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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

自然と人工と

2018-08-05 10:12:52 | 科学/考察
 
 けさもセミの大合唱の中で目が覚めた。

 動植物は本能のままに、つまり自然の摂理に従って生きているらしい。大気や地殻といった自然と、一体化していると言ってもいいのだろう。
 これに対し人間は、環境を変えることのできる生物だという。有史以来〈人工物〉を次々と生み出し、それは僕ら人間にとっては都合のいいこと。「意識」を持つようになったせいのようだが、アダムとイブではないけれど、これはこれで「罪」なのかもしれない。
 ただ人間も〈自然〉の一部なのであるから、そのやることなすこともやはり「本能」ということになるのかも。

 ヒトの姿をした神様というのはよく見聞きするけれど、神様に一番近いのは僕ら人間ではなくて、大自然なのではないかという気はしている。(そうすると地震や豪雨は神の思し召しということになってしまうのだが)
 動物(例えばアリやスズメやメダカやチョウ)が神様の遣いであるというのも、世の中広く感じられているイメージ。

 とは言え宇宙そしてあの世をを含めた広い広い大自然からすれば、人間の考える/作る人工物というのも、その中のごくごく一部なのかもしれない。大自然と“対抗”するなんて、何ともおこがましいよような。
 …てなことを、高校時代あたりから考えている。暑い中、小難しい話で申し訳ない。


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続・理性と本能と

2018-04-15 08:33:57 | 科学/考察
 皆さんはどうか分かりませんが、酔っ払うとどうも〈エッチ〉になってしまう。飲み会から帰ってきた時など(毎回ではないものの)ついついその方面のサイトを覗きたくなる。(時に自己嫌悪に…)
 そう言えば、かの福澤諭吉もお酒にだらしなかったというから、あるいは同じようなことで悩んでいたのかもしれない。

 ご存じのとおりこれは、理性を司る大脳皮質がマヒして本能が露わになるためで、やむを得ないことではある。
 理性が神様/天から与えられたものであるように、本能も同様、自然に与えられたもの。そこには命をつなぐという深遠/重要な意味があるのだし、避けようもないこと。(もちろん人に迷惑掛けたりセクハラなんぞは、ご法度ご法度)
 物事に「陰と陽」「裏と表」があるように、そしてどちらか片方だけでは成り立たないように、理性と本能とは切っても切れない関係であり、またどちらも必要なもの。

 男根あるいは女陰を模した神輿を担いで行なわれる各地の祭りや、アニミズムの象徴である土偶なんか見ていると、おおらかな〈性の解放〉が見られる。こういうの、いいなあ。
 古(いにしえ)の時代はそんなものだったのかもしれない。今の世の中、ギスギス/チマチマし過ぎ。

 ところで『50代から強く生きる法』という本を読んでいたら〈理趣経〉という聞きなれないお経の話が出ていた。
 曰く「男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である」「男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である」等々。お経らしからぬ何とも鷹揚な考え方。何だか自信が持てそう。
 あるいは、とある年配の女性が言ったというこんな言葉もある。「ええばっかりの人間はおらん。悪いばっかりの人間もおらん」 人間なら誰しも、長所もあれば短所もあるってこと。程度の問題なのであるが、こういうの聞くと、安心して生きていくことができそう。
 …とまあ半分は自分を慰めるために書き連ねてみたのでした。

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霊魂と重力

2018-03-11 10:13:22 | 科学/考察
 東日本大震災からはや7年。この時期になると、犠牲になったたくさんの人(それから動植物も)のことを考えざるを得ない。
 さて今日の一文は、あるいは何の役にも立たないかもしれない。

 震災に限らず、亡くなった人たちの魂はやはり、その場に残るもののようだ。重さのある僕らが地上に縛られるのは分かるが、重さがないとも言われる魂も重力に支配されるのだろうか。
 気持ちの問題と言うか、この世の物理法則とは別の「霊理法則」とでもいうものがあるのかもしれない。霊魂とは言え大宇宙の一部。自然法則には従うものなのだろう。
 あの世に行けば、その辺分かるのかもしれない。

 もう一つ不思議なのは、生まれ変わりだの前世だの言う時、他の惑星の生物だった、というのは聞いたことがない。古代のお姫様だの、戦国時代の武将だのはあるけれど。
 やはり霊魂も、地球に縛られるものなのだろうか。

 不謹慎ながら、死後の世界を早いとこ見てみたい気もする。いや、その世界も一時的なもので、また別の世界が待っているのだろうとも思っている。
 …あ、午後2時46分には黙祷をしなければ。

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比較の問題⑦(メダル数)

