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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

「特効薬」

2018-03-04 09:36:41 | ショートショート
 製薬会社の役員まで務め上げ、めでたく退職して3年。悠々自適の生活を送っていたが、さすがに体のあちこちガタが来てしまい、軽度の腫瘍も見つかり、入院・手術するはめに。

 手術後、病院のベッドに横になっていても大してやることもなく、現役時代のことを思い出すともなくつらつらと。
 いろいろあったが何とかやり切ったという感じ。ただ一つの心残りは、退職間際に起きた、自社で開発した免疫賦活のとある特効薬の事例。
 特効薬だけあって売れ行きも良く、品切れにならないようフル生産を行なっていたのだが、その最中、あるロットで不純物の増加が見られ、規格を外れてしまった。原因は不明の上、何回試験をしても結果は同じ。営業部門からは欠品になりそうだとの矢の催促が入り、やむなく出荷したもの。
 不純物増加の製品が投与されるとどうなるかについては、さほど大きな影響はなさそうとの意見もあったが、詳しいことは研究部門でもわからず。複雑な作用機序を持つ薬剤のため、不純物がどこでどういう作用をもたらすのか、誰も明確なことが言えず、あとはままよ、と私の最終判断で。忘れもしない、ロット番号は〈833〉。
 やがて原因は解明され、その後の製品は問題なく製造されているというのを、退職後、耳にした。あのロットだけだったというのは、幸いだったと言っていいのか…。

「○○さん、点滴交換しますねー」の声で我に返ると、いつもの看護師さんが手早く点滴の交換をしている。
「免疫が落ちてるんで、それを高めるお薬も入れますね」とのこと。
 免疫賦活剤だな、それは私の会社にもヒット商品があったわいと思っていると、彼女が手にしているのはあの特効薬。そしてロット番号は何と〈833〉。
「これでまた元気になれますよー」

 やめてくれ、とも言えず、そのまま点滴を受けることに。自分の体がどうなって行くのか、神経を集中させる。少しでもおかしくなったら、ナースコールのボタンを押せばいい。
 しかしあのロット、とっくにハけているはずなのに、まだ市場に残っていたとは。そしてまたよりによって、この私に投与されることになろうとは。
 薬の副作用なのか、そのうち呼吸そして心臓の鼓動が荒くなり、息苦しくなってきた。ああ、こんなところで自分の過ちを償うことになろうとは。営業に負けないで、品質第一を貫いていれば。
 あれはたしかに、たしかに〈833〉。ボタンを、ボタンを押さなければ…。

「先生、○○さんどうして心臓発作なんか起こしちゃったんでしょうね」
「さあな。長いことこの仕事やっているが、こんなの初めてだ。この手の薬の中じゃ、一番の特効薬のはずなんだが。いちおう、メーカーには状況と、ロット番号含めて報告しておくとするか。ロットは、えーっと〈883〉…」


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