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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

20%の友人

2008-03-30 09:19:47 | こころ
 
 最近どっかで読んだか聞いたかした話なのだが、それがどこだったのか、忘れてしまった。
 ただ内容だけは覚えている。悩みやグチは小分けして発散しよう、というもの。

 仕事や勉強や経済上の問題、それに人間関係について、人は何かしら悩みを抱えている。自分一人じゃ背負えない場合、誰かにグチをこぼすことになるのだが、それは相手1人に対し、悩みの20%くらいにしておこう、というもの。そういう友達が5人もいれば、すべて聞いてもらえることになる。
 よく、仲のいい友達に心の中のすべてをさらけ出す、というのがあるが、すべてを聞かされる方も、それを心に秘めておかないといけない、という意味で負担になってしまう。だからそういうのは、青春ドラマの中だけにとどめておいた方がいいのかも。それと、あとあとその相手と利害関係が生じたような場合、弱みを握られているようで何だかマズいことにもなりかねない。

 「親友に裏切られた」というようなこともよくある話だが、特に社会人になってからは、親友というのは出来にくいもの。信用できる、とは思っても、頼るのはほどほどにしておいた方がいいかもしれない。
 田舎者なんで僕もよく何でもかんでも話して、あとで「失敗した」と思うことが多かったのだが、この頃は悩みを人に打ち明けたりなんて、あまりしなくなってしまった。それはそれで、良し悪しなのだが。

 まあ無理して5人に話す必要もないし、2人にそれぞれ30%ほど話をして、あとの4割は自分で引き受ける、というくらいでもいいかもしれない。
 その場合気を付けたいのは、同じ話は何人にもしない方がいいということ。「ああその話、僕/私も聞いた」となると、こっそり悩みを打ち明ける、というレベルでなくなり、信用あるいは品性を落とすことになるから。

 4月から新しい環境に移る人も多いかと思う。ちょっと覚えとくといい、かも。
 

 〔イラストは、介護福祉の応援サイト「けあサポ」より〕

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政治経済がすべてか

2008-03-23 09:27:56 | 時事
 
 アメリカのサブプライムローン問題に端を発し、世界的な株安、そして円高である。
 ・・・と書くといかにも経済通のようであるが、ニュースか何かで聞いたことをそのまま並べただけで、サブプライムが一体何なのかよくわかっていないし、それでどうして株安になるのか、さっぱりわからない。
 円高だろうが円安だろうが、長いことやってりゃ波があるのは当たり前。いちいち騒ぎ立てることのほどでもなし。長い目で見りゃあ、プラスマイナスゼロであるに違いない。

 新聞にしろテレビのニュースにしろ、政治経済の話がトップになることが多い。もちろん、政治や経済が不安定だとみんなの生活が不安になるというのはわかる。でも高校時代の「政治経済」なんて、社会科の中では最も人気がなかったんじゃないか(個人的には、地理と倫理が好きだった)。
 それが大人になると、どうして〈一番人気〉になるのか、そこんとこがどうもよく理解できない。

 政治経済がすべて、とまでは行かないまでも、優先される世の中ってのは、どうにも違和感がある。これはまあ、僕が理系の出で、しかも金勘定に関係ない仕事しているせいかもしれない。学校の教科で言えば、物理だって漢文だって、政治経済と同格であったはずだ。それがなぜ、優先されるのか・・・。

 そうそう、経済といえば、日経平均株価が上がったの下がったの言っているが、どこをどう計算したら平均で1万なんぼの株価が出てくるのか、これまたさっぱりわからない。優良企業を選んでいるとかいう話だが、それでもせいぜい数千円にしかならないはず。何か細工してるんじゃないか、といかがわしく思えてくる。

 日銀の総裁が空席になって、これまた大騒ぎのようだが、それでもってどういう良くないことが起きるのか、これまたよくわからない。あとガソリンの税金が安くなるというような話もあるが、そんなことより僕は、『2001年宇宙の旅』原作者のアーサー・C・クラーク氏が亡くなったり、土井さんが宇宙ステーションに行ったりしたことの方が、よっぽど関心がある。

 ・・・とまあ小理屈をまた並べてしまいましたが、光があって空気があって重力があって、の方がよほど重要な気がする。ノンキと言われればそうなのだが。
 

 〔写真はasahi.comより〕

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海外出張報告(北京)

2008-03-16 10:08:23 | 
 
 3月2日から5日まで、仕事で北京へ。

 おととし上海へ行った時、遠くがかすむほど空気が汚れていたので、やはり同じだろうと思っていたのだが、北京の空は非常にきれいだった。
 聞いたところ、オリンピックを控え、北京市内・近隣の化学工場は、操業停止か遠くへ移転させられたんだそうだ。クルマの排ガス規制も厳しいようで、見たところ日本と同じくらい無色だった。

 北京と言えば昔は自転車がわんさと行き交うイメージだったが、国民が豊かになって、クルマに切り替えているとのこと。もともと土地が広いせいか、アメリカほどのデカい車はなかったが、普通車がほとんどで、軽自動車はほとんど見かけなかった。それも、長いこと洗っていないようなホコリだらけのものが大半。中国の人はあまり気にしないのだろう(僕も車はほとんど洗わないのだが)。
 北京市内でも多いところで片道6車線あり、広々としたものだった。ただそれでもクルマの量が多いため、朝夕は日本並みのラッシュが続いていた。

 泊まったホテルはオリンピックスタジアム(鳥の巣)のすぐそばで、部屋の窓から眺めることもできた。ただやはり近くで見なきゃ、と時間を見つけてはそばまで行ってみたが、周りの道路含めまだ工事中で、スコップを担いだおっちゃんや兄ちゃんがぞろぞろ歩いるのが目に付いた。中には、どう見ても中学生くらいの子もいた。
 そして、よほど目がいいのか、ほとんど真っ暗な中でも作業しているのにはびっくりした。

 空いた時間を利用して、故宮(旧紫禁城)や雍平宮というラマ教(チベット仏教)のお寺も案内してもらったけど、オリンピックに備えて、どこもお色直し中。6月中に終わらせるということで、突貫工事が行なわれていた。44年前の東京オリンピック直前も、こんなだったんだろうな、と思った。
 日本、それから韓国に先を越されているけれども、この北京でのオリンピックを機に、世界に打って出よう、という意気込みがひしひしと伝わってきた。

 故宮近くの「北京の銀座」と呼ばれる繁華街も歩いたが、立ち並ぶ百貨店の様子とか、日本とそう変わらない気がした。ただ、道歩く人の服装はアカ抜けないというのか、まだまだ地味な感じだった。オリンピックで全世界からの客を迎えたあとは、そのファッションもおそらく変わって行くことだろうと思う。
 それと、これもマナー教育の効果なのだろうか、上海で目撃したような、大声で怒鳴り合う光景は、ついぞ目にしなかった。それとも、東京と大阪みたいな、文化の違いなのだろうか。現時点で上海に行ってみないとそれはわからないのだが。
 あと、「麦当労(マクドナルド)」や「肯徳基(ケンタッキー)」なんていう看板もあちこちで見かけた。

 都市計画で街中がきれいになって行く中、ビル(大厦)とビルの間に、昔ながらのレンガ造りの家が残っているのも目に入った。地上げ屋はいないだろうけど、それらもいずれ取り壊され、きれいな街並みになっていくことだろう。
 華やかな国家繁栄の陰で、そういう悲しい一面もあるということを思いつつ、8月からのオリンピックを見ることになるのだろう。

 ところで仕事の方は、先方の会社の社長や部長の方が日本語達者だったため、非常にやりやすかった。向こうは大変だろうが、母国語でやりとりできるというのは、何とも気楽だった。移動の車の中では、気を利かせて小田和正や中島美嘉のCDをかけてくれるし。
 接待の方は、毎晩中国料理。相手が欧米人だろうが日本人だろうが、どうも中国人は中国料理をご馳走するのが礼儀だと考えているらしく、たまには日本料理店へ、というのはなかった。その代わりというのか、初日は上海料理、2日目は北京料理、3日目は南方系の中華、と日替わりで接待してくれた。(それぞれの差というのはよく分からなかったが、3日目のが一番口に合う感じがした)
 いずれも超一流料理店の個室で、中国の琴の生演奏があったり、別室に出演していた京劇(面の色が瞬間的に変わるヤツ)の有名そうな俳優が飛び入りでやって来たりと、料理と併せ、中国文化をそれなりに堪能したのでした。

 ただ、相変わらず朝は軽く済ませたものの、飲み食いのしすぎで少し太ってしまったが。
 そうそう、今回はおなかも壊さず、穏やかでいい出張となりました。

 〔写真は、補修中の故宮・太和殿〕

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泣ける『ちりとてちん』

2008-03-09 09:51:40 | エッセイ
 
 去年の10月、カゼひいて休んだ時に見たのがきっかけで、NHKの連続テレビ小説『ちりとてちん』にハマってしまった。

 福井県若狭地方の塗り箸と上方の落語とをうまくからめて、笑いの中にもしみじみとしたものがあるお話である。特に、よく出てくる「人間も、お箸とおんなじや。研いで出てくるもんは、塗り重ねたもんだけや。一生懸命に生きてさえおったら・・・」のくだりでは、毎回ホロッとさせられている。
 草若師匠の死の前後は回想ばかりで中だるみとなり、その孫弟子でウソつきの木曽山くんが入門してからはちょっとイヤな感じになっていたのだが、ようやく心が通い合い、やれやれってところである。
 今月で終わりなのが惜しいくらいだ。あとは、主人公・喜代美がもう一人の清海(A子)とどう仲直りしていくか、弟・正平や小草若が自分の道を見つけられるか、といったところだろう。大団円だというのはわかっているが、楽しみだ。
 そしておそらく最後は、このドラマ全体が、原沙知絵扮するフリーライターによるドキュメンタリー記事だった、ということではないかと思っている。
 (見てない人には全然わからないと思うが、そこはご容赦を)

 しかしほとんど知らなかった出演者だが、「そこぬけに~」とか、すっかりなじみになってしまった。まじめそうな和久井映見や松重豊が、あんな面白い一面を持っていたことも意外。映画『スウィングガールズ』ではおてんばそうな脇役だった貫地谷しほりも、ずいぶんとうまくなった。なかなかかわいらしいし。
 2月には、大阪で〈ファン感謝祭〉というのもあったそうだ。行きたかったなあ。

 まあ小理屈はともかく、カミさんと一緒に、毎回楽しく、時にしんみりと見ているところ。時々子供から「あー二人とも泣いてる」なんて言われてしまうのだが、人情というのか人生の機微とでもいったものがわかるのには、やはり年月が必要なのだな、と思っている次第。

 きょうもお付き合い下さり、ありがとうございました。

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