『新年の手紙』(1973年)で田村は「他人」に出会っている。それまでも人間にであっていたかもしれないが、「他人」には出会っていなかった。
「水銀が沈んだ日」は寒い日にニューヨークに住む詩人を訪ねたときの作品である。
田村は詩人と会って、彼が日本に行った、一時間だけだったと話したことを大切なことがらとして書いている。それだけが唯一のことばであったかのように、引用している。そこに、詩人のことばに、どんな「意味」がある? どんな「意味」もない。だから、重要なのだ。
「他人」とは全体に「ぼく」とは一体にならない存在である。いわば「矛盾」である。矛盾は、田村にとっては、止揚→統合(発展)とつながっていくものではない。むしろ、ふたつの存在、ここでいえば「詩人」と「ぼく」とのあいだに存在するものを叩き壊し、そこに存在するものを、存在以前のものにしてしまうものである。そこに存在するものが、存在以前のものになる時、「詩人」も「ぼく」も、「詩人以前」「ぼく以前」になる。未生のものになる。
田村は詩人については多くのことを知っていた。しかし、たぶん彼が日本にきたことがあるとは知らなかった。もちろん、日本に来たといっても羽田を通過しただけだから、それは来た、行った、ということにはならないだろうから、だれも知らない「事実」だっただろう。
その知らなかったものが、ふいに噴出して来る瞬間、詩人と田村のあいだにあった「空気」がかわったと思う。実際、かわったからこそ、田村はそれを一番の記憶として書き残しているのである。
でも、どんなふうに変わった?
それは書いていない。書けないのだ。そのときは「変わった」ということしか、わからないからである。
「人間の家」という作品に、次の行がある。
「過去」「未来」は田村にとっては「名詞」なのだ。固定したものなのだ。田村がほしいのは運動そのもの、何度か書いてきた私のことばで説明すれば、ベクトル、→、なのだ。
詩人が田村に話したことは過去のことである。しかし、それは「過去形」ではないのである。「名詞」として固定化されている「歴史」ではないからだ。詩人の肉体が突然、時間をひっぱりだしてきたのである。「過去」ではなく、「いま」としてひっぱりだしてきたのである。--言い換えると、「いま」、田村はその事実を知った。「過去」はその瞬間「いま」になったのである。それが「現在形」である。「過去」さえも「いま」にしてしまう運動が「現在形」である。
弁証法が、対立→止揚→統合(発展)という運動をするのに対し、田村のことばの運動は、矛盾→破壊→融合(あるいは溶解)である。
詩人のことばは、田村が知っていた詩人についてのことがらを破壊する。少なくとも、「過去」を破壊し、まったく別の出来事を「いま」に運んで来る。それを受け止める時、田村の抱えていた「時間」そのものが揺らぐ。「いま」と「過去」がかきまぜられてしまう。他人と出会うと「時間」は動かざるを得なくなるのだ。「他人」とは、いつでも「ぼく」の知らない時間を生きてきた人間だからである。なんらかの真実の話をすれば、そこにはかならず知らないことがまじっていて、それが「時間」をかきまぜるのである。
こんなとき、頼りになるのはなにか。「肉体」である。「肉体」はいつも「いま」しかない。「過去」は「頭」がつくりあげる運動領域である。「未来」も「頭」がつくりあげる運動領域であり、「肉体」とそこに存在することはできない。「頭」は「いま」「ここ」にいながら、同時に「過去」「未来」にも存在し得るけれど(その領域で運動できるけれど)、「肉体」は「過去」「未来」と「いま」との時間を同時に運動領域とすることはできない。
ふいに出現してきた「いま」をどうやって受け止めるか。「肉体」で受け止めるしかない。
「肉体」で「いま」に生まれてきた「過去」があることを受け止めたという印として握手をするのである。
ここでは「手」がその仕事をしているが、別の場所、別の機会には、別の「肉体」が、たとえば、眼が、耳が、そういう働きをするはずである。
「水銀が沈んだ日」は寒い日にニューヨークに住む詩人を訪ねたときの作品である。
ここにあるのは濃いコーヒーとドライ・マルチニ それにラッキー・ストライク
ぼくには詩人の英語が聞きとれなかったから
部屋の壁をながめていたのだ E・M・フォースターの肖像画と
オーストリアの山荘の水彩画 この詩人の眼に見える秘密なら
