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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

高橋睦郎『つい昨日のこと』(43)

2018-08-20 09:01:56 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
43 逃げる海 ハルカリナッソス ミレトス エペソス

海は逃げる 沖へ 沖へ

 書き出しのこの一行が強烈だ。沖へ行くほど青さを増す海が見える。海とは、まず沖なのだ。ここではなく遠くなのだ。そのあこがれを引き出す。
 このあとは「説明」になる。

河が日日運んでくる 泥を嫌って--
港は埋まり 船たちは乾いて 弾ける

 その通りなのだろうが、その通りであることが少し退屈だ。これに歴史が重ねられ、さらに「畑」の下から「古代」が掘り出される。そこは海だったのだ。
 海は、どこへ行ったのか。

歩き疲れた孤独な旅人の目は半日 海を捜し
やっと見つけた貧しい漁港で 魚を食べる
遺跡の床のモザイクで見たのと同じ 舌鮃

 美しい結末だが、「理屈」が多い。「舌鮃」ということばのなかには「旅人の目」の「め(目)」が重なり、「半日」の「半」は舌鮃の目が体の「半分(片側)」についていることと重なる。「見る」という動詞が詩を貫くのではなく、「食べる」という動詞によって何かちぐはぐな印象になる。
 一行目を動かしていた「見る」という動詞が、後半では「近く」に限定されすぎている感じがする。
 「見る」ことはできない「時間の流れ(距離/隔たり)」が隠されているのだけれど。


つい昨日のこと 私のギリシア
クリエーター情報なし
思潮社

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