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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

西脇順三郎の一行(58)

2014-01-14 06:00:00 | 西脇の一行
西脇順三郎の一行(58)

 「えてるにたす Ⅰ」

水たまりに捨てられた茶碗                     (70ページ)

 この水たまりは、道路にできた水たまりではない。野原やがけ下にできた水たまりである。そういう水たまりは、だいたいが汚い。汚いけれど水は澄んでいることがある。汚いのは水たまりの底である。泥の感じが汚い。そこに茶碗の白がある。それも割れた茶碗だ。無意味なもの。無意味なものの美。人間から切り離されている。同時に自然からも拒絶されているような感じ。
 それは何かの「シムボル」になるだろうか。なりはしない。何もあらわさないものが、ほんとうの「シンボル」だろう。それは、何かを意味するのではなく、私たちがすがろうとする「意味」を捨て去る力なのだ。

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