中井久夫訳カヴァフィスを読む(131)
「二十三、四歳の青年ふたり」も男色を描いている。カフェでひとりが相手を待っている。十時半から待って一時半になっても(三時間過ぎても)あらわれない。三枚もっていた銀貨もなくなってくる。
客観描写を「主観」が突き破る。「彼の心がずたずたに破れていく」ではなく、彼の「声」がそのままむき出しになる。この乱調のリズムがとてもおもしろい。中井久夫の訳のおもしろさだ。ふいに自分が詩の主人公になったような気持ちにさせられる。「……なあ」という口語の調子が複雑でとてもいい。自分のことなのに、はんぶん外から眺めているような「主観」の「倦怠感」のようなものもある。「主観」の「色」が強い。
そういう強い「主観の色」のあとに、「彼とて悩み出しもする」とまた静かなことばが動くので、寸前の「心が……」の声が印象的になる。
このあと、詩の調子はまた激変する。
「友がきた。」という短い文が、それまでのリズムを断ち切る。見えたとたんと「友がきた」を別のことばで言いなおして、それから「疲れも悩みも……」と彼の心の変化(肉体の変化)を描くのだが、これは「客観」描写になるのだろうか、「主観」の描写になるのだろうか。「消えたよ」と文末に口語の「よ」を補うと、その前のことばの畳みかけがそのままこころの躍動になる。
客観か主観かはよくわからないが、「……なあ」という口語の調子が消えて、状況が変わった感じが明確になる。二人の「場」の空気が、とてもよくわかる。
悩みが消えて、こころが弾む。その躍動が、ことばを再び短くする。
それから、愛欲へ走るふたり。そこからまたいつものカヴァフィスにもどる。「さあ、何もかも換気、生命、官能、魅惑。」というような修飾語のないことば。互いを知り合っているふたりには、個性的なことば、具体的なことばなど必要ないとでもいうように。
「二十三、四歳の青年ふたり」も男色を描いている。カフェでひとりが相手を待っている。十時半から待って一時半になっても(三時間過ぎても)あらわれない。三枚もっていた銀貨もなくなってくる。
コーヒーを飲みコニャクをすすって二枚が失せた。
シガレットも吸い尽くした。
長い長い待ちびと。心がずたずたに破れてゆくなあ。
こう何時間も独りでいると
道徳に背く自分の人生を
彼とて悩み出しもする。
客観描写を「主観」が突き破る。「彼の心がずたずたに破れていく」ではなく、彼の「声」がそのままむき出しになる。この乱調のリズムがとてもおもしろい。中井久夫の訳のおもしろさだ。ふいに自分が詩の主人公になったような気持ちにさせられる。「……なあ」という口語の調子が複雑でとてもいい。自分のことなのに、はんぶん外から眺めているような「主観」の「倦怠感」のようなものもある。「主観」の「色」が強い。
そういう強い「主観の色」のあとに、「彼とて悩み出しもする」とまた静かなことばが動くので、寸前の「心が……」の声が印象的になる。
このあと、詩の調子はまた激変する。
だが友がきた。見えたとたん、
疲れも悩みも退屈もあっという間にまったく消えた。
「友がきた。」という短い文が、それまでのリズムを断ち切る。見えたとたんと「友がきた」を別のことばで言いなおして、それから「疲れも悩みも……」と彼の心の変化(肉体の変化)を描くのだが、これは「客観」描写になるのだろうか、「主観」の描写になるのだろうか。「消えたよ」と文末に口語の「よ」を補うと、その前のことばの畳みかけがそのままこころの躍動になる。
客観か主観かはよくわからないが、「……なあ」という口語の調子が消えて、状況が変わった感じが明確になる。二人の「場」の空気が、とてもよくわかる。
友の知らせ。何という棚ボタ。
六十リラ儲けた。カードでだ。
悩みが消えて、こころが弾む。その躍動が、ことばを再び短くする。
それから、愛欲へ走るふたり。そこからまたいつものカヴァフィスにもどる。「さあ、何もかも換気、生命、官能、魅惑。」というような修飾語のないことば。互いを知り合っているふたりには、個性的なことば、具体的なことばなど必要ないとでもいうように。
![]() | リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」 |
ヤニス・リッツォス | |
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