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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

父死す

2011-06-26 08:23:30 | エッセイ
 
 昨年1月の「ありがたい教」の中でちょこっと紹介した宮崎の父が自宅で突然倒れ、翌日息を引き取った。(ピーター・フォーク氏と同じ、享年83)
 急ぎ駆けつけたものの間に合わなかったのは残念ながら、昨年末そして今月初めにも会ってたくさん話をしていたので(元気だった)、さほど心残りというのはない。
 
 お通夜や告別式には子供や孫、親戚が集まった。年も年だし、と僕らは覚悟していたし、順番どおりということで悲壮さもなく、それはそれは賑やかだった。父の思い出話と併せ、「○○君と○○君とよく似ている」だの「○○おばさんにそっくり」だの話があちこちから出て。
 だから或る人が死んでも、その性格というか才能というか遺伝子は、血筋遠い近いに関わらず誰かしらに残っているのではないかと思う。

 父は、今はあまりいない、いわゆる〈ガンコ親父〉だった。自分の子供はもちろん、子供の友達、親戚の子供たち関係なく説教するような、そんな人。だから〈子供〉がたっくさんいたようなもの。
 僕もいろんなことを教わったけど、「言うたことは守れ」「言い訳するな」「声出して泣くな」「いつまでもメソメソするな」といったことが思い出される。お葬式の時、そしてこれからも、折に触れメソメソしてしまうかもしれないが、そこはご容赦願おう。

 「ありがたいありがたい」と口癖のように言っていた父。僕らへの年賀状でも「ありがとう」という言葉で締めくくられていたけれど、こちらこそ「ありがとうございました」と言いたい。

 そうそう、危篤の時からお葬式、そしてまとめて行なった初七日まで、涙雨にしては多すぎるなというくらい、宮崎は雨々でした。おかげで喪服もずぶ濡れ。

〔この間から名古屋、中国出張、先週は宮崎だったため(ああ忙しい)更新が滞りがち、となりました〕

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テレビの未来

2011-06-12 10:05:33 | 科学/考察
 
 まだCMは見ていないが、今月2日の夕刊に、東芝のテレビ〈REGZA〉で「タイムシフト」というのが載っていた。福山雅治の写真付きで。

 これ、過去30時間分を遡って見ることができるらしい。フライトレコーダーやドライブレコーダーの応用のようだ。今のビデオでも録画しながら別の番組を再生できるし、ハードディスクの或る部分で、30時間なら30時間分、前の録画を消去しつつ新たに録画し続けていくのだろう。
 M(メガ)やG(ギガ)を超えてT(テラ)バイトの記憶容量が可能になったのか。今後はその上の、P(ペタ)やE(エクサ)ということになっていくことだろう。そうすると30時間と言わず1年あるいは何10年という記録が可能になるわけで、果たして見る時間があるのだろうか、という心配とともに、ナマで見る意味がなくなってくるような気もする。
 テレビ局は、いつ見られるとも知れない番組を延々と放送することになるのかも。そうすると「視聴率」は一体いつ集計すればいいのか、分からなくもなる。

 一方、テレビ画面の方はさらに研究が進められていて、ハイビジョンの16倍の画素数を持つ〈スーパーハイビジョン〉というのが、そのうち出てくるらしい。
 段々と目が肥えていき、元に戻れなくなる…。
 
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