西脇順三郎の一行(58)
この水たまりは、道路にできた水たまりではない。野原やがけ下にできた水たまりである。そういう水たまりは、だいたいが汚い。汚いけれど水は澄んでいることがある。汚いのは水たまりの底である。泥の感じが汚い。そこに茶碗の白がある。それも割れた茶碗だ。無意味なもの。無意味なものの美。人間から切り離されている。同時に自然からも拒絶されているような感じ。
それは何かの「シムボル」になるだろうか。なりはしない。何もあらわさないものが、ほんとうの「シンボル」だろう。それは、何かを意味するのではなく、私たちがすがろうとする「意味」を捨て去る力なのだ。
「えてるにたす Ⅰ」
水たまりに捨てられた茶碗 (70ページ)
この水たまりは、道路にできた水たまりではない。野原やがけ下にできた水たまりである。そういう水たまりは、だいたいが汚い。汚いけれど水は澄んでいることがある。汚いのは水たまりの底である。泥の感じが汚い。そこに茶碗の白がある。それも割れた茶碗だ。無意味なもの。無意味なものの美。人間から切り離されている。同時に自然からも拒絶されているような感じ。
それは何かの「シムボル」になるだろうか。なりはしない。何もあらわさないものが、ほんとうの「シンボル」だろう。それは、何かを意味するのではなく、私たちがすがろうとする「意味」を捨て去る力なのだ。