肯定」したのではなく、「否定」する意味で、そう呼んだ。
しかし、民主主義の運動において、「組織的活動家」は欠かせない存在である。
権力を批判するには「組織」が必要だし、組織には組織をリードする人が必要である。
自民党も「組織」だし、それをリードする安倍は「組織的運動家」である。そこに集う自民党員も「組織的運動家」である。「公明党=創価学会員」も同じだ。
自民党も公明党も「組織的運動家」であって、独立した個人の運動家(政治家)ではない。国会で議案に対して投票するときは「党議決定」で行動を縛っている。
だれもが運動には組織が必要であることを知っている。徒党を組んでいる。
それを無視して、安倍を批判する人間だけをとらえて「組織的活動家」と呼んで、いったい何を「批判」するつもりなのだろう。
稲田の「自衛隊としてお願いする」も、あまりにも「過小評価」されている。公職選挙法に違反する程度の問題ではない。
自衛隊は武装集団である。武装した組織である。武装組織が「お願いします」と言うとき、それは「お願いします」ではないだろう。武装した自衛隊に囲まれて、「自民党議員への投票をお願いします」と言われたら、恐怖を感じない人間がいるだろうか。これは、脅しである。国民を恐喝したのである。防衛大臣として、恐喝したのである。
稲田が「自衛隊」をつかって国民を恐喝した。安倍が「こんな人たち」と国民を侮蔑した。
これに対して国民(東京都民)は、素手で、ことばで立ち向かった。投票という「平和的手段」で意思を表明した。そこに「組織的活動家(リーダー)」はいたかもしれないが、「党議決定」のような「拘束力」をもった「指示」はない。国民(都民)はひとりひとりの判断で投票した。責任をもって議員を選んだ。その結果、自民が敗れた。
国民(都民)がほんとうに勝ったのかどうかは、小池都政の行方をみないと判断できないが、現時点で自民党が負けたことは確かである。
負けたことに対する「責任」を安倍は、しっかりと取るべきである。負けた理由を、しっかりと国民に説明すべきである。負けたときに何もいわなくていいのは、勝負の前に何も言わなかった人間だけである。言った限りは、最後まで「ことば」で、何が起きたのか説明すべきである。
「組織的活動家」のリーダーが「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い、「組織運動」をした。演説のときも、自民党の関係者が旗を持って活動していた。「安倍やめろ」の横断幕を必死になって隠そうとしていた。その「組織」が負けたのである。
安倍は責任を取るべきである。
安倍はいろいろな発言をするが、その発言を実行したことは一度もない。いまこそ、実行すべきである。発言に責任をとるべきである。
#安倍を許さない #憲法改正 #加計学園 #天皇生前退位 #稲田防衛大臣
自民党憲法改正草案を読む/番外101 (情報の読み方)
東京都議選の安倍の応援演説、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」めぐって、いろいろな意見が出ている。
菅はこの発言に対して、いつものように「問題ない」と言っている。「民主主義国家なのだから選挙応援の発言は自由。縛ることなどあり得ない」とも。
もちろん「発言は自由」。
国民を「ばか」と呼ぼうが、「間抜け」と呼ぼうが、それは安倍の自由。
だが、どんな発言にも「責任」が伴う。
それを忘れてもらっては困る。
「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言って安倍が応援した自民党の候補は落選した。自民党の議席が大幅に減った。つまり、「負けた」。このことは、だれもが知っている。
安倍は、その責任を取るべきである。自民党総裁を辞任し、内閣総理大臣も辞めるべきである。
「こんな人たち」とは安倍に対して「安倍帰れ、安倍やめろ」と叫んだ人たちである。この人たちを、前横浜市長の中田宏は「組織的活動家」と呼んだ。「肯定」したのではなく、「否定」する意味で、そう呼んだ。
しかし、民主主義の運動において、「組織的活動家」は欠かせない存在である。
権力を批判するには「組織」が必要だし、組織には組織をリードする人が必要である。
自民党も「組織」だし、それをリードする安倍は「組織的運動家」である。そこに集う自民党員も「組織的運動家」である。「公明党=創価学会員」も同じだ。
自民党も公明党も「組織的運動家」であって、独立した個人の運動家(政治家)ではない。国会で議案に対して投票するときは「党議決定」で行動を縛っている。
だれもが運動には組織が必要であることを知っている。徒党を組んでいる。
それを無視して、安倍を批判する人間だけをとらえて「組織的活動家」と呼んで、いったい何を「批判」するつもりなのだろう。
稲田の「自衛隊としてお願いする」も、あまりにも「過小評価」されている。公職選挙法に違反する程度の問題ではない。
自衛隊は武装集団である。武装した組織である。武装組織が「お願いします」と言うとき、それは「お願いします」ではないだろう。武装した自衛隊に囲まれて、「自民党議員への投票をお願いします」と言われたら、恐怖を感じない人間がいるだろうか。これは、脅しである。国民を恐喝したのである。防衛大臣として、恐喝したのである。
稲田が「自衛隊」をつかって国民を恐喝した。安倍が「こんな人たち」と国民を侮蔑した。
これに対して国民(東京都民)は、素手で、ことばで立ち向かった。投票という「平和的手段」で意思を表明した。そこに「組織的活動家(リーダー)」はいたかもしれないが、「党議決定」のような「拘束力」をもった「指示」はない。国民(都民)はひとりひとりの判断で投票した。責任をもって議員を選んだ。その結果、自民が敗れた。
国民(都民)がほんとうに勝ったのかどうかは、小池都政の行方をみないと判断できないが、現時点で自民党が負けたことは確かである。
負けたことに対する「責任」を安倍は、しっかりと取るべきである。負けた理由を、しっかりと国民に説明すべきである。負けたときに何もいわなくていいのは、勝負の前に何も言わなかった人間だけである。言った限りは、最後まで「ことば」で、何が起きたのか説明すべきである。
「組織的活動家」のリーダーが「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い、「組織運動」をした。演説のときも、自民党の関係者が旗を持って活動していた。「安倍やめろ」の横断幕を必死になって隠そうとしていた。その「組織」が負けたのである。
安倍は責任を取るべきである。
安倍はいろいろな発言をするが、その発言を実行したことは一度もない。いまこそ、実行すべきである。発言に責任をとるべきである。
#安倍を許さない #憲法改正 #加計学園 #天皇生前退位 #稲田防衛大臣
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