雨
南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした、
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
この静かな女神の行列が
私の舌をぬらした。
1行目の「もたらした」が2行目から「ぬらした」に変わる。この音の変化が不思議だ。頭の中で「女神をぬらした」に音が変わっていく。しかも、すぐに変わるのではなく、抵抗しながら変わっていく。その抵抗感の代償(?)として、青銅、噴水、ツバメ……とイメージが動いていく。濡れるはずのないもの、つまり最初からぬれている噴水や潮、魚、そして風呂場もぬれる--しかも、それは「ぬれる」ではなく「ぬらした」という過去形。過ぎ去っていく雨の動き。その過ぎ去るという動きの中で「もたらした」がどんどん遠くなり、「ぬらした」に変わっていく。
それを強く印象づける「この」という「特定」する音、その響きが好きだ。「ぬらした」という音のなかにはない「お」「お」という母音の繰り返しが好きだ。
また「なんぷう」というやわらかい音から出発して、「青銅」「ツバメ」「黄金」と濁音が散らばりひろがっていく過程が好きだ。そのあと、「潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。」と濁音なしの行があり、一転して「静か」「寺院」「劇場」「行列」と濁音が増える。その変化が、私には、廃墟を駆け抜ける驟雨のように感じられる。光があふれ、光のなかを駆けていく驟雨。
風景が、ことばをとおして「肉体」になり、「舌」をぬらす--舌は、音を味わいながら、たっぷり唾でぬれる。そして、そのとき声は輝く。
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