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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳カヴァフィスを読む(120)

2014-07-20 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(120)        2014年07月20日(日曜日)

 「退屈な村で」は男色の詩になるのだと思うが、非常に清潔である。男色ではなく、異性の肉体への欲望とも読めるが、カヴァフィスを読んでいると、ついつい男色を想像する。この作品が清潔なのは、ことばに間延びしたところがないからだ。

退屈な村で働く男。
とはいえ店番。こんなに若くて。
今から二、三ヶ月後、
いやもう二、三ヶ月先だろうな、
仕事が終わる。さあ、休みを取って
市に行ける。頭から飛び込むぞ。

 一行目の「退屈な村」が特徴的だが、どんな具合に「退屈」なのか、その実際を描写することばがない。「退屈」だけで、片づけてしまっている。「退屈な村」の「退屈」を書くのが目的ではなく、そこにいる男のこころの動きを書くのが主眼だからだ。
 「今から二、三ヶ月後、/いやもう二、三ヶ月先だろうな、」この三、四行目は同じ意味である。「後」と「先」は日本語の文字で見ると方向が逆に見えるが、この訳がとてもおもしろい。実質は同じことなのに、方向を逆にすることばのために「二、三ヶ月」がぶつかって、その衝突のなかに時間が消えていくみたいだ。
 これは中井久夫の工夫なのだと思うが、その衝突によって、「繰り返し」が意味の繰り返してではなく、リズムに変化して、ことばを音楽の陶酔に誘う。
 短い文がたたみかけるように動く。その動きがとても早いので、男の「欲望」を見ているというよりも「純粋な期待(夢)」を聞いているような感じがする。「肉欲」というより「こころの躍動」、若い男の、若い血の鼓動(陶酔)を聞いている感じがする。

今日も性の欲望にふくらんで眠りに就く。
からだの情熱の火の燃えさかる若さ。
繊細な激情に身をゆだねた
彼の身体のうるわしい若さよ。
眠りの中で快楽が訪れた。
眠る彼は見た、憧れの姿を、
そしてかき抱いた、憧れの肉を。

 なかほどの「うるわしい」という形容詞がおもしろい。「うるわしい」は「用言」だから、この「用言」は動きが、他の動詞のように動かない。そこに停滞している。そして、そこでいったん停止するからこそ、微妙にねじれる。肉欲は直接肉体をつかむのではなく「夢(眠りのなか)」で暴走する。
 「うるわしい」の停滞、つづく「若さ」という名詞の停滞を、「訪れる」「眠る」「見る」「かき抱く」という複数の動詞が次々に突き破って動き、そのスピードが清潔だ。

カヴァフィス全詩集
コンスタンディノス・ペトルゥ カヴァフィス
みすず書房

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