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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『つい昨日のこと』(37)

2018-08-14 08:58:54 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
37 タコ

泳ぐタコ 匿れるタコ 墨噴いて遁走するタコ
月の夜に海から上がり 八本足でスイカを抱くタコ

 高橋が書いているタコは、どこで見たのだろうか。よくわからない。けれど「八本足でスイカを抱くタコ」はとても印象に残る。スイカとの組み合わせよりも、「抱く」という動詞のためだろう。人間は「手」で抱く。けれどタコは「足」で抱く。しかも八本ある。そこに「抱く」ことへの強い欲望を感じる。エロチックなのだ。
 この「抱く」は、他の部分にも出てくる。

ミノス王の大壺を抱いているのも 紀元前千五百年の大ダコ

 この「抱く」は実際にタコが壺を抱いているのではなく、壺にタコが描かれているということだろう。絵を描くのは、タコがそれだけ生活に密着しているからだが、高橋はなぜ「描かれている」ではなく「抱く」と言い切ったのか。
 ここに詩の謎がある。
 「抱く」と書きたかったのだ。
 先に書いたが「抱く」という動詞はエロチックな連想を誘う。そこから書き出しにもどってみると、おもしろい。「泳ぐ」はふつうのことだが「匿れる」はエロチックな駆け引きを連想させる。「墨噴いて遁走する」もあやしげな感じがする。
 高橋は、さらりと
 
ギリシア人の先祖代代お得意の航海術は 誰あろう
クレタ人から受け継いだもの タコ好きといっしょに

 と詩を閉じているが、人と人が出会うとき、そこにセックスが入り込むのは自然なことである。食べ物としての「タコ好き」のことを詩は描いているが、タコの「抱く力」への感心も、その「好き」には含まれるように思える。


つい昨日のこと 私のギリシア
クリエーター情報なし
思潮社

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