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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

「おはようおじさん」

2012-09-30 10:53:29 | ショートショート
 中学に入った頃だから、もう30年以上も前のことだ。

 その頃の僕は学校があまり面白くなく、将来に希望も持てず、毎日を暗く過ごしていた。朝、家を出る時は、一日をどうやり過ごそうかと、そればかり考えていた。田んぼの横の通学路を、ひとりとぼとぼ歩いていたものだ。
 そんなある日、いきなり「はい、おはよう」と、誰かに挨拶された。黒光りする自転車で走って来たどこかのおじさんだった。びっくりしたものの、僕は「おはようございます」と、応えた。
 おじさんの挨拶は、いわゆる青春ドラマに出てくる熱血教師のような元気のあるものではなく、ごく普通のもの。ああいうドラマってのはうさん臭いと思っていた僕としては、そういう、押し付けがましい挨拶でないのは好ましく感じられた。(元気いっぱいに挨拶されていたら、おそらく返事することはなかったろう)
 その後、会うたび挨拶をするようになった。とはいってもしばらくの間は僕の方からではなく、やはりおじさんの方から「はい、おはよう」と先に言ってくるのだった。ただ、僕の前後を歩く、元気な同級生や連れ立って歩く上級生には、なぜかおじさん挨拶することはなかった。そしてやはりとぼとぼ歩く小学生なんかには挨拶をする。これは少々不思議なことだった。
 僕はひそかに〈おはようおじさん〉と呼んで、挨拶できるのを毎朝楽しみにするようになった。そうして何ヶ月かすると、自分の方から挨拶ができるようになったものだ。それでも、挨拶以上のことを口にすることはなかったが。
 しかしそれも、おじさんが現れなくなってしまい、終わりを迎えることになった。今日こそは今日こそは、と何度か思っているうち、一緒に登下校する友達もでき、おじさんのことはすっかり忘れていた。

 おじさんが死んだのだと分かったのが、つい最近のこと。高校の同窓会が実家近くのホテルで行なわれ、飲んでるうち当然昔の話になり、僕が〈おはようおじさん〉と呼んでいた人のことを話題にしたところ、「あ、その人知ってる」と言う人がいて、さらには場所や年格好からして「それKの親父さんかも」という話も。Kというのは物静かな、僕とはさほど親しくない同級生だ。以下はKに聞いた話。
「親父はある工場の品質責任者で、当時は製造上のトラブルが重なり、とても大変だったらしい。毎日毎日遅くまで掛かって、難しい問題を処理していたそうだ。心労がたたってか、ある朝、冷たくなっているのが発見され、心筋梗塞いわゆる心臓麻痺だったとのこと。親父マジメだったらしいからなあ」

 そういう人がどうして僕みたいな元気のない子供にだけ挨拶していたのか、それは未だに謎なのだが、何となく分かるような気もする。
 そう言えば一度だけ、おじさんが陰鬱な顔しているのを遠くに目にしたことがある。子供に挨拶するくらいの人があんな顔するなんてと、ちょっと奇妙に感じたものだ。
 ともかく僕はそのKに、昔こんなことがあったこと、そして今さらではあるけど、親父さんのお陰で学校に通い続けられたことのお礼を伝えておいた。Kはそれを静かに聞いていた。おぼろげながら、Kはおじさんに似ているような気もする。

 僕は今、東京に住んでいて、田んぼの横を自転車で通るってことはない。でも通学路や電車の中でしょんぼりしている小中学生を見かけると、つい声を掛けてしまいたくなる。

 Copyright(c) shinob_2005

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比較の問題⑤(数量の感覚)

2012-09-23 09:15:39 | 科学/考察
 
 たとえば年収5億と10億、たとえば重量4万トンと8万トン、たとえば2万光年と4万光年。
 あるいはO.01秒と0.02秒、あるいは3ミクロンと6ミクロン、…。

 専門家やスポーツの世界では重要なことなのかもしれないが、それぞれ倍の開きがあるとはいえ、いずれも大きすぎたり小さすぎたりして、一般の人にとっては感覚的に同じようなもの。差は大したことなくなる。(失礼ながら、未開の人が「1,2,3,たくさん」と言うようなもの)

 これが年収500万と1000万、体重40キロと80キロ、身長1メートルと2メートルでは、比率は同じく「1:2」であってもその差が大いに意味を持ってくる。
 算数的につながってはいても、僕らの生きている世界というのは限られているということ。つまり何であれ、数直線状のごく一部しか僕らは実感として理解できないということ。