2018-02-25 09:25:25 | 科学/考察
 
 平昌冬季オリンピックも今日で終わり。日本人ではフィギュアの羽生選手にスピードスケートの小平選手、そして女子パシュート選手団が金メダルを獲得し、総メダル数も13と、長野大会を抜いて歴代最多となってめでたい限り。
 テレビ見ていて、何度もウルウルさせられてしまった。カミさんと娘から「お父さんまた泣いてるー」と。

 さてここからは、涙をぬぐってヤボな話。
 「オリンピック記録室」というサイトによると、競技種目数は長野大会が68、ソチ大会が98であったのに対し、今回は102。つまりメダル総数もそれだけ増えたってこと。高木菜那選手が金をとった女子マススタートも、新種目の一つ。
 だから、日本の獲得メダル数が増えたと言っても、総枠が大きくなっているのであれば、単純に喜んでばかりもいられない。
 極端な話、種目数が2倍になったら日本の獲得メダル数も2倍になるのが普通だし、種目が半分になってもメダル数が変わらないとすればそれは立派なこと。(もちろんどういう種目が増えたか減ったか、という精査は必要)
 …こんなこと、オリンピック委員会の人たちやマスコミの人たちだっては分かっているはずだが、どうも報道には出てこない。言わぬが花、知らぬが仏、あるいは視聴率/販売部数にも響きかねない「不都合な真実」なのかも。
 メダル数を云々するのであれば、総数のことも伝えないといけないだろうと思っている。

 とは言え、日本人であるかどうかに関係なく、努力する素晴らしさ、競技の美しさに変わりはない。
 OAR含め、各国のメダル数が増えて喜ぶ人がたくさんいれば、それはそれで「平和の祭典」だと言えるのかもしれないし、いい顔したアスリートを見るだけでも気分のいいもの。

 ついでながら、将棋の藤井君が朝日杯で優勝し、史上最速で六段になったのも見事。羽生永世七冠たちを追う立場であり、ある意味超えたとも言えるが、いずれ追われる立場になるってことは、本人も重々わかっているはず。実に素晴らしい才能ながら、その時ちゃんと受けることができるか…。
 まさかとは思うが、ひょっとしたら60年後「ひふみん」みたいなおじいちゃんになっているの、かも。
  

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Fake/Truth/Opinion

2017-11-26 09:37:55 | 科学/考察
 
 これだけネットが発達した現在、いわゆる〈フェイクニュース〉も事実/真実に混じってたくさん流布している。
 まあそういうものもないと面白くないし、昔っから根も葉もない噂というのはこの世に付き物。今後増えることはあっても、なくなることはないだろう。
 実際問題、たとえばいい加減な健康情報で健康を害することだってあるだろうし、悪意ある噂話でいじめになることもあるだろう。また場合によっては、悪い奴に命を取られることだって、実際に起きていることだし。

 これだけAIも発達した現在、ネット上の記載が真実なのかフェイクなのか、判別するのもある程度可能なのではないか。
 例えば嘘やフェイクならば“F”、事実/真実ならば“T”、という判定が出てもいい。あ、事実や虚偽かはともかく、単純な意見または予想という“O”というのも必要だろう。
 ネットに掲載された文章や画像に対し、F/T/Oの表示、あるいは赤/青/黄の色付でもいいかも。さらに進めば、一文ごとにそういう表示ができるかもしれない。

 あるいは(今はなくなったけれど)Googleのページランクのような棒グラフで示すこともできる。左にF、右にTとして、右に伸びるほど信憑性が高いというような。
 さらにさらに、Fばっかり発信している人の記事は、ビッグデータから削除あるいは“排除”されてしまうのかもしれない。
 あともう一つ。事実ではないけども世の中に必要だってことは、高度な判断で以って“T”にしてもいいかもしれない。たとえば「サンタクロースはいる」ってこと。
 …どうでしょう。ところでこの文章自体は、おそらく“O”に分類されるのでしょうな。

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植物のスゴさ~なぜ葉っぱは緑か~

2017-08-27 07:44:49 | 科学/考察
 〈動的平衡〉で有名な福岡伸一さんが、地球の先駆者である植物のノブレス・オブリージュ(高貴な者としての義務)について、こんな主旨のことを新聞に書いていた。(朝日8/17)
「食糧や建材、エネルギー源や酸素の供給元である植物たちの寛容さによって、僕らは生きていられる」
 そこで、なぜ葉っぱが緑なのか、再度考えたい。
 回答として「それは葉緑体があるからです」というのが相変わらずあるようだが、それでは子供の疑問に答えたことにはならない。

