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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳カヴァフィスを読む(145) 

2014-08-14 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(145)        

 「美しい白い花」は男色の三角関係を描いている。

彼は、ふたりがよくいっしょにすわったカフェに行った。
ここだ。三月前だ。あの子は宣言した。
「ぼくらのあいだはもうおしまい。ふたりで
いちばん安い宿から宿へとさまようばかり。もういけない。
ウソを吐いても始まらぬ。あなたの相手はもうできぬ。
言ってしまえば、世話をしてくれるひとが別にできたの」
だれかさんはその子に約束していた。スーツを二着。絹ハンカチを何枚か。

 恋人を結びつけるのは、愛情か。肉欲か。あるいは金銭か。--そのことを詮索しても、あまりおもしろくはない。それは、たぶん、詩にとってはどうでもいいことである。
 詩にとって重要なのは、そういう「事実(こと)」が「ことばになる」ということである。三角関係と金銭。金のある男が恋人を奪う--というのは「愛」(感情)を基本に考えると美しいことではないが、それが美しかろうがなかろうが、人間はそういう具合に動いてしまうということがある。
 それをことばにするか、しない。
 男色の詩は、カヴァフィス以外にも書いているだろう。カヴァフィスが独特なのは男色を描くのに「美辞麗句」を使わないことだ。男色家のだれもが持っている「現実」をそのまま書いている。隠したい「現実」をさらけだしている。
 「事実」が書かれている。「事実」は書かれてしまうと「真実」になる。「真実」になってしまうと、それが人間のどんなに醜い部分を描いていたとしても、それは「詩」になる。だれも書かなかった、誰かに書いてほしいと思っていた「詩=絶対的なことば」になる。
 この詩には、ストーリーがある。「あの子」は三角関係の成れの果てなのかどうかわからないが、殺されて死んでしまう。「あの子はもうスーツを欲しがらない。絹のハンカチも全然。」という具合になってしまうのだが、そういう劇的なストーリーよりも、その前に書かれる「超リアルな現実」のことばの方がはるかにおもしろい。

彼は自力でその子を奪い返した、
口には出せぬ手段で巻き上げた二十リラで。
(略)
だれかさんはウソ吐き。まったくイカサヌ男だ。
仕立てのスーツはけっきょく一着。
それもねだって、さんざん拝み倒してだ。

 何も「美化」しようとはしていない。ただ「現実」を「現実」のまま書こうとしている。「現実」からしか「真実」が生まれないことをカヴァフィスは知っている。
リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
ヤニス・リッツォス
作品社

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