 これって、紫外線と赤外線の間の波長の電磁波しか見えないっていうことにも似ているし、聞き取れる音域も限られているってことにも似ている。
 さらに時空間的に言っても、僕を含めこれを読んでるあなたも、おそらく西暦1900年から2100年の間を、たぶんこの地球上で生きているに過ぎない。

 だから何なんだって言われると困るのだが、んーと、いくら年をとろうが地位が上がろうが有名になろうが、「自分は何でも分かっている」なんて思わない方がいいのかもしれない。謙虚に真摯に。
 …久しぶりに小難しいこと書きました。

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誰しも年をとる―『徹子の部屋』を見ながら

2012-09-16 11:09:25 | エッセイ
 
 平日の昼間だから録画でしか見られないが、テレビ朝日の『徹子の部屋』はとてもいい(もちろんゲストによっては見ないことも)。余計なBGMや字幕がないから、ゆっくりと見ることができるし、(時々飛ばすけど)普段見られないCMもなかなか。
 何度も出てるゲストもいて、前回の映像が流されたりもするのだが、黒柳さん含め、当然ながらみな若々しい。今の時点でいい年のとり方している人がほとんどながら、中には「しょぼくれた」ようになっている人もいて、それはそれで。
 時々「追悼集」というのもやっており、それも懐かしくも哀しい。
 大相撲で、大受や若島津など、昔の力士が審判として土俵下に座っているのを発見することがある。あ懐かしいなあ、と思う同時に、誰しも年をとるんだなあ、とつくづく感じる次第。
 僕も、そしてあなたも、当たり前だけど年とっていく…。

 徹子さん、滑舌が少々キビしくなりつつあるけど、長寿番組として、まだまだ続けてほしいですね。両あごの、いわゆるエラの骨のすぐ内側を下から押すと、滑舌良くなるそうです。
 
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月9・・・なぜ月曜夜9時なのか

2012-09-09 08:51:16 | 科学/考察
 
 フジテレビの月9『リッチマン,プアウーマン』も残りあとわずか。大金持ちだった日向徹(小栗旬)が落ちぶれて、それを真琴(石原さとみ)が支えるというもの。ゴールデンタイムのドラマはほとんど見ない方だが、面白くて見続けている。

 ところで、なぜ月曜の夜9時なのか。
 一般論として、月曜の朝というのは会社あまり行きたくない。でも1日頑張れば、夜9時には楽しみなドラマが見られる、というのが大きなところだろう。
 そしてまた、まだ1週間あるので、仮に仕事残ったとしても、翌日以降つまり火曜から金曜日までに仕上げれば良くて、月曜なら夜9時までに家に帰ってもいいことになる。
 僕もそうだが、土日で仕事から離れていた心身にとって、そもそも月曜日ってのは仕事を「軽く流したくなる」もの。難しいことは火曜日以降に回そうよ、という気持ちはある。火曜日以降は9時には家に帰れない可能性が高くなるし、週末近く(木・金)になれば、飲み会も入りがちだし。
 …とまあこんな理由で、月9は支持を得ているのだろうと思う。

 さてさて、朝比奈(井浦新)は逮捕され、ネクスト・イノベーションも倒産しそうである。日向徹はおそらく田舎に引っ込み、あとは山岡、じゃなかった安岡君に任せるのではないかと勝手に予想しているところ。
 あそうそう、耀子役の相武紗季もいい味出しているし、テーマソングもとてもいい。あした、楽しみ。
 

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紛らわしいもの

2012-09-02 10:12:02 | 言葉/ナンセンス
・イエローハット(カー用品店)と
 リンガーハット(長崎ちゃんぽん)
・mn mn(お部屋探し)と
 mk HOUSE(子供服)
・一万年堂(出版)と
 弐萬圓堂(メガネ店)
・村上開明堂(バックミラー製造)と
 島村謄文堂(文房具店)
・アピール と
 ピーアール
・GHQ(連合軍総司令部)と
 GHQ運動(家に早く帰ろう)
・東横線 と
 東横綱
・盛衰記 と
 清水器
・GPT と
 γ‐GTP
・ほしのあき と
 はしのえみ
・ゴンチチ(ギター奏者)と
 ゴンの父(中山儀助さん)
・乙一(作家)と
 ナツイチ(集英社文庫の夏のフェア)
・goo と
 Goo と
 Google
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