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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳カヴァフィスを読む(13) 

2014-04-04 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(13)          

 「裏切り」は「中断」の続編のような詩である。不死であるはずのアキレスだが、

だが ある日 長老連が参内、
「アキレス トロヤに殺さる」と言上。
テティス すなわち紫の衣を脱ぎ捨て、
引き裂き、指輪 腕輪を抜きとって
床の上に投げつけた。

 「すなわち」について中井久夫は「即座に」の意味であると注釈に書いているが、この訳はとても中井らしい。中井の訳には様々な文体が交錯する。「すなわち」は漢文体。「即ち」である。「漢語林」(大修館書店)に「会即帯剣擁盾入軍門」がある。前後の区別がないくらいに、すぐその場で。だから、中井の訳も「テティスはその場で紫の衣を脱ぎ捨て」であっても同じ「意味」になるのだが、中井は「すなわち」を選びとっている。なぜだろう。私が想像するに、ことばのスピードが違う。「その場で」は何か間延びがする。中井が注釈している「即座に」でも間延びがする。そして、その「間延び」の原因(?)は「場」「座」ということばが象徴的だが、そこに空間を引き寄せてしまう。まわりが見えてしまう。「すなわち」には「場(空間)」を感じさせる要素がない。「すなわち」はさんでいることばが直に接続する感じがする。「色即是空」の「即」に近い。ふたつがひとしい。「ひきつづいて」という感じではなく「同時」。
 これは、こう言った方がいいのかもしれない。
 「すなわち」からあと、中井はテティスの行動を、そういう順序で行動したかのように書いているが(ことばなので、そう書くしかないのだが)、これはほんとうは、

テティスすなわち紫の衣を脱ぎ捨て、
「すなわち」引き裂き、「すなわち」指輪 腕輪を抜きとって
「すなわち」床の上に投げつけた。

 である。一続きの行動ではなく、全部が「ひとつ」に凝縮する形で「ひとつ」。行動の、肉体の動きがテティトスによって「ひとつ」に凝縮する。分離できない。衣を脱ぎ捨てることはすなわち引き裂くことであり、それはすなわち指輪、腕輪を投げすてること。指輪、腕輪も、すなわち権力の「衣装」である、と補足すれば「すなわち」と訳した中井の意図に近づくだろうか。
 口語、俗語の文体としては、テティトスの次の台詞。俗人のような口調が生々しい。

あのうたげで弁舌さわやか べらべらしゃべったあの神が?

 この詩でもカヴァフィスは史実(神話的事実)より人間の「こと」を書いている。
           (注・漢語林の引用、「会」は正しくは「口」へんに「会」)


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