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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

湯たんぽはいいよ

2008-01-27 09:44:06 | 実用
 
 どちらかというと細い方なので、この時季は体がよく冷える。寝る時も、布団が冷たいとなかなか寝付けないし、カゼもひきやすくなる。
 そこで3年ほど前から、湯たんぽを使っている。愛用している人もいるとは思うが、きょうはそのオススメの話。

 カミさんに頼んで、寝る前、熱湯を入れた湯たんぽを布団の背中が当たるあたりに置いといてもらう。布団に入ったらそれをおなかの上に乗せ、おなかと手とを温める(あとでカミさんにちょっかい出しても大丈夫)。それから足元に移動させれば、体がひととおり温まることになる。
 夜中に蹴飛ばしてどっか行ってしまうこともあるが、これで朝まで温かい思いで眠ることができる。ホームセンターやネットで、1000円もあれば入手できるから、良かったらどうぞ。
 僕が使っているのはプラスチック製のものだが、かわいいデザインのとか、昔ながらのブリキ製、陶器のものもあるから、お好きなものを。

 カバー付きのものはカバーを、ないものはタオルにでもくるむと、ちょうどいい温かさになる。火事の心配もないし、電気毛布みたいに乾燥することもない。残り湯は翌朝の洗顔にも使えるし、こんないいものはないんじゃないか。

 ただ、いくらあったかいとは言っても、モモヒキはく気にはまだなれない。おっさんくさくなりそうで。

 そうそう、この年末もおなかの調子が悪くなってしまいました(冬季下痢症)。食事の代わりにヨーグルト(生クリーム入りのは不可)を食べ、「新ビオフェルミンS錠」というのを飲んで、正月、何とか間に合いました。めでたしめでたし。
 

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パンデミック!

2008-01-20 09:42:08 | 科学/考察
 
 もともと体はそう丈夫じゃないので、健康には気を付けているし、医療関係の番組はよく見るほうだ。
 先日も、NHKスペシャルで新型インフルエンザを扱った『シリーズ 最強ウイルス』というのをやっていた。3連休でのんびりしていたのだが、ぞっとするような内容だった。
 ちなみに「パンデミック」とは、一つの感染症の世界的大流行のことである。

 トリ同士でしか伝染しなかった高病原性のインフルエンザウイルスが変異を起こし、ヒトへも伝染した場合、世界で最悪1億人が死亡してしまうのではないか、というもの。もちろんこれには地域差はあるものの、日本でも死者200万人、とも言われているそうだ。
 いつ起きるのかは不明ながら、起きるのは確実とのこと(東海大地震みたいだ)。

 予防にはワクチンが有効ながら、いざ起きてしまえばパニックみたいになってしまって、接種どころじゃなくなってしまうかもしれない。われ先に、と押し寄せるだろうけど、テレビでも言っていたように、子供を優先すべきだろうと思う。ある程度生きた人間には、諦めてもらうしかない。
 それと、タミフルもいいけれど、これまた取り合いみたいになってしまうかもしれない。医療用医薬品だから、病院で処方箋をもらわないと入手できないのだが、いざとなったら超法規的措置がとられるのかも。
 そこで覚えておくといいのは、漢方薬の麻黄湯(まおうとう)というのが、初期のインフルエンザにはタミフルと同程度に有効だということ。薬局で普通に買えるので、常備薬としておいてもいいかもしれない。
 とはいっても、温かくして寝ているのが一番。前にも言ったように、ひき始めに出る熱は、ウイルスを殺すために必要なものだから、よほどだるくない限り、無理に下げてはいけない。
 それから、当たり前の話だけど、セキやクシャミが出る場合はマスクを。これは礼儀の問題。

 ウイルスは宇宙からやって来たものだ、という説があるらしい。生物と無生物の中間の性質を持っているから、そう考えられているようだ。
 この真偽はともかく、ウイルスというのはDNAあるいはRNAのみからなっている。つまり体自体がプログラムみたいなもんだ。ひょっとしたら、この星・地球が熱くなりかけた時、変異を起こし、原因となっている生物(今回の場合、人間)に感染してその個体数を減らし、地球の状態を元に戻すよう〈プログラム〉されているのかもしれない。暴走する生物に対する〈お目付け役〉みたいな…またまたSFみたいな話だが。
 ただ、人類が進化をし宇宙を目指すのも、体の中のDNAの仕業、という説明もあるようだし、あながちデタラメでもないのかも。

 ともあれ、ウイルスだって自分の棲み家(宿主)を失うことは避けたいはず。だから、ヒトあるいはトリを全滅させることはしないだろうと思う。まあ、いざという時は、運を天に任せるしかないのだが。
 そして何度も言うけれど、やることはやれるうちにやっておいた方がいいのだろう、と。

 …内容が内容だけに、ちょっと深刻になってしまいました。
 しかしああいう番組見ると、NHKもまだまだ大丈夫だって思える。
 

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ブログ3年

2008-01-13 09:22:38 | エッセイ
 
 2005年に始めたこのブログも3年。時々休んでしまうものの週1のペースは守れており、今では延べ200人ほどの方が毎週訪れてくれている。ほとんど一見(イチゲン)さんのようだが、10人くらいはご贔屓さんもいるんじゃないかと思う。
 ただ、コメントやトラックバックがほとんどないから、どういう素性の人が訪れているのか、さっぱりわからない。まあ僕も素性を明かしていないからおあいこなんだけど。でもこれだけいろんなこと書いているから、性格なんか、バレバレなんじゃないかとも思う。

