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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

米中の時代

2010-02-28 09:48:26 | 時事
 
 少々古い話ながら、サッカーの東アジア選手権で、男子は中国が優勝した。あの韓国を初めて破ったらしく、スポーツの世界でも力を付けていることが窺える。

 GDPではじき日本を追い越すそうで、経済的にも政治的にも、中国は存在感を増している。自動車の生産・販売台数、インターネットのユーザー数、そして二酸化炭素の排出量が、今や世界一なんだそうだ。
 20世紀末は米ソが覇を競っていたが、そろそろ「米中の時代」になりつつある。経済的に豊かになれば、スポーツに掛けられるお金も当然多くなるから、ますます強くなっていくことだろう。(ロシアは、バンクーバー五輪でも苦戦中)
 この両国、台湾への武器売却問題からチベット問題、あるいはグーグルの件でこのところ折り合いが良くない。まあ国対国の話だからうまく行かないことも多いのだろうけど、その間に挟まれた日本は、いざという時には困ることになるのかもしれない。

 ただ中国も、報道によれば北朝鮮に対し開放化や核放棄、世襲反対と圧力掛けているそうだから、そう悪いことばかりでもない。しかしさらに力を付けた時、世界支配的にならないとも限らない。人権弾圧もまだまだあるようだし、心配ではある。ひょっとしたらその場合、テロの標的になってしまうのかも。
 その昔、大東亜共栄圏ということで周りの国を支配しようとしたけれど、日本は国民性として、そういうのは性に合っていないように思う。農耕民族だし。

 でも考えてみれば、大英帝国イギリスからアメリカ、そして中国、次はおそらくインドと、覇権は地球を西に回っているようだから、そのうち中東やアフリカってのもありかも。(ぐるっと回ってまたヨーロッパか)

 ところで日本代表、現状悲観的ながら、W杯ではそこそこ行くんじゃないかと思っている。直前までモタモタバタバタしたチームが本番では結構いい線行くってことは、よくあることだし。
 ただ岡田監督、口元なんか見るとやはりどこか「甘ちゃん」なところがあるように思えてならない。これも心配。

 〔写真は、中国ニュース通信社のHPより〕

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考察(いい男でもフラれる理由)

2010-02-21 10:00:16 | 恋愛
 
 木曜夜のTBS系列『テイク・ミー・アウト』を、時々見ている。
 知らない人のためにちょっとだけ説明すると、1人の男に対し、30人の若い女性が品定めをするというもの。最初は女性に選ぶ権利があり、付き合いたくないと思えばボタンを押し、自分の前のランプを消していく。

 第一印象というのか、男をひと目見ただけで消す女性が結構多い。あとから出てくる男のプロフィールで、会社社長とかカリスマ美容師とかあるんで、そんなに早く消さなくてもいいのに、と思うのだが。
 なかなかいい男なのに、どう見ても不美人(失礼!)な女性が早々とライトを消す場合もよくある。逆の場合、いい女なら、自分の容姿はともかくできるだけ可能性を残しておこうというのが男の心理なのだが、女はそうではないらしい。

 前置き長くなった。きょうはこの件についての考察を。少々ナマナマしくなるが、ご容赦あれ。

 確か『世界一受けたい授業』だったと思うが、男のシャツのにおいを女性陣が嗅いで、心地よければ遺伝的に相性がいい、というような実験をやっていた。
 子孫繁栄のため、男はやみくもに「種を植える」行為をとる一方、女は良い子孫を残すよう、男(の遺伝子)を取捨選択するようになっている。量か質か、といったところだが、そりゃ女にとっては、自分の腹を痛めてまで産むのであるから、できるだけ「良質な子供」を作りたい。言い換えると、なるべくバラエティに富んだ遺伝子の組み合わせとなるよう、充分吟味するようになっているらしい。(うまく出来ているものだ)
 だから遺伝的に合わなければ、どんなにいい男・イケメンであっても拒否することになる。よく「生理的に受け付けない」という言い方を女はするが、そんなところから来ているようだ。
 ついでながら、年頃の女の子が父親を毛嫌いするのも、同じ理由から。近親相姦とならないよう、これまたうまく出来ている。

 最近読んだ渡辺淳一『欲情の作法』にも、だから男は振られるものだ、といったことが書いてあった。男は手当たり次第に行くものだが、体の中にモノを入れられる女性の身としては、当たり前と言えば当たり前か。
 この本、タイトルから来るイメージとは違って、とてもいい恋愛指南書となっている。男女限らず、是非読んでもらいたいものだ。

 『テイク・ミー・アウト』でも、男の体臭を嗅がせてみたら、また違った結果になるだろうと思っているところ。

 〔写真は、Wikipanda「ジェンダー」より勝手ながら引用〕

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考えるということ

2010-02-14 09:46:08 | エッセイ
 
 読書は本がないとできない、映画もスクリーンがなければ見られない。スキーは板がないとできないし、サッカーもボールがなければ始まらない。
 でも考えることだけは、何もなくても生きてさえいれば、つまり脳ミソさえあれば、いつだって、どこでだってできる(いやひょっとしたら、魂があれば死んでも考えることはできるのかもしれない)。そしてこれは、人間に許された「最高の贅沢」だと言える(チンパンジーやイルカも、もちろん何かしら考えているのだろうが)。

 思考の流れるまま、好き勝手に考えを巡らす。これほどの楽しみを僕は知らない。他愛のないことから深刻なことまで、その内容は様々なんだけど、流れのままに任せるというのは、それはそれで気分のいいこと。
 会社にいれば電話やら相談やらで、家にいればテレビやら何やらで、思考の流れが中断される。それがイヤになると、旅に出たくなる。先週も寸又峡に出掛け、丸2日間、ほとんど誰とも話すことなく過ごした。
 シーズンオフのため閑散としており、100m四方(あるいはもっとか)人っ子ひとりいない山道を歩き回りながら物想いに耽るのは、とてつもなく贅沢なこと。一人なんで、誰にも気兼ねすることもないし。

 考えることで何がいいかっていうと、思いもよらなかったアイデアが閃くこと。全然別の事柄がつながる一種の〈アハ体験〉でもあるのだが、ひょっとしたら誰も考えたことのないことを考え付いたかと思うだけで、楽しくなってくる。もちろん、それがすぐ何かの役に立つわけでもないけれど。
 かのドストエフスキーや埴谷雄高があれだけの作品を書けたのも、長い獄中生活で、考える時間がたっぷりとれたから。できることなら僕も、深く深く、考えてみたいものだ。
 で、今回考え付いたのは、「もし石油がなかったら、文明の発達もずいぶん遅れていただろう」といったこと。

 〈夢の吊橋〉という所に行ったんだけど、途中の「手作りの店 さとう」というみやげ物屋で食べた〈山いも餅〉というのがなかなかウマくて。(寸又峡に行く機会あったら是非。愛想のいいおじさん・おにいさんが声掛けてくるはず)

 そうそう、帰ってきた翌日8日(月)は東京出張となっていて、打って変わって人の多さに、ひっどく疲れたのでした。
 

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