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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

北京そしてドーハ

2011-01-30 12:32:29 | サッカー
サッカー=日本がアジア杯4回目の優勝、延長で豪州下す(トムソンロイター) - goo ニュース

 先週は北京へ。これで3回目だが、高層マンションや車が、行くたんびに増えているようだ。また風はないものの非常に寒く、最高でも零度行くか行かないか。氷の厚さが25センチとな。
 ただし湿度は低く、10%台とか。どうもそのせいか、持って行った本が反ってしまった。

 テレビや新聞も見る時間なかったため、九州で火山が噴火したことも、日本代表が決勝に進んだことも、香川選手が骨折したことも知らないまま。

 そして今朝ほど、オーストラリアを下してアジア王者となったゲームを見終わった。体格・体力ともに劣っていながら、よくやったと思う。だからサッカーは面白いのだ、とも。
 苦しい思いをしたからこそ、この優勝は非常に嬉しい。だから僕もガンバろう、と。

 …ありきたりの文章になってしまった。
 

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ブログ300回

2011-01-16 12:18:33 | エッセイ
 長いことやってる人なら分かると思いますが、前にも同じようなこと書いたような気のすることがあります。そうならないよう、以前の記事をチェックすればいいとは思うものの、それも面倒。内容ダブるようなことがあった場合は御勘弁を。(だんだんモーロクしてくるんで、特に)

 気を付けているのはやはり、ありきたりの文章にならないようにすること。どっかで聞いた話ですが、CIAだかFBIだか、何かを調査するのに特別なことは必要ないという。そこらに転がっている情報をかき集めて整理・分析すれば、相当のものになるらしい。
 その応用ながら、たとえば日本代表監督の立場と首相の立場を重ね合わせるとか、夕焼けの赤と葉っぱの緑との関係を考えるとかしています。そうすりゃ他にはない、オリジナルの発想ができるんじゃないかと。(ついおとといも、怒りと地震との関係について思い付いたところ。うまくまとまったらまた発表します)
 コンピュータは、計算なり記憶なりは確かに得意。しかしこの、別々のもの同士を関連付けていく“発想力”あるいは“思いつき”というのは、少なくとも今のコンピュータにはできないこと。
 とはいえ人間の弱いところは、気分なり忙しさなりに左右される点。僕も余裕のない時は、大したこと書けないことも。アップしたあと手直ししたり。
 あと、短すぎたりやたらと長すぎたりするのも良くないだろう、と。読んでもらわないことにはね。もちろん、分かりやすくする努力はしているつもり。

 ファンとまでは行かなくても、毎回見てくれている人もいることでしょう。どんな人たちなのか非常に興味はありますが、小難しい文章を飽きずに読んでくださることに、感謝申し上げます。ひょっとしたら僕と、考え方近いのかもしれません。
 歌手にしろ作家にしろボクサーにしろ、だんだんとパンチが効かなくなってくるものですが、奇をてらわない程度にユニークなものを継続して書いて行くつもりですので、これからもよろしくお願いします。

 …とここまで書いてきて、前にも同じようなこと言ったような気が、しないでもない。
 

2月6日追記
 この回がまだ299回目だということが分かりました。大勢に影響はないとはいえ、大変失礼しました。m(  )m

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大人もいいもんだ

2011-01-09 08:42:12 | エッセイ
 
 子供の方が気楽でいいと思うのが普通だし、僕もずっとそう思っていた。でも考えてみれば小さい頃は小さい頃で、親からの干渉やら受験の心配やら何やらで、そう面白おかしい毎日ばかりだったわけでもない。
 人にもよるけど、特に思春期の心の不安定さというのは、もう二度と体験したくないと今でも思う。

 大人になればタバコや酒が呑めるわけだが、そればかりではない。一人でどこへ旅しようがどこに泊まろうが、夜の繁華街をぶらぶらしようが、どういう映画/ビデオを見ようが、自由である。これが未成年だと、お巡りさん達に補導されてしまうことに。
 もちろんそれだけ危ない目に遭うリスクもあるわけだが、そういうの含めて基本的に自由である。束縛されるのが大嫌いな僕としては、この自由さというのはとてもいい。子供の頃より今の方が、幸せなのかもしれない。

 だから成人式を迎える20歳(ハタチ)の諸君、自己責任云々は耳にタコだろうけれど、子供の頃にはない自由というのが手に入るわけ。だから「おめでとう」と言いたい。

 そう言や大人になると、子供の頃とは感覚も変わってくる。
 紅白では加山雄三や桑田佳祐の歌の歌詞が心に沁みたり(子供の頃は気付きもしなかったろう)、『刑事コロンボ』ではコロンボや犯人の哀しさが感じられたり(昔はコロンボの滑稽さばかり見ていた)、と。
 こういうのが分かるのと分からないのとでは、生きていく上での趣きがまったく違ってくる。まあ年とりゃ自然身につくんだけど。

 最後に、夏目漱石『吾輩は猫である』より。
「呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする」という一節。これも味わい深い言葉。

〔写真は、初日の出前の東の空〕

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今年の目標「断捨離」

2011-01-02 09:48:25 | エッセイ
 
 なかなか達成できないのだが、毎年この時期、1年の目標を立てることにしている。「余裕を持つ」だの「笑顔でいる」だの「リラックスする」だの「言葉を選んで話す」だの。そして今年は「断捨離」。

 「やましたひでこ」という人が提唱していて、本もパラパラと眺めた程度なのだが、12月にNHKの『クローズアップ現代』を見たのがキッカケ。マンションのひと部屋が要らない物で一杯になっていた家族が、断捨離によってきれいさっぱりになったというもの。
 それと、区画整理で引っ越すことになった実家のこともある。子供5人と多かったせいもあり、家の中は結構ゴチャゴチャで片付けも大変。僕もいずれこの世とおさらばしなきゃならないし、カミさんや子供に迷惑はかけられない。

 で、今年は断捨離をやろうと。何より〈気の流れ〉が良くなるから、運も上昇するに違いない。カミさんには宣言しようと思うが、ここに書いておくことで、自分へのプレッシャーにもなるかと思って。とりあえずは要らない雑誌類の処分から。
 年末には、報告でもしたいと思います。

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