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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

生きるのに有利

2013-04-28 11:33:02 | 科学/考察
 
 今年1月に「なぜ長湯だと指がしわしわ?」という新聞記事があった。
 水を吸ってふにゃふにゃになると考えられていたが、どうも自律神経の働きで指先の血管が収縮することで起きるものらしい。てっきり浸透圧のせいだと思っていたけど、そう単純でもないようだ。
 いずれにしても、指先しわしわになることで物をつかみやすくなるため、生きるのに有利であるには違いない。

 今月初めには「朝食『時々』メタボ注意」という記事もあった。
 時々しか食べないと、食べられない時もあるのだ、と体が認識して内臓脂肪を蓄えやすくなるんだそうだ。
 一定の量を毎朝食べるのがいいということになるのだが、非常時に備えて脂肪を蓄えてくれること自体は、生きるのに有利であるに違いない。

 植物の葉っぱが緑色をしているのも、人間の足が2本であるのも、赤ん坊がかわいらしく見えるのも、熱帯の動物のオスが派手な色をしているのも、すべて生きるのに有利であるため。
 そうでなかった場合のことを考えれば、よく出来ているなあ、と感心するほかない。
 そうそう、野生の動物はエサをそのまま(火も通さずに)食べているけど、すごいなあと思う。僕だったら、いや普通の人間だったら絶対におなか壊すだろう。

 あそれから、専門紙で「キンモクセイの香りで食欲減退」という記事も読んだ。
 理屈はよくわからないけど、キンモクセイの香りを嗅ぐとゆっくり食べるようになり、食事量が減るのだという。将来的にはダイエット効果のある商品につながるかもしれないとのこと。
 キンモクセイといえば〈食欲の秋〉の季節を代表する花。それが食欲を抑えてくれるとは、キンモクセイが「考えて」のことなのか、それとも人間を含む動物が「考えて」のことなのか。
 …やはり自然は不思議だ。

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汝殺すことなかれ(宇宙と人間)

2013-04-21 09:54:31 | 科学/考察
 ボストンマラソン中に起きた爆破テロ。子供や女性が犠牲になったのが何とも痛ましいし、ベアリング玉や金属片によって大怪我された方々も気の毒。
 会ったことも話したこともないけれど、同じ地上に立って同じ空気を吸っている者同士として、悲しい限りとしか言いようがない。
 容疑者は捕まったが、同じ地球に住む人間の仕業であるのも哀しい。

 ブラックホールにダークエネルギーに時空の最小単位に、この宇宙というのは深い深い謎を秘めている。その謎を解いてもらいたいがため、宇宙は人間という知的生命体を誕生させたのだと言える。
 地球の磁場が太陽風を逸らせているのも、大気の層が紫外線を防いでいるのも、葉緑体が酸素を発生させて生物を陸上に上げたのも、木星や土星や月があちこちから飛んでくる隕石から地球を体張って守っているのも、また6500万年前に大きな隕石を衝突させて恐竜を絶滅させたのも、すべて僕ら人間を誕生させるためだったとも考えられる。
 僕は勝手に〈宇宙意思〉と呼んでいるけれど、それは自分自身/宇宙自身を認識してもらおう、理解してもらおうとしているのに違いない。仮に宇宙を考えない/感じない生物ばかりだとしたら、宇宙はそのきっと寂しいだろうし存在価値もないに等しい。
 認識し理解してくれる知的生命体(人間)が滅んでは、宇宙自身、元も子もないということになる。

 生物にとって、遺伝子が多様なのも生き残るためには必要なこと。寒さに強かったりストレスに強かったり特定の病気に強かったり、人間もいろいろいないといけない。
 だから遺伝子の多様性が少なくなるような(絶滅のリスクが増えるような)方向は避けなければならない。たとえ1人でも、人間が減るってのは宇宙にとって理解してもらえないリスクが増えることになる。

 法律で禁止されているから、皆が悲しむから、という以前の、根本的な理由として、このようなことが言えるのではないかと考えている。要するに、人を殺めることは宇宙が許さないのだ、と。
 人を殺してはいけないし、人は生きなければならない。
 …またリキが入ってしまった。

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一度きりの青春を何に捧げるか

2013-04-14 11:45:00 | 科学/考察
 
 何の番組だったか忘れたが、クイズに青春を懸けた東大生/京大生というのがあった。僕もクイズは好きな方だが、あそこまで夢中になれるというのも羨ましい。
 1月だったか、TBS系「スーパーサッカー」ではサッカーに懸ける女子高生というのもやっていた。勉強や恋愛に掛ける時間がなくなるのかもしれないけど、皆いい表情していたし、それはそれでいい過ごし方だと言える。

 僕の場合、高校時代は勉強勉強であまりいい思い出はない。毎日息苦しく過ごしていたなあ、と思う。もうちょっと要領よくやっていれば、好きなことやる時間を作れたのかもしれない。
 大学に入ったらゆっくりする時間できるかと思っていたら、薬学部ってのは講義のほか実習ってのがびっしり入っていて、なかなかそうも行かず。高校時代に我慢していた読書やサッカーに打ち込み過ぎたため留年してしまったが、これはこれでまあまあの青春を過ごせたのではないかと思う。年1回の大学対抗戦では優勝もできたし。(あの時のビールはウマかった)
 余談ながら、サッカー部ではマネージャー的な部長をやっていたので、就職時には有利に働いたのかもしれない、と今になって思う次第。あそれから、当時の仲間とは今でも交流は続いている。

 さて僕の青春時代から30年以上たった今、若者は何に青春を捧げているのだろう。
 スポーツに芸術に短歌に百人一首にロボット、あるいは演劇に社会運動にボランティア…。何でもいいんで、何かに夢中になれる時間を持てるというのは、おそらく人生を心豊かにしてくれるのだろうと思う。
 そう言えばいろいろ「○○甲子園」というのがあるなと思って調べてみたら、ウィキで「甲子園の名がつく高校生大会一覧」というのがありました。

 〔写真はツタの花〕

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