 葉っぱでも何でも、緑であることは緑の光を放っているということ。それは受けた太陽光線のうち、緑色を使用せずに放出することを意味する。
 なぜ緑なのか。
 太陽光線をまあ7色に分解したとすると、そのうち最もエネルギーが高いのが緑色。その緑を植物は利用せずに(つまり他の色で以って光合成を可能にしたのであるが)動物たちに与えることにしたらしい。それは目にも優しいってことでもあろうし、エネルギー高い緑で以って動物諸君、やってくださいってことでもあろう。(稲本正という人が言っているそうだ)
 これはつまり、緑以外の光で以って生きていけることを示すものだが、動物みたいに動き回ることを選択しなかったことが大きい。花粉を昆虫に、種を動物に運んでもらう手段、あるいは種に羽毛や羽根を付けて風に運んでもらう手段を“考え出し”たからでもある。

 そう考えると、着飾ったり踊ったり相手の気持ちを推し量ったりデートの約束をしたりすっぽかされたり、ヒト含め動物たちは随分ムダなことをやっていると、言えないこともない。
 あるいは動き回る方法もあったのだろうけれど、昆虫を含む動物を利用することで効率化を図り、じっとして動かずに済んだ(東洋の思想、老荘思想に近いものはある)。もちろん持ちつ持たれつの面はあるんだけど。

 確かに植物は寛容で、いい“心がけ”を持った先駆者だったと言える。もしそうでなかったら、地球環境は大きく異なっていたことだろう。
 そうそう、人間様が大いに恩恵を蒙っている石炭も、元は太古の植物が地下で変化したもの。誰が考えてくれたのか知らないが、実にうまく出来ている。
 …以上、夏の自由研究第2弾でした。

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“冴え”の瞬間

2017-06-04 09:20:32 | 科学/考察
 
 皆さんはどうか知らないが、急に目の前の景色が生々しい現実感/立体感を持ってクッキリハッキリと見えてくることがある。2Dが3Dになったような、ハイビジョンが4K画像になったような。あるいは「スーパーサイヤ人」にでもなったような気分。
 それは電車を待っている時だったり、自転車を走らせている時だったり、のんびり庭を眺めている時だったり。(あ、ビールの缶をプシュッと開ける時にも、ある)
 ただこれは長続きしなくて、長くても10分くらい。しかも起きるのがひと月に1回あるかどうかってところだから、起きている時間の99.9%以上は「ぼんやり」していることになる。
 言わば〈ランナーズ・ハイ〉みたいなものなのかもしれないが、苦しい長距離走を乗り切るための「覚醒」と異なり、僕が経験するのには意味があるのかどうか…。ひょっとするとボケる前兆なのかもと思ったりしている。
 そう言えば高校の頃、頭が冴えないのを気にしていた。視力が落ちたせいだと思って、メガネを買い替えたりもしていた。そしてこの年になるまで、ぼんやりしたまま。左目の視力がやや弱いので、そのせいかも。
学生の頃、運転免許を取る際、頭をハッキリさせようとしたら却って良くなかったことがある。運転する時は全体をボワッとしていた方がいいようだ。
 生物学者の福岡伸一さんも、ハッキリ見えていた子供の頃を懐かしがっている。おおかたの人は、もちろん視力云々ではなくて、年をとるとハッキリ見えなくなるものなのかもしれない。それは、無駄に馬鹿力を使わないための、脳味噌の〈省エネ〉なのかも。
 サッカーの中田ヒデも子供の頃は、見なくても後ろの敵選手の気配が分かったという。大人になるにつれ、そういう感覚というのは鈍くなっていくものだろう。
 ハッキリ見える時間を出来るだけ長くしたいものだが、そうした場合、脳味噌が疲弊してしまって、逆にボケてしまうことになるのかもしれない。
 脳内物質のちょっとしたイタズラだと思う。意識すれば長続きできるものなのか。例えば脳科学では、既に研究済みなのかも。
 〔写真は、先日それが起きた時の目の前の景色。…何にも分かりませんね〕
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LGBTの時代に

2017-03-05 11:21:36 | 科学/考察
 古くは美輪明宏(敬称略。以下同じ)におすぎとピーコ、新しいところでははるな愛にマツコ・デラックス。男と女の区別があいまい、と言うかはっきり区別しなくていいような時代になってきた。
 そう言えば子供の頃にも、周りに女の子っぽい男の子はいたし、その逆も。気持ち悪がって、今思えばヒドいことも言っていたものだが、充分とは言わないまでも現在は理解もだいぶ進んできたのではないか。僕もLGBTの人たちと、さほど違和感なく話もできるし付き合えると思う。
 とは言え気持ち/感覚/つらさ/居心地の悪さは本人にしか分からないもの。おそらく体に合わない服をずっと着ているようなものなのだろう。しかしその服は、脱ぐに脱げない…。

 かく言う僕も、女性的な部分がある程度はあるのかもしれない。どちらかと言うと性格細かいし。特に中高生の頃は、同級生の女の子はもちろん、男の子も気になったものだ。どうも性ホルモンの影響のようだが。一方年を取ると、女性はオジサンみたいに、男性はオバサンみたいになるようだ。これも性ホルモンの影響らしい。
 いずれにしても程度の問題。心の比率が10:0であれ6:4であれ、おそらく体はどちらかに転ばざるを得ないのだし。

 井伊直虎がどうだったかは知らないし、卑弥呼は男っぽかったような気もするが、昔から自分の性に悩む人ってのは一定の数いたに違いない。今は「カミングアウト」という形である程度オープンにできるようになってはいるものの、自分の性に違和感持つ人は、果たして増えているのかどうか。人工生殖もできるようになって、人類の“進化”の一環として、増えているのかもしれない。
 ひょっとして、最近あまり言われないが〈環境ホルモン〉も影響しているのかも。とすれば、動物にも何らかの影響があるのかもしれない。自分の性に悩むライオンやゾウがいても、おかしくはない。よくパンダとか、繁殖のためにオスとメス一緒にさせるけれど、体はオスで心?はメスってのもいるかもしれない。だとすると当人、いや当のパンダにすればいい迷惑だろう。

 ところで読売テレビ『増山超能力師事務所』に女装の男性役で出ているルウトという子、実際は男装する女の子らしいが、なかなかかわいらしい。そして一度出てきた男装姿、その辺のヘタなホストよりずっとカッコ良かった。
 …話があちこち飛んでしまった。将来的には、ユニセックス/モノセックスってことに、いや性別自体、意味を成さなくなるのかも。
 


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理性と本能と

2016-12-04 19:23:49 | 科学/考察
 忘年会の季節。飲んで何かしら失敗をしでかした人も多かろう。
 アルコールが入ると、自然と脳の外側の新皮質がマヒされて内側の旧皮質がむき出しになってしまう。それはつまり、理性が抑えられて本能が表に出てくることを意味している。
 そこで悩むのは、本能のままに動かされていいのか、ということ。

 僕もこの間、とある飲み会の席で、よその会社の若い子から気に入られ(またも自慢話で恐縮です)、昔好きだった人に似た可愛らしい子だったので「次どっか行こうか」と声掛けた次第。
 さすがにそううまくは行かなくて、その子は同じ会社の人と帰ってしまったが。
(とは言え、自分のいる会社の子に手を出すことは、僕でなくともご注意。すぐに噂になって、ロクなことにはならないだろう、と)

 また先日の会社の忘年会では、オメデタだという女の子と子供の名前のことでずいぶん話し込んでしまい、どういう流れか帰り際にはハグまで。お祝いのつもりだったし、特にいやらしい感覚はなかったのだが。

 昔から、全然知らない相手と一緒になることになり、宴席のお酒で理性を失い、そのまま子供出来て…というのはあっただろうと思う。それはおそらく古今東西同じで、そうして人類は生き延びてきたのだとも言える。
 理性は理性で、もちろん大事。でも本能も、天から授けられた有り難いもの。ムゲに扱う訳にもいかないだろうと思っている。酔って女の子に迫るのも、天の采配なのかもしれない。ひどく迷惑掛けるのでなければ、本能に従うのも悪くないの、では。
 …てなことを、酔った頭で考えていたのでした。



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モテる女性はなぜ嫌われるのか

2016-09-04 08:21:27 | 科学/考察
 モテるというのは男でも女でも嬉しいもの。ただ男の場合、友人から「よ、色男。モテるなぁ」とは言われるけれど、女の場合、友人からそういう軽口を叩かれることは少ない。「なにあの子、皆からあんなにちやほやされちゃって」と陰口を叩かれるのがオチ。

 一般的に、男はその生殖能力上、タネをあちこちばらまくのが仕事(えげつない表現で失礼)。どちらかと言うと男の方が浮気しやすいのもそのため。一方、女は受け取ったタネから腹の中で子を大事に育てるのが仕事。
 だから女は基本的に、一時期に一人を想い、その一人しか相手にしないのが、自然の摂理のよう。

 だからそうではない、複数の異性(場合によっては同性)からモテる女は、「それって女性として違うでしょ」という目で見られるわけ。〈はしたない〉というのもおそらくここから出ている、はず。実際問題、モテない女の人からすれば、自分のところに回ってくるタネが減るわけだし。
 モテる女性にすれば「女って嫉妬深いからイヤなのよね」となるところだが、実は生物学上のちゃんとした理由が、あるのです。
 …これ読んでいる方が女性なのか男性なのか、またモテているのかどうか、知りようがないのですが。


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