西脇順三郎の一行(27)
「ラムプ」が「ランプ」であったら好きになったかどうかわからない。「ラムプ」には音にならない不思議な音がある。耳に聞こえる音の奥、脳のなかに響く音がある。記憶の音。そういう音が昔はあったのだという肉体の記憶が脳に残っている--というのは、もちろん嘘、というか方便なのだが……。
西脇の音(音楽)は「肉体」そのもので聞くというよりも、何か、この「ラムプ」につうじる不思議な響きがある。脳に響いてくる。脳なのだけれど、脳だけではなく、脳が覚えている「肉体の記憶」。かつては、そういう肉体があった、「ラムプ」は唇が動き、音が美しく口のなかにこもる、その振動が口蓋をくすぐる……。
いまでも「ン」よりも「ム」の方が「プ」につながりやすいのだけれど。どうして「ン」と書くようになったのか……といってみても始まらないが。
「冬の日」
この村でラムプをつけて勉強するのだ。
「ラムプ」が「ランプ」であったら好きになったかどうかわからない。「ラムプ」には音にならない不思議な音がある。耳に聞こえる音の奥、脳のなかに響く音がある。記憶の音。そういう音が昔はあったのだという肉体の記憶が脳に残っている--というのは、もちろん嘘、というか方便なのだが……。
西脇の音(音楽)は「肉体」そのもので聞くというよりも、何か、この「ラムプ」につうじる不思議な響きがある。脳に響いてくる。脳なのだけれど、脳だけではなく、脳が覚えている「肉体の記憶」。かつては、そういう肉体があった、「ラムプ」は唇が動き、音が美しく口のなかにこもる、その振動が口蓋をくすぐる……。
いまでも「ン」よりも「ム」の方が「プ」につながりやすいのだけれど。どうして「ン」と書くようになったのか……といってみても始まらないが。