西脇順三郎の一行(69)
ある村で見かけた若い男のことばである。このあと「まさかりを貸してくんねえか」とつづくのだが、近所の家に向かって「ここの衆」と呼び掛ける、その呼び掛け方に西脇は驚いている。
状況から、そしてそのことばから、「意味」はわかるのだが、詩は「意味」ではない。「意味」をこえる何かだ。ここでは、その何かとは「音」である。西脇のつかわない音。西脇は、「ここの衆」と呼び掛けて誰かの家を訪ねることはないだろう。だからこそ、その音に驚いた。
こうした音の驚きを西脇はそのまま詩にしている。
ことばの「意味」の土台に「音」がある。「音」が、そこに人間を屹立させる。
「まさかり」
「ここの衆
ある村で見かけた若い男のことばである。このあと「まさかりを貸してくんねえか」とつづくのだが、近所の家に向かって「ここの衆」と呼び掛ける、その呼び掛け方に西脇は驚いている。
状況から、そしてそのことばから、「意味」はわかるのだが、詩は「意味」ではない。「意味」をこえる何かだ。ここでは、その何かとは「音」である。西脇のつかわない音。西脇は、「ここの衆」と呼び掛けて誰かの家を訪ねることはないだろう。だからこそ、その音に驚いた。
こうした音の驚きを西脇はそのまま詩にしている。
ことばの「意味」の土台に「音」がある。「音」が、そこに人間を屹立させる。