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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

教育テレビにハマる

2010-06-27 10:38:25 | エッセイ
 
 元気が出るような本をたくさん出している中谷彰宏さんだったか、平日のNHK教育テレビはとても面白く見ていて飽きない、ということを言ってて、いつか集中して見てみようと思っていた。
 先週の火曜日(22日)、久しぶりに丸一日の有給休暇がとれたので、念願のそれをやってみたところ、やはりとても面白かった、というお話。

 午前9時から夕方の4時まで、延々7時間見ていたのだが、日本語から英語から、地理から歴史から、それに落語に料理に美容に、15分からせいぜい30分の番組が次から次へと出てきて、全然飽きない。NHKだから下品でもないし、普段使わない頭の部分が刺激されて、とても気持ちよかった。
 朝7時からの『シャキーン!』の面白さは前にも書いたと思うけど、それに劣らず、いい時間を過ごすことができた。
 知的好奇心が満たされると言うのか。サッカーのW杯も面白いけど、内容の濃さという意味では、その10倍はあるんじゃないかと思う。
 そうそう知的好奇心と言えば、24日には「サイエンスカフェ」というのに行ってきた。光子とか量子コンピュータとか難しい話だったが、これまた大いに刺激を受けたのでした。
 
 何かで読んだのだが、年とった時に何が楽しみになるかというと、それは〈学問〉だという。「こんな面白いことにもっと早く気付いていれば」という、年配の方の言もあるそうな。
 今は仕事もあるし平日延々テレビ見ているわけには行かないが、引退してヒマになったら、教育テレビ見て時間つぶせるんじゃないかと思っている。(まあその頃は、頭の回転もだいぶ鈍っているのかもしれないが)

 ところで、中谷彰宏さんにしろ「ワタミ」の会長・渡邉美樹さんにしろ、たしか僕と同い年のようだ。うかうかしちゃおれんなあ、とも思っているところ。

〔写真は『見える歴史』の一場面。今は亡き緒形拳さんが声で出演していた〕

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不思議な共感覚(音と色と形と味と)

2010-06-20 07:53:31 | 科学/考察
 
 Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青。
 …ランボーの有名な詩の一節である。

 先月29日、教育テレビで『共感覚のミステリー』というのをやってて、音を聞くとあるいは字を見ると色を感じる、という人が紹介されていた。
 聞いた音を処理するのに、または見た文字を処理するのに、色を感じる脳の部分も反応してしまうかららしい(ただし同じ文字でも、感じる色は人によって違うとのこと)。
 数千人に1人とか、そういう割合で存在しているようで、他にも形や音から味を感じたりする人もいるそうだ(『共感覚者の驚くべき日常』という本に詳しい)。ひょっとしたら、五感すべてがつながっている人もいるかもしれないが、とても生活しづらいだろうと思う。
 あるいは、オーラが見える人ってのは、共感覚者なのかもしれない、と。
 
 こういう感覚は一般の人でも多かれ少なかれあるようで、たとえば「ブーバ」と「キキ」と、○か☆かにそれぞれ名前を付けるとすれば、やはりほとんどの人が○をブーバ、☆をキキと呼び、それは人種や使う言葉の違いに関係ないとのこと。
 不思議な感覚なのでどうもイメージしづらいのだが、たとえば赤ちゃんの泣き声で心配な気持ちになったり、人の笑い声で嬉しい気持ちになったりするのも、共感覚の一種と言えないこともない。

 人類共通の感覚であるとすれば、他の惑星の住人ならば、また違った感覚(○がキキ、☆がブーバ)もあり得るのかもしれない。そう言えば、英語のzigzagは、日本語で言うとギザギザで、感じがよく似ているし、「行け行け」は“OKOK”に似ていないこともない。
 さらに言うと、walkと歩く、boneと骨、crowと(黒い)カラス、などなど、語源が同じじゃないかと思われるような不思議な一致もある。ただ言葉の生まれる元である感覚が同じであれば、同じような言葉になるのはある意味自然な流れだとも言える。
 ちなみにスワヒリ語の「マワレ」は、「回る」という意味だそうだ。

 相変わらず小難しくなってしまったので、最後に小話を。
 「はっきり答えて! イエスなの、ノーなの?」「いいえッス」

〔冒頭のイラストは、共感覚者・森のコアラさんのブログより勝手ながら拝借〕

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誰しも欠点はある

2010-06-13 10:47:48 | 時事
 
 鳩山さんと小沢さんと、どっちがどっちの道連れなのかは知らないが、両方とも辞めて、新しい内閣の支持率はアップ。これはこれで、めでたいと言えるのだろう。
 ただ8ヵ月後、あるいは1年後、菅総理も前任者と同じように叩かれているのかもしれないし、総理の座にはいないのかもしれない。そう考えると、「総理なんてやるもんじゃない」のかも。
 最近の子供は我慢する力が足りないと言うけれど、こう総理がコロコロ変わるのを見ると、僕ら大人も、許容する力が減っているんじゃないかとも思う。

 話変わって、たとえば元気がいい人間は、裏を返せば「うるさい」となろうし、頭がいい人間は、逆に見ると「小ざかしい」となろう。カッコいい人間は「すかしてる」ともなろう。誰であれ、この世に形として存在しているからにはある性格を持っている。それは見る人によっては美点ともなろうし欠点ともなろう。見る人の損得とも関わってくる話だ。
 つまり、どんな人間であれ、欠点はあるってこと。それをあげつらうかどうかは、見る人次第。下世話な点をあげつらうのは、あげつらう人間の下世話さを現しているのかもしれないと思うと、あまり人の欠点も言えないかなあと思う。
 欠点のない人間というのは、美点もないということ。欠点がないということは、存在しないということ。だから全知全能の神様というのは、形としては存在しえないのだろう。
 菅さんも、あの強気が裏目になることもあろう。そして自分はと言えば、気が短く頑固でわがままだし、少々へそ曲がりでもある。

 と、ここでサッカーW杯の話になる。
 人間で成り立つチームである以上、どんなチームにも欠点はある。。カメルーンは守りに足を、いや手を抜くかもしれないし、オランダは世界4位だという驕りがあるかもしれない。デンマークだってスタミナ面が弱いかもしれない。
 そういうこと考えたら、日本代表、希望は持てる。がんばれ!
(ここまでの5試合すべて見たが、いずれも見ごたえのあるもの。全然飽きることがない。)
 

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第三の話

2010-06-06 07:51:39 | エッセイ
 
 職場にしろ飲み会にしろ、話題には3種類あるんじゃないかと思う。

 第一の話は、会社あるいは仕事の話。人の噂話含めよく出てくるもので、赤ちょうちんでも毎晩繰り広げられているところ。ただ個人的には、飲み会で仕事の話なんかしたくはないし、飲んでまで会社の話なんて、芸がないというか。
 第二の話は、自分あるいは趣味の話。会社や仕事の話の次に出てくるのはこういった話題になると思うが、自慢話もよくあるし、聞いてて面白い話というのはそう多いものでもない。
 で、第三の話として、もっと範囲の広い、普遍的な本質的なものになってくる。首相交代やら高速道路料金の話も、噂話の延長に過ぎないし、もっと大きな、政治なら政治自体の話、それから世界の話とか素粒子の話とか素数の話とか、僕はそういう話をしてみたい。

 誰それがどうだのこうだの、帰納的に何かにつながればいいけれど、上っ面だけの話、ただそれだけって気がする。どれだけ一般化できるかが、重要だと思う。

 ただ残念ながら、そういう話は滅多にできない。自分の話以上に自分自身をさらけ出す必要があるし、ある程度の知識と自信がないとできないから。僕はしたくても、相手がいなくてはどうしようもない。そういうわけで、飲み会のあとはいつもモヤモヤした不完全燃焼の気分に陥ってしまう。
 学生時代、非常にウマの合う友人が1人いて、日本酒やらワインやら飲みながら、ひと晩中話し込んでいたものだ。それこそ宇宙の話から女の話、死後の世界の話なんかも。経験ない人にはわからないかもしれないが、脳ミソがあちこち刺激されて、ワックワクしたものだ(一種のブレーンストーミングみたいなもの)。
 社会人になればそういう関係はなかなかないよ、とは言われていたけれど、25年経った今でも、寂しく思っている。

 そいつは今関西に住んでいるから滅多に会えないし、会っても昔と同じとは行かないかもしれない。
 だから今考えているのは、大学生の息子(こいつはだいたい話が分かる)に酒を覚えさせて、一緒に小難しい話をしてみるかってこと。ただ、しょっちゅうだと嫌がられるかもしれない。
 いやひょっとしたら、その辺の居酒屋には同じような思いを持つおっちゃんもいるのかも。飲み会か、ひとり家で飲むばかりなんで、たまには飲み屋でも入ってみるか。

 …またまた青臭い話になりました。でも僕は、いつまでも青臭い話がしたい。
 

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