goo blog サービス終了のお知らせ 

詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

西脇順三郎の一行(30)

2013-12-17 06:00:00 | 西脇の一行
西脇順三郎の一行(30)

 「粘土」

トネ河とツクバを左にみて

 ふつうなら「利根川と筑波(山)を左にみて」と書くだろう。その方が何を見たかイメージがはっきりするからである。しかし、西脇は「わざと」カタカナまじりで書く。まるで外国の風景のように。
 ではなく。
 私は、そのとき実は風景を思い描かない。「河」は河になって水を流そうとするが、水の流れになって動こうとするが、それは瞬時に「ツクバ」という音によって消えてしまう。風景が消える。
 そして、「音楽」がかわりに聞こえる。「トネ」「ツクバ」。カタカナで書くと奇妙な音だ。それがほんとうに日本語にあるかどうかわからない。つまり、わけのわからない「音」だけがそこにあって、その音を聞きながら「左」を見る。視覚は「方向」だけを見て、ものを見ない。風景を見ない。
 もちろん視覚には何かが飛び込んできて、それは網膜に像を結ぶけれど、それは「無意味」。「意味」があるとすれば、「左」だけ。
 「左」といっしょにあるのは「音」だけである。
 このあと詩は「話をしながら/歩いたのだ」というように「ことば(会話/対話)」の世界へ入っていくが、これは自然な成り行きである。
 西脇は「視覚」で歩くのではなく、「聴覚」で歩くのだ。歩くと(動くと)聴覚が覚醒するのである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ポール・グリーングラス監督... | トップ | 清水あすか「夜を守(も)る」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

西脇の一行」カテゴリの最新記事