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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

時空の最小単位?

2011-10-30 08:31:20 | 科学/考察
 
 ちょっとしたブームになっているようだが、『人は死なない』(バジリコ出版)という本を読んでいて、気になっていた新聞記事のことをふと思い出した。
 8月22日の朝日に載った『「時空の素粒子」求めて』というもの。この宇宙の時間や空間は、切れ目のない連続的なものと考えられているが、実は最小単位があるのではないか、という内容。細かい理屈はよく分からないが、ブラックホールの状態を説明する理論によれば、これ以上細かく分けられない限度があるのだという。
 2つに分けたレーザー光線を鏡に反射させてまた合わせ、その波の違いを見ることで比較的簡単に検出できるそうで、アメリカの研究者が来年にでも実験して確かめるとのこと。
 この結果はまた楽しみに待つことにしたいが、物質ならともかく、時間や空間に最小単位があるというのが、どうにも理解しがたい。

 たとえば何もない真空の空間。それと宇宙以外と何が違うのか、という疑問は、科学好きな人であれば一度は持ったことがあるかと思う。
 分かりやすく説明するなら…真空の空間であっても、光や電波、重力は伝わる。しかしこの宇宙の外では、光や重力は伝わらないに違いない(もし伝わるとすれば、そこもこの宇宙内であると言える)。つまり何もない1リットルなら1リットルの空間にだって、光などを伝える“能力”を持っていることになる。
 だから空間に最小単位があるというのも、あながち不思議ではないのかも知れない。

 球体なのか立方体なのか、仮に空間に最小単位があるとしたら、きっと〈すき間〉もあるに違いない。そしてそれは他の次元/宇宙とつながっているのかも。多元宇宙という説も最近はやりのようだが、宇宙同士が隣りに並んでいるのではなくて、宇宙と別の宇宙とは重なり合っていると考える方が自然なのかも知れない。
 勝手ながら使わせてもらった冒頭のイラストは、その概念を示したもの。そして重なり合った別の宇宙というのは、前世あるいは来世なのかも知れない、という気がしている。

 空間にすき間があると考えれば、何もない空間から素粒子が発生/消滅するというのも理解できるし、ニュートリノの速度も説明できるのかもしれない。2つに分けた素粒子の片方に力を加えると別の片方にまで作用が現れるというのも、別の次元を考えないと説明がつかない。
 時間の最小単位の方は、コチコチ動く秒針をイメージすればいいのかも知れないが、それでもよく分からない。時間を行き来するタイムトラベルとも関係するのだろうか。

 …つづく 〔イラストは「4次元時空理論」より勝手ながら拝借〕
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秋の新番組から

2011-10-23 09:31:50 | エッセイ
 
1.ほこ×たて
 深夜からゴールデンタイムへの引っ越しなので正確に言うと新番組ではないのだが、既にいろいろ対決やっていたからあまりネタもないんじゃないか、と正直思っていた。
 ところが先日の3時間半の特番を見たところ、「タカvs.ラジコンカー」も「ドリルvs.金属(第4弾)」も、手に汗握るいい対決だった。まだまだ面白そうな対決はありそうで、次回が楽しみ。

2.謎解きはディナーのあとで
 原作が面白かったので、ドラマ化されたら是非見ようと思っていた(秋の新ドラマの中でも期待大のようだ)。その際のキャストは上戸彩と小栗旬とを予想していたが、北川景子もよく合っている(人によっては、石原さとみや綾瀬はるか、戸田恵梨香がいいと思うのかも)。椎名桔平もなっかなかのはまり役。
 もちろん原作者の了解済みだろうけど、前任の執事・唐沢が出てきたり、影山が麗子を見守っていたり、原作とは異なる箇所も。(あれじゃあ影山も推理しやすくなるはず)

3.妖怪人間ベム
 いい人間ドラマのようだしこれにも触手動かされたのだが、キャストがどうもイメージと合わない上、アニメでの雰囲気や舞台(中世のヨーロッパ風)とも異なるような気がして、見るのはやめた。
 同じようなドラマに『怪物くん』があるけど、アニメとはまた全然違うだろうと思う。

 たとえば『ウルトラマン』を、現在いくら精巧にリメイクしたとしても、あの昭和40年代の手作り感というのは出せないだろう。その時代ならその時代にしか出せないし、見る側の意識だって当時と同じという訳には行かない。一期一会、というか。
 2回続けてテレビの話になってしまった。次回は宇宙にまつわる得意(?)の考察を。
 

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BS多チャンネルの時代に

2011-10-09 07:51:22 | 時事
 
 この1日からBSのチャンネル数が倍の24になり、無料で見られるってんで、先週はリモコンをポチポチやりながら眺めていた。(来年3月にはまた7つ増えて31チャンネルだとな)
 ただ、見たい番組ってのはそうそうはないし、見ている時間もない。

 新しいコンテンツにしろデジタル端末にしろ、いくら話題になっているからといってすぐ飛びつく必要はないし(新製品は故障がち)自分の趣味に合うとは限らない。
 世に出ているものにダメなものはないはず、と思って僕も昔は本にしろ映画にしろ、手当たり次第読んだり見たりしたものだが、自分に合わないものってのは確かにある。だからすべて読む/見る必要は、もちろんない。
 若い頃は無限に思えた時間も、年取ってくると〈限られている〉と感じられるようになってくるものだ。

 そもそもテレビ番組ってのは、遊びが多過ぎるというのか、もっと濃縮してもいいんじゃないかって気がしている。特に民放は、CM前後で同じことやっているし、本題前の御託も多い。スポンサーのためとは言え、時間は今の半分でもいいんじゃないか。そうすりゃこちらも時間が有効に使える。
 録画機にCMを飛ばせる機能があるように、同じ場面をカットする機能だって、できそうな気もする。そうすりゃ録画見る時間はナマで見る時間の半分で済むかも。

 そうそう、BS11で日曜の夜に『ウルトラマンA』をやっていたので、懐かしいと思って見たら、まあお粗末なこと。予算がなかったのかもしれないが、そもそも内容がうすっぺら。ありゃ今の子供だって、見ないかも。(やはり『ウルトラマン』がいい)

 テレビ番組の数が増えて、観光地にしろ世界遺産にしろダークマターにしろ、かなりよく分かるようになってきた。その他もろもろのことも、見ていりゃ分かるだろう。でも当たり前のことながら、実際に行ってみること、自分の頭でじっくり考えることも、やはり必要であるに違いない。
 

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地球の支配者・植物

2011-10-02 10:17:10 | 科学/考察
 
 前回、木の枝を燃やすとごくわずかな灰しか残らないということを書いた。骨が残る動物に比べて植物の方がスカスカのようだけど、実はその個体量というか絶対量は、この地球上で動物や人間様に比べて圧倒的に多い。
 地球を支配している生物というと、あらゆる環境に適応していて100万以上もの種類がある昆虫という説もあるが、ずいぶんと植物の世話になっているのだし、種や花粉を運ばされている、つまり植物にしてやられているとも言える。

 動物のような視覚や聴覚はないけれど、植物にはまったく別の感覚器官というのがあるのかもしれない。僕ら人間のやることなすことを、その圧倒的な数で以って静かに“見ている”のかもしれない。
 そしてもちろんヘソもないけれど、何かの拍子でヘソ曲げられたりして、酸素を供給しないなんてことになったら、地球上の昆虫/動物は死滅してしまう。
 誰も見ていなくても、自分自身はもちろん、そばにある街路樹なんかも見ているのかも。

 話変わるけど、葉っぱが緑である理由についての考察をもう6年以上前にこの場に書いたところ、未だに検索で上位に並んでいるようだ。(密かに喜んでいるところ)
 空は青いし夕焼けは赤いし、それらの色を利用することにしたため、残りの緑色は使わないことになった、というのが僕の理解だったのだが、思わぬところから、ほとんど正解を教えてもらった。日野原重明さんと多湖輝さんによる『長生きすりゃいいってもんじゃない』(幻冬舎)という本。
 その172ページに稲本正さんという人の言葉として「木の葉は、自分だけが生き残れば良い思っている訳ではないんだ。だから太陽光の一番強いところ(緑はエネルギーが最も強い)は反射して、動物たちにもこのエネルギーを分け与え、地上の温度もあまり低くならないようにしているのだ」とあり、ようやく腑に落ちた次第。

 ところで、西洋の考え方というのは、どちらかと言うと食うか食われるかで動物的である。一方、東洋は自然や他者と調和するといった感じで植物的である。ビジネスにしろ何にしろ世の中だんだんと世知辛くなってくるけれども、これからは植物的な生き方ってのがいいような気もしている。

〔写真はカラスウリ〕

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