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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

答えはない

2011-03-27 10:09:51 | エッセイ
 
 あの日以来、理由というのを考え続けている。
 答えは...おそらくない。地球は、歪みを正しただけ。意味付けするのは、それぞれの人間。
 あるとすれば、チマチマしたことでツノ突き合わせている日本人ひいては世界中の人間に対し、そんなこと止めるべし、ということか。にしては、大きすぎる〈しっぺ〉なのだが。

 世界中から支援の手が差し伸べられているし、応援メッセージもたくさん。こんな時はお互い様とはいえ、ありがたいこと。被災していない身ながら、泣けてくる。

 日常の風景が一変してしまうというのは、そうそうあるもんじゃない。一生に一度、あるいは1000年に一度あるかないか。とはいえ普段通る道やら店やら、今在るうちにしっかり見ておこうと思う次第。
 被災された方々はもちろん、受験日程変更やら就職先内定取消しやら、人生変わってしまった人も多いに違いない。それはそれで、キツいけれども受け入れるしかない。

 ともあれ「3・11」というのは、僕らにとって「1・17」「9・11」とともに、忘れられない日となってしまった。
 節電や義捐金以外、何か出来ることはないのか…と考え込む日々。

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「まだ早い」

2011-03-21 09:02:48 | ショートショート
 20XX年、某国。
 不慮の事故により原子力発電所が制御不能となり、放射能が漏れ出て人々が立ちすくんでいた時のこと。
「君たちにはまだ早い」
 そういう声がしたかと思うと、天から巨大な手のようなものが伸びてきて、原発をごっそり持ち去ってしまいました。
 まるで、子供からおもちゃを取り上げるかのように。


 Copyright(c) shinob_2005




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この揺れの彼方で

2011-03-13 09:30:34 | 時事
 
 金曜日の午後2時50分ころ、フラッとしたんで目まいかと思ったのが事の始まり。(数日間フル回転で働いていたからなあ、と)
 …そのあとの状況は皆さんご存知のとおり。ここ静岡で「震度7はデカいなあ」などど話をしていた最中、かの地では大変なことになっていた。

 阪神淡路大震災の時も衝撃的だったが、今回もそれに劣らない。被災者の方々、親戚や友人と連絡が取れなくなっている方々には、心よりお見舞い申し上げます。
 春は別れの季節とは言うけれど、突然こんな形で大切な人を失った方々、本当にお気の毒。ニュージーランドでもそうだったと思うが、生き残った人たちには「なぜ自分だけ生き残ったのか」という思いがあるに違いない。しかし生き残った人間は、生き続けなければならない。

 東京でも震度5強とかで、帰宅できずにひと晩避難所で過ごした人も多かったようだ。ただタクシー待ちでも整然と並び、パニックも暴動も起きないのは、我ら日本人の非常に良いところ。また、日本人の〈無常観〉というのは、この地震列島に住んでいるところから来ているようにも思う。
 この辺りでは震度3程度。それでも、きのうの朝刊はいつもより3時間以上遅かったし(内容も特別)、朝から夜までヘリコプターがしきりに飛んでいた。
 オウム真理教事件やら米国同時多発テロなど、信じられない事件が次々と起きる。そして今回は阪神淡路の時の180倍ものエネルギーだとか。あれ以上の地震はそうはないだろうと思っていたが。不謹慎な喩えながら『ドラゴンボール』で次から次へと強敵が現れるようなものである。

 同じ国、同じ星に生きる僕らは、どこかでつながり合っていることだろう。そして僕もあなたも、どこでどんな災害/災難に遭うやもしれない。ただ少なくともその時までは、僕らは生きなければならない、今回亡くなった人たちの分まで。
 

P.S.
 今回の菅内閣の対応はまずまずである。早々に支援を約束してくれたオバマ大統領ともども、支持率ポンと跳ね上がるんじゃないか。(もちろんそんなこと考えている暇はないだろうが)
 そうそう、5年前にホームステイで家に泊めたアメリカの青年2人から、これまた早々に“Are you OK?”のメールが入っていたのは嬉しかった。それから、震災ニュースの合間に録画で見たNHK『SONGS』の薬師丸ひろ子の歌に、なぜか涙がこぼれてしまった。癒された、というか。
 何でもない日常の、何とありがたいことか。

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最近の言葉から(2)

2011-03-06 09:31:54 | こころ
 
 子供の大学受験に業務上のトラブル、そして重要な仕事の日程ダブりと、少々お疲れ気味である。(こういう時こそ旅にでも出ればいいのだが、なかなかそうも行かなくて)
 こういう時はまた、ツボにハマった言葉というのが心に染みるものだ。

 内村鑑三「人が死後に遺すことのできる最大の財産は、実はお金や事業などではない。最大の財産とは、その人自身が自分の人生を真摯に行き切ることである。真摯に生き切られたその人の人生それ自体が、人類にとっての最大遺物である」
 英国の作家・チェスタートン「たった一人の女、たった一人の友、そしてたった一つの思い出と一冊の書物、これらを手に入れるだけでも、懸命に生きなければ手にすることができない」
 さらには、東レ経営研究所・佐々木常夫さんのこういう言葉も。「運命を引き受けなさい。それが、生きるということです」(『働く君に贈る25の言葉』より)
 だから上記の苦労は、僕が僕の人生として引き受けるしかないのかなあ、と思っているところ。

 ついでながら、大河ドラマ『江』の中で、大地康雄扮する柴田勝家が言ったこの言葉も良かった。
「上に立つ者は常に下の者に心を配っておかねばならんのじゃ。皆に支えられておること、断じて忘れてはならぬ」

 ところで、その後次男坊は私立ながらそこそこいい大学に合格してくれた。(「俺の息子だ、頭悪いハズがない」とは思っていたが)
 本人としても親としても受けた中では一番行きたい/行かせたい所だし、またスネ齧られてしまうが、国立の合格発表を待たずその私立に決めたところ。
 失礼ながら何とも知れん大学しか合格しなかった場合、あるいはどこも不合格だった場合のことを考えると気が気じゃなかったのだが、また一人片付きそうで、やれやれである。
 

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