これだけで充分だ ヴィクトリア朝文化の遺児を自認する「個人」とオーストリアの森と
ニューヨークの裏街と
「日本には一九三八年に行った それも羽田に一時間だけね
まっすぐに戦争の中国へ行ったのだ
イシャウッドといっしょにね」
寒暖計の水銀が沈んだ日
「戦いの時」のなかにぼくはいた
詩人の大きな手がぼくに別れの握手をした
田村は詩人と会って、彼が日本に行った、一時間だけだったと話したことを大切なことがらとして書いている。それだけが唯一のことばであったかのように、引用している。そこに、詩人のことばに、どんな「意味」がある? どんな「意味」もない。だから、重要なのだ。
「他人」とは全体に「ぼく」とは一体にならない存在である。いわば「矛盾」である。矛盾は、田村にとっては、止揚→統合(発展)とつながっていくものではない。むしろ、ふたつの存在、ここでいえば「詩人」と「ぼく」とのあいだに存在するものを叩き壊し、そこに存在するものを、存在以前のものにしてしまうものである。そこに存在するものが、存在以前のものになる時、「詩人」も「ぼく」も、「詩人以前」「ぼく以前」になる。未生のものになる。
田村は詩人については多くのことを知っていた。しかし、たぶん彼が日本にきたことがあるとは知らなかった。もちろん、日本に来たといっても羽田を通過しただけだから、それは来た、行った、ということにはならないだろうから、だれも知らない「事実」だっただろう。
その知らなかったものが、ふいに噴出して来る瞬間、詩人と田村のあいだにあった「空気」がかわったと思う。実際、かわったからこそ、田村はそれを一番の記憶として書き残しているのである。
でも、どんなふうに変わった?
それは書いていない。書けないのだ。そのときは「変わった」ということしか、わからないからである。
「人間の家」という作品に、次の行がある。
おれがほしいのは動詞だけだ
未来形と過去形ばかりでできている社会にはうんざりしたよ
おれが欲しいのは現在形だ
「過去」「未来」は田村にとっては「名詞」なのだ。固定したものなのだ。田村がほしいのは運動そのもの、何度か書いてきた私のことばで説明すれば、ベクトル、→、なのだ。
詩人が田村に話したことは過去のことである。しかし、それは「過去形」ではないのである。「名詞」として固定化されている「歴史」ではないからだ。詩人の肉体が突然、時間をひっぱりだしてきたのである。「過去」ではなく、「いま」としてひっぱりだしてきたのである。--言い換えると、「いま」、田村はその事実を知った。「過去」はその瞬間「いま」になったのである。それが「現在形」である。「過去」さえも「いま」にしてしまう運動が「現在形」である。
弁証法が、対立→止揚→統合(発展)という運動をするのに対し、田村のことばの運動は、矛盾→破壊→融合(あるいは溶解)である。
詩人のことばは、田村が知っていた詩人についてのことがらを破壊する。少なくとも、「過去」を破壊し、まったく別の出来事を「いま」に運んで来る。それを受け止める時、田村の抱えていた「時間」そのものが揺らぐ。「いま」と「過去」がかきまぜられてしまう。他人と出会うと「時間」は動かざるを得なくなるのだ。「他人」とは、いつでも「ぼく」の知らない時間を生きてきた人間だからである。なんらかの真実の話をすれば、そこにはかならず知らないことがまじっていて、それが「時間」をかきまぜるのである。
こんなとき、頼りになるのはなにか。「肉体」である。「肉体」はいつも「いま」しかない。「過去」は「頭」がつくりあげる運動領域である。「未来」も「頭」がつくりあげる運動領域であり、「肉体」とそこに存在することはできない。「頭」は「いま」「ここ」にいながら、同時に「過去」「未来」にも存在し得るけれど(その領域で運動できるけれど)、「肉体」は「過去」「未来」と「いま」との時間を同時に運動領域とすることはできない。
ふいに出現してきた「いま」をどうやって受け止めるか。「肉体」で受け止めるしかない。
詩人の大きな手がぼくにお別れの握手をした
「肉体」で「いま」に生まれてきた「過去」があることを受け止めたという印として握手をするのである。
ここでは「手」がその仕事をしているが、別の場所、別の機会には、別の「肉体」が、たとえば、眼が、耳が、そういう働きをするはずである。
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素晴らしく、且つ、印象的でした。