 とは言っても、最新の記事が多く読まれているわけでもない。一番多く読まれているのは、どうも初期の頃に書いた「里中李生氏のこと」のようで、さらにこの季節は「冬季下痢症にはヨーグルト」。何かの検索で引っ掛かったのか、書いた本人も忘れているようなむかーしの記事が読まれていることも。
 1日数十人、1週間で200人というのは、多いのか少ないのか…。上見りゃキリないし、アクセス多けりゃ多いで大変なこともあるだろうし、まあ良しとしますか。SNSとかいうのでもやればアクセスは増えるのかもしれないが、何だか面倒くさい気もする。この辺、どうなんだろう。

 相変わらず、頻度は少ないながらショートショートと、その時の気分でエッセイを。「科学」や「恋愛」、それに「こころ」なんていうカテゴリーに分けているが、分類としてはまあこんなもんじゃないかと思う。
 仕事や専門の話もすればいいのかもしれないが、〈専門バカ〉みたいな偏った話になるし、家では仕事のことは忘れたいからやめている。できるだけ一般的な、普遍的な話をしたいと思っている。その方が、たくさんの人に読んでもらえるだろうから。
 英語やフランス語を差し置いて、日本語によるブログが世界で一番多いらしい。外国人も読んでるかもしれないから、ヘタなことは書けない、というのもある。

 1週間(あるいはそれ以上)ネタについて考え、土曜日の夜にとりあえず原稿書いてみる。そしてひと晩寝かせたあと、翌日曜の朝に公開する、というパターン。考えがうまくまとまらなかったり、原稿書くのがギリギリだったりすると、あまりいいものはできない。あとで読み返してみて、書き忘れたことを追加したり、変な文章を手直しすることもしばしば。
 土日なのに、ノルマに追われているような気がしないでもない。平日より気疲れすることも。

 前にも話をしたけど、書きたいことはまだまだあるし、その上、時事問題やら読んだ本や見たテレビの感想なんてものも入ってくるから、特別なことでもない限り、このまま続けられると思います。
 仕事がものすごく忙しくなったり、やる気がなくなってしまったりしたら、やめることになりますが、その際も、やめるということは事前にお知らせするつもりです。
 今後とも、よろしくお願い致します。

 そうそう、去年の秋に始めた〈朝食を軽く〉というのは今も続いていて、体重4kgは減り学生時代並みになりました(正月にさんざん飲み食いしたけど、全然変わらず)。お金もかかりませんので、是非お試しを。
 
 さて、次は何を書こうか・・・

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死を想うべし

2008-01-06 10:05:36 | こころ
 
 どっかで聞いた話。
 めでたい席で「何かおめでたいことを」と頼まれたある坊さんが、〈親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ〉と色紙に書いたという。全然めでたくないじゃないか、と言われたそのお坊さん、「いやいや、親が死に、次に子が死に、そして孫が死ぬ。これほどめでたいことはない」と答えたそうな。

 人は必ず死ぬ。それが、年の多い順番であれば、そう問題はない。しかしこれが逆だと、〈逆縁〉ということで非常に悲しい事態になる。
 去年もそんなニュースが多くあった。まあ普通じゃないからニュースになるのだとも言えるのだが、残された親御さんの気持ちを考えるとこちらも辛いものがある。頑張らなくてもいいから生きて行ってほしいと思う。

 ところで、事故やら病気やらで早くに死んでしまった人間については、どう考えたらいいのか。
 おそらく、だけれども、ワケあってその人は高い次元に行かされてしまったのではないか。人事でよくある、「彼はウチの部署に是非ほしい」とでもいったようなことが、この世とあの世との間で行なわれているのかもしれない。上の世界で必要になったために、行かされてしまった、と。
 辛い思いをしている人には何の慰めにもならないかもしれないが、そう考えたい。
 逆に、悪いことをした報いで死罪になった人間てのは、もう一つか二つ下の世界に送り戻されて、またやり直し、ということなのだろうと思う。「そっちで見てもらえないだろうか」というわけだ。

 どうしてこんなことを話すかというと、死を考えている人間の方が、精神的な免疫力が付いているため、たとえばガンの宣告をされても抵抗力があるからだ。たとえガンに打ち勝たなくても、安らかに死を受け入れることができるとのこと。いざという時に強いのだ。
 死についてあまり考えていないと(その方が“健康的”なのだが)、いざ死に直面するとジタバタしてしまうものらしい。死について考えている「不健康」な人の方が長生きできるという…。いわゆる体育会系のガッチリした元気そうな人間が、病気になったとたんガックリ来てすぐに死んでしまう、というのはよく聞く話。
 だから、自分の場合を含め、死について考えておくというのは意味のあることなのだ。

 新年早々、妙な話で恐縮です。でもめでたい時にこそ、逆のことも考えておく方がいいだろう、と思っています。
 

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