
社会人となった25年前、会社人間にはなるまいと思っていた。査定や昇進のために汲々とするなんてイヤなこった、と。それは今も変わらないし、どちらかと言うと家庭の方を大事にしている方だ(先日も会社の飲み会断わって子供の行事へ)。
上司の所へ毎日ご機嫌伺いなんて、まっぴら御免。よほどのことでない限り相談なんてしないし(逆に相談される方)、むしろぶっきら棒な方。気ィ遣うんで、出張時はできるだけ別行動。没交渉と言うのか付き合いも最小限だし、休日ゴルフやったり会社の人間を自宅に呼んだりするなんて、考えられない。
それでもそこそこ出世できて、まあいい会社人生ではないか、と(上見りゃキリないけど)。ある程度の力付けておけば、ゴマすりなんか必要ないのかも。
昔と違って、会社に身も心も捧げるなんて、やめといた方がいい(今どきそんな奇特な人も少ないとは思うが)。会社でも役所でも政党でも軍隊でも藩でも、組織にいるとどうしても去勢(スポイル)されてしまうことだし。一定時間/期間、身を預けているだけ、という感覚で。
入社以来、それぞれ別の上司に言われたのは、「実るほど頭を垂れる稲穂でありなさい」「一匹狼になれ」あるいは「スペシャリストであれ」といったこと。そういう言葉は、今も心に残っている。
口先だけの評論家、やりっ放しの無責任、やる気のない無気力なんてのは、たまにはいいけれども、しょっちゅうやらかしていると自然に淘汰されていく、当たり前ながら。
もう一つは、変化に対応できること。それは生物にしろ組織にしろ、生き残るのには大切なこと。大きさとか強さとかは、おそらく二の次。変わり身の早さというのはあまり誉められたものではないが、芯というか軸はブレることなく、態度だけを変えていくのがいいのではないかと。
そもそも出世するかどうかは、会社の方針に忠実に従ってくれるかどうかに掛かっている。反抗的だの批判的だの、避けられるのは当然。だから、少なくとも会社ではある程度の“押し出し”とともに、従順であることが出世の要件となる(はず)。
上に立つ人ほど物腰柔らかい、というのはよく言われることだが、そういう人だからこそ持ち上げられた、のだとも言える。
ついでながら、若い頃から思っていた、なりたくないもの3つ。
・専門バカ
・白痴美男子
・いわゆるオトナ
これまた今も、変わらない。

『或質的な面が物理的に確定する場合の確定要素は【0】である。』
【0特性】
◇絶対性
『拡がりが無い,』
◇不可分性
『分けられない,』
◇識物性
『存在の1の認識が可能, 即ち考えるもとの全てが【0】より生ずる, 但し質的な変化に対し絶対に保存ができない,』
◇変化性
『物による逆の確定が不可能な変化 (可能性の確立), 即ち存在の【1】を超越して変化する, 端的に言えば, 思考そのものの形は現象に含まれ, 視覚的現象等と共に常に変化する。』
【0特性】が真理であるならば, 時間平面的視野は物的ではなく, 質的に変化していることになる。その根拠が【0∞1】有の無限拡散性をもつ物による質の確定が不可能であること, そもそも確定する質が何なのかを知り得ない以上, 物理的確定論は絶対的ではなく類事的な確定であることである。
零的確定論では一つの時間平面が, 拡がり無き【時の間(はざま)】に確定していると考える。同様に空間を考え,【空の間】に空間を置き, 絶対的変化を与える【質】を流し込む。つまり時間平面は, この表裏不可分の裏側の【絶対無】により0的に確定されることになる。
△無は有を含む。
おそらく量子論や不確定性原理、あるいは存在論/認識論のことを言われているのだと思いますが、難しすぎてよく理解できなかったのが残念です。