goo blog サービス終了のお知らせ 

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

西脇順三郎の一行(86)

2014-02-11 06:00:00 | 西脇の一行
西脇順三郎の一行(86)

「壌歌」(Ⅱ)

タマデンの線路が曲つてのびている                 (98ページ)

 「曲る」は西脇の好む描写だが、曲がってそのあとはどうなるのか。あまりその先のことは書かないが、ここでは「のびている」と動詞がつづいている。「曲がる」そのものは、直線の拒絶であり、拒絶は切断であると考えると、「のびる」は何だろう。「接続」とは違うなあ。
 ふと私は西脇の好きな「永遠」ということばを思い浮かべる。はてしなくまっすぐでも永遠だろうけれど、西脇の永遠は、曲がることで果てしない先にあるではなく、その「曲がる」という運動そのもののなかにあるように思えてくる。まっすぐよりも曲がる方が「運動」に変化があって、そこに「味」がある。「味」を含めて「永遠」なのだ。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マーティン・スコセッシ監督... | トップ | 齋藤健一「療病」ほか »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

西脇の一行」カテゴリの最新記事