詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳カヴァフィスを読む(192)(未刊・補遺17)

2014-09-29 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(192)(未刊・補遺17)2014年09月29日(月曜日)

 「ソシビオスの大宴会」。ソシビオスとは、中井久夫の注釈によれば「前三世紀プトレマイオス三世フィロバトルの大臣」。そこで大宴会が開かれる、そこに招かれているので行かなければならないのだが、詩の前半はそのことがまったく書かれていない。

私の午後は申し分なかった。まったくなし。
櫂はいともかろやかに水面に触れる。櫂の愛撫。

 それぞれの行が、行のなかで同じことを繰り返している。「申し分なかった。まったくなし」「櫂は水面に触れる」「櫂の愛撫」--繰り返すことで、その「時間」に酔っている。満足するだけではなく、その満足をもう一度味わっている。
 これをもう一度、別な言い方で言いなおしている。

あまやかに滑らかなアレクサンドリアの海よ。
この息抜きが入り用だった。仕事がきつかったもの。

 仕事を終え、午後のあまった時間を仕事以外のことにつかって息抜きしている。
 繰り返しの、甘いことばの響きは、なにかしらセックスを想像させる。「愛撫」や「息抜き」ということばが、それを補足している。「あまやかに滑らかなアレクサンドリアの海よ。」という広がるような音の響きと、最後の「よ」という詠嘆がここちよい。
 それにつづく三連目の、

時にはものを見る目が無邪気に優しくなったと思う。

 この一行も美しい。「無邪気」という濁音を含んだ音が、耳に気持ちがいい。「音」を楽しんでいる。ことばの音楽を悦ぶ耳がある。
 これがこのあと「別の遊びに変える潮時だ」ということばから、がらりとかわる。

名家(言ってしまえば大ソシビオス夫妻)の
宴に招かれている。

戻らねば、われらの陰謀に、
またしてもうんざりの政争に。

 それまでの伸びやかな、伸びやかゆえにどうしても長くなってしまう行から一転して、ばっさりとたたききったような行。音。「言ってしまえば」という「主観」をむき出しにしたことば。
 「陰謀」「政争」ということばが、前半と「対照」をつくっている。前半は、やはり愛の睦言の世界なのである。


リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
クリエーター情報なし
作品社

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4400円(税抜き、郵送料無料)でお届けします。
メール(panchan@mars.dti.ne.jp)でお知らせ下さい。
ご希望があれば、扉に私の署名(○○さま、という宛て名も)をします。
代金は本が到着後、銀行振込(メールでお知らせします)でお願いします。

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