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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

自民党憲法改正草案を読む(7/番外編)

2016-07-03 08:00:09 | 自民党憲法改正草案を読む
憲法の読み方、安倍の論理の欠陥

https://www.facebook.com/gomizeromirai/videos/1213620158678119/
 上記のURL のビデオで安倍が「憲法」を批判している。2012年12月の発言であり、いまとは違うというかもしれないが、非常に疑問に思ったことがある。
 そのことを書いておく。

安倍の発言の要約。
********************************
 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの生存と安全を保持しようと決意した」と書いてあるんですね。
 つまり、自分たちの安全を世界に任せますよ、と言っている。そして「専制と隷従、圧迫と偏狭をこの地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う。」
 自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているんじゃないんですよ。
 国際社会がそう思っているから助けてもらおうと。いじましいんですね。
 みっともない憲法ですよ、はっきり言って。
***********************************
 安倍の発言のすべてがビデオでわかるわけではないのだが、私には、安倍は憲法の前文を故意に省略しているように思える。
 前文の第一段落に、
 「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
と明記している。
 戦争は「政府(国家権力)」が引き起こしたもの。引き起こすもの。「国民」が起こすものではない。
 日本国民は、政府(権力)によって、そういう事態が起こらないようにするために、「主権は国民にある」と宣言し、政府(権力)の暴走を拘束するために、この「憲法」をつくる。
 「主語」は国民。
 「憲法は権力を拘束するもの」ということを、まず明確にしている。「国民」が「憲法によって、政府を暴走させない」、「政府が憲法を守るかどうか厳しく見つめる」と言っている。
 これは、「私たちは、日本の政府(権力)の暴走を縛るために努力する」ということである。
 「自分たちの安全を世界に任せます」とはひとことも言っていない。
 逆である。
 「世界の安全のために、日本の政府が戦争を引き起こさないように監視する、憲法を守らせる」と宣言している。
 ここには第二次大戦が日本政府によって引き起こされ、その結果が世界に及んだという反省がこめられている。

 さらに、第二段落で呼びかけているのは、「諸国」に対してではない。
 「諸国民」と明確に書いてある。
 「主権者」である「日本国民」が、やはり「主権者」である「諸国民」に呼びかけている。
 「主語/主役」の「日本国民」が、やりは「諸国」の「主語/主役」である「諸国民」に呼びかけている。「国民」こそが「主語/主役」であるという認識で、憲法が書かれている。「国」というのは「国民」があってはじめて生まれるのであって、「国」が「国民」を支配するという考え方は、どこにも書かれていない。
 「戦争は、政府(権力)が引き起こすもの」。だから「平和を愛するなら、あなたがた諸国民もあなたの政府(権力)が戦争を起こすことのないように、権力の暴走を防いでほしい」と呼びかけているのである。これは繰り返しになるが、「私たち日本国民は、日本の政府が戦争を引き起こさないよう監視する」という意味である。
 諸国の「政府」ではなく、諸国の「諸国民」を「信頼する」。
 この思想の背景には、
「国民は戦争を起こさない(起こせない)、戦争を起こすのは政府である(政府が戦争を布告する)」という考えがある。
 この「思想」を安倍は、わざと省いている。
 これは逆にいえば、安倍が「主権」が国民にあると考えていないということでもある。「主権」は政府にある、と考えているということでもある。
 「専制と隷従、圧迫と偏狭をこの地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う。というのも、「国(政府/権力)」が「国際社会」で「名誉ある地位を占めたいと思う」と言っているのではない。「国(日本)」を「主語」にして発言してはいない。
 前文の「主語」は一貫して「日本国民」である。「主権者」である。安倍は、このことをまったく理解していない。ほんとうに憲法を読んだのかどうか、疑問を感じてしまう。
 現行憲法の前文は、
 「主権者=国民」は、他国の「主権者=国民」と連携する、
 と宣言している。
 言い換えると、「主権者(国民)」は、「戦争を起こしたことのある政府」などは信頼しない、と言っているのである。信頼していないから、憲法をつくり、「政府」を縛りつけると言っている。
 それくらいの強い気持ちを「前文」に込めている。
 「政府を拘束するぞ」と言っている。
 なぜ、政府を拘束するかと言えば、政府こそが戦争を引き起こすものだからである。
 前文の「主語」が一貫して、国民であることは、最後の段落、
 「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
 からもわかる。
 「われら」とは「国(政府)」ではない。「日本国民」である。
 安倍が言うように、「自分たちが専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそうと考えているんじゃないんですよ。」と言うことではない。
 逆である。日本国民は、「日本の国から専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそう」と努力する。 自分たちで、「日本の国から専制や隷従、圧迫と偏狭をなくそう」と言っている。
 「政府(露骨に言えば、安倍のような人間)」は「専制や隷従、圧迫と偏狭」を日本人に押しつけてくることがあるかもしれない。いま、まさに、そういうことが起きようとしている。それに対して憲法前文は「闘う」と宣言している。「専制や隷従、圧迫と偏狭ををなくそうと考えている」と言っているのだ。
 「諸国民」に対し、「日本政府(安倍)」の暴走を止めてくれ、と依頼しているわけではない。あくまで、日本国民は、「政府が暴走する国」をつくらない、「政府の暴走を許し、政府が戦争を引き起こすというようなことがないようにする」、そういう「国家をつくる」ことを誓うと言っているのだ。
 どこにも「助けてもらおう」という気持ちはない。

 安倍は、「いじましいんですね。みっともない憲法ですよ、はっきり言って。」と言っているが、これは「安倍にとってはみっともない憲法である」という意味に過ぎない。つまり、この憲法のもとでは、「最高権力者」として日本国民を支配できない、これでは「最高権力者=安倍」がみっともない。「最高権力者=安倍」が国民より下なのは「みっともない」と感じているということだ。「最高権力者=安倍」が国民の考えていることにしたがわなければならないなんて、「みっともない」と考えているのだ。
 国民の「理想」を実現するために努力することを「ほこり」とはいわずに、「みっともない」と考えることこそ、私から見れば「みっともない」。あくまで「最高権力者=安倍」は国民を支配しないことには「最高権力者」になれない、と思うことこそ「いじましい」。
 安倍の発言は「国民」のことを考えない思想だ。国の「主役/主語」が「国民」であることを忘れた発言である。

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