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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

西脇順三郎の一行(84)

2014-02-09 06:00:00 | 西脇の一行
西脇順三郎の一行(84)

わきで全くきこえない音を                     (96ページ)

 「全くきこえない」なら、それは「音」ではない。でも、西脇は「音」と書く。それ読むとき、不思議なことに私には「音」が聞こえる。この「聞こえる」はとても変な感覚だ。まわりにある音が、その「きこえない音」に向かって吸い込まれていく。消えていく。消えつづけていく。消えたと思ってもまだ消えていなくて、はてしなく消えていくという「運動する音」なのである。
 この「運動する音」というのは、この行につづく「出しているがそれも/果てしない永遠に向かつて/あこがれているのだ」という行によって強調されている。
 音が消えた瞬間の「無」になった「音」ではなく、「無」を生み出しつづける音。「生み出しつづける」という動きがあるために、その振動のために、「音」が聞こえる--と書いてしまうと理屈っぽくなるし、強引にもなるのだが